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第十六話 スリヨータイ~近世の南洋~

「彼の時代は豊作が続き、また彼はその在世中に七頭の美しい白象を手に入れた」(フリート『シアム王統記』)

 紀元後十六世紀中葉、豪商の美しい娘スリヨータイはアユタヤ王朝の王家が主催する象狩りで王弟チャクラパットに見初められた。

 スリヨータイの体は肌が小麦色をしており、胸は大きくて丸く、栗色の髪は軽くウェーブしており、後ろのところでまとめられてあった。

 漆黒の眼差しは魅力的で、声は深くて官能的な響きを持っていた。


 家族はスリヨータイが王室と縁組みすることを喜んだ。

 アユタヤ王朝が治めるシャム(タイ)王国は、黄金州における他の国々と同じく国家が貿易を統制していたので、商人にとって王族との縁故は魅力的だった。

 黄金州は大部分が森林に覆われて人口が少なく、開拓されたところでは農業か貿易が行われており、諸王国は海岸に近い河口の港市に拠点を構え、内陸の後背地を抑えていた。


 そのような港市国家は港市で外国人とも交易したが、交易品が生産される後背地に外国の商人を近付けさせず、内陸を一種の異界とし、超人たる王でなければ支配できないと唱えた。

 王はバラモン教の聖典である『マヌ法典』など宗教も利用して己を神格化し、それを儀礼などで印象付けた。

 アユタヤ朝は長老説仏教を国教とした。


 長老説仏教はセイロン島や黄金州に伝わった仏教で、それらの地域はインドと距離が近くて気候も似ており、ガウタマの教えをそのまま忠実に守ろうとする傾向が強かった。

 戒律も厳しく守ろうとし、自らを厳格に律する仏僧は、民衆の信頼を得ていた。

 長老説仏教は『大般涅槃経』などで全員参加の集会を頻繁に開くことを重視し、理想的な修道生活の運営と共和制の美徳を結び付け、民主主義を高く評価した。


 そうであるがゆえに王権は仏僧を保護して資金も援助し、彼らに権威付けてもらうことで民衆からも信用され、王は仏法を護る法王とされた。

 スリヨータイがそうした王の義妹となることに彼女の恋人クン・ピレーントーンテープは反対しなかった。

 クン・ピレーントーンテープは小役人でしかなく、王弟であるチャクラパットの方がスリヨータイに幸せな暮らしを送らせられると考えたのだ。


 しかし、スリヨータイはまだ若く、恋愛に幻想を抱いており、チャクラパットよりもクン・ピレーントーンテープを選ぶつもりでいた。

 それゆえ、クン・ピレーントーンテープが身を引くと、スリヨータイは裏切られたと感じ、若さゆえの極端さで恋に恋するのを止め、これからは王権に恋をすると決めた。

 家族や恋人が政略結婚を歓迎するのなら、自分もそれに倣い、権力を愛そうと誓ったのだ。


 そうなれば夫であるチャクラパットを王にしようと策動するのは必定だった。

 兄王チャイヤラーチャーティラートは后シースダーチャンがクメール人の歌人ブンシーと密通していた。クメール王朝はアユタヤ王朝に滅ぼされていたが、ブンシーは野心があり、シースダーチャンに親戚と偽ってもらうことで出世すると、彼女にチャイヤラーチャーティラートを毒殺させて王位を簒奪した。

 その陰謀を事前に察知していたスリヨータイは、チャクラパットを出家させて粛清から逃れさせ、シースダーチャンに贔屓されただけでウォーラウォンサーティラートとして即位したブンシーが周囲から反感を買うまで自らも身を潜めた。


 そうして機が熟すと、彼女はチャクラパットの権力で出世させていたクン・ピレーントーンテープに官僚を束ねさせ、象狩りを行うと称して誘き出したブンシーを暗殺させた。

 スリヨータイはシースダーチャンも殺させ、チャクラパットが還俗して即位した。

 クン・ピレーントーンテープはスリヨータイとチャクラパットの娘を娶ることを許され、マハータンマラーチャーティラートの称号を与えられた。


 スリヨータイはチャクラパットを陰で操り、実質的な女王となって権勢を極めたかのように思われた。

 だが、黄金州は自然に依存した農業で作物が豊富に収穫でき、気候変動があれば集団ごと移住するなど移動性が高く、人口が少ないこともあって中央集権が余り進展しなかったので、中央と地方の権力が緩やかに連合して曼荼羅図のごとく重層的な国家が形成された。

 シャムもアユタヤ王朝を一級から四級までの小さな王朝が取り巻き、合体と分裂が繰り返されていた。


 それ故に王は流動性を持つ共同体を調停する者でしかなく、多くの異なった集団を動員できる力の有無で選ばれ、世襲は定着していなかった。

 そのような王位にスリヨータイは満足できなかった。

 彼女は王よりも上の地位を望んだ。


 ビルマ王国の王タビンシュエーティーがシャム王国に攻撃を仕掛けてきた。

 タビンシュエーティーはポルトガル人の傭兵を雇い、火器によって武力を向上させていた。

 キリスト教国のポルトガル王国やスペイン王国はイスラム教徒に征服された土地を奪還すると、その勢いに乗って海外へ出掛け、インド洋の沿岸に次々と基地を建設し、インドだけではなく黄金州とも取り引きして鉄砲や火薬などを売り付けた。


 シャム王国もポルトガル人の傭兵を抱えており、ビルマによる侵略を迎え撃った。

 けれども、スリヨータイはそうするだけでは飽き足らなかった。

 彼女は女性が軍事に参加するのを禁止されていたにも拘わらず、ズボンを穿いて男装し、戦象に乗って戦いへと加わった。


 そして、出陣していたチャクラパットの象が倒れると、スリヨータイは身を挺して彼を守り、自らは敵の草刈り鎌によって殺された。

 それはスリヨータイの望むところだった。

 スリヨータイは華々しいやり方で名誉の戦死を遂げ、後世の人間から神のごとく崇められることに最後の希望を見出していた。


 チャクラパットはスリヨータイの遺体を王都のアユタヤ市に移し、王宮の敷地で火葬に付すと、仏塔チェーディー・シースリヨータイを建てて遺骨を祀った。

 彼はビルマ王国が再び攻めてくるのに備え、象狩りを盛んに行って戦象を増やし、七頭の美しい白象を手に入れた。

 ところが、ビルマはその白象を要求し、チャクラパットがそれを拒否すると、タビンシュエーティーの乳兄弟バインナウンがシャムに侵攻してアユタヤ朝を属国とした。


 チャクラパットやその子マヒンタラーティラートが死ぬと、宮廷内で支持者の多かったことからクン・ピレーントーンテープがバインナウンから統治を任され、サンペット一世として即位した。

 クン・ピレーントーンテープは娘スパンカンラヤーをビルマ王国に差し出し、ビルマの人質であった息子ナレースワンを取り戻した。

 サンペット二世とも呼ばれるナレースワンは、ビルマ王国からの独立を果たし、郡を中央から派遣した官吏に治めさせ、大王と称されて神格化された。


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