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第4章 夜は更けて

 食堂はかなりの広さだった。一辺に四人は並ぶことが可能な大きなテーブルを中央に構えているが、それでもなお、椅子と壁との間には人が楽にすれ違えるほどの余裕があった。

 私たちも手伝ってテーブルに並べていった献立も、バランスのとれた多彩なものが取り揃えてある。これを庸一郎(よういちろう)(かすみ)の二人で作ったとは――私たちの分まで揃っていることも含めて――考えられない。後輩の朝霧万悠子(あさぎりまゆこ)もそこが気になったようだ。配膳をする合間に霞に訊いていた。会話を耳にしたところ、どうやら定期的に来る業者が出来合いの料理をパックして持って来てくれているのだという。霞は料理もするが、それは趣味にとどまる程度のもので、ほとんどの食事はこうして、冷蔵している出来合いの料理を温め直して食べているという。そのため、私たちの食べる分まですぐに用意が可能だったというわけか。


「おい、石上(いしがみ)、凄いぞ」


 配膳の途中、飛原(とびはら)が私に一枚のラベルを見せてきた。この料理を作った業者が貼り付けてきていたものらしい。そこには、ここ仙台市を離れて久しい私も記憶にある、市でもっとも高級なホテルのひとつの名前が印字されていた。


「ここのホテルのレストランでディナーを食おうと思ったら、数万の出費は覚悟しなきゃならん」


 そう呟くと、飛原は配膳の作業に戻った。私たちが借りた着替えといい、この料理といい、改めて笛有(ふえあり)家の資産規模を目の当たりにさせられた。

 準備が整い、全員が席に着いた。主人の笛有庸一郎と娘の霞は、上座の辺に並んでいる。私たちは高校生と大学生の四人ずつに分かれて、その左右の辺に座った。

 いただきます、も何も言わないまま、庸一郎と霞が料理に手をつけはじめたので、自然、私たちも――さすがに手は合わせてから――食事を始めることになった。


「うわっ、めっちゃ美味(うま)――」と言い掛けた汐見(しおみ)は、さすがに言葉遣いを気にしたのか、「とても美味(おい)しいです」と言い直した。その様子を、笛有霞は笑みを浮かべながら見ている。見つめられた汐見は、思わずといったように多少引きつった微笑みを返した。


「お口に合ったようで、何よりです」


 霞はそう言って、我々来訪者たちを見回す。これが口に合わないという人間がいたなら、その人の舌は死んでいるに違いない。この料理が高級ホテルのものだと知っているのは、恐らく私と飛原だけだが、そういう先入観を抜きにしても、やはり味の違いは伝わっているようだ。他のメンバーも皆、満足そうな顔を浮かべながら黙々と料理を口に運んでいる。

 この食堂は館の奥、外壁に接しない位置にあるためか、あれだけ激しい雨音も、私たちの自室やロビーほどには響いてこない。


「皆さんは」と、食事の席になってから初めて庸一郎が声を発して、「明日の朝早くにはお帰りになるのですかな」


 私たちを見回した。その口調には、質問というよりは強制に近い意味がこもっているように聞こえた。要するに、なるべく早くここから出て行けと言われているのだ。


「はい」と、それに応じたのは当然飛原だ。「そう考えてはいるのですが、なにぶん、この雨で――」

「当分降り止まないかもしれませんね、お父様」


 二人の会話に割り込むように言ってきたのは霞だった。彼女は飛原に顔を向けると、


「雨が止むまで、ここにいて下さい」

「これは、どうも」


 意外そうな顔で飛原が頭を下げた。


「いいですよね、お父様」


 霞は隣の父親を見る。庸一郎は、「もちろん」と口にすると食事に戻った。

「ありがとうございます」「助かります」と、私たちは口々に礼を述べた。霞は笑みを湛えたまま、その言葉を受けていたが、庸一郎のほうは全くの無表情だった。


「雨もですけれど」と次に村茂(むらしげ)が、「増水した川も心配ですね。俺たちが渡るときには、かなり桁下まで流れが迫っていましたよ」

「それでしたら心配いらないでしょう」と、これには庸一郎が、「あの川はここからすぐ上流に水門を設置しているのです。そこで流量の調節をしていますから、今後の雨脚に関わらず、今以上に水位が上がることはありません。まあ、水門といっても公共のものではなく、私が私設したものなので、大雨だからからといって公共の職員が点検に来たりはしませんので、寝る前に私が一度確認してきます」

「個人で河川に水門を設置することなど、許可が下りるのですか?」


 村茂が訊いた。


「ええ。川も含めた山全体が笛有家の所有地ですので。川も、ここから下流に行くにつれて川幅が広くなりますので、急な雨などで増水するのは、この屋敷一帯だけなのです」

「そうでしたか」


 村茂は納得とともに、ほっとした表情を浮かべた。それは私も含めて全員が同じだっただろう。庸一郎は続けて、


「水門までは、ここから歩いて片道十分程度です」

「それでしたら、私が行ってきます。こうしてご厄介になっている身分でもありますし」

「いえ、複雑な獣道を通る必要がありますから、初めての方が夜中に行くのは危険ですので」

「そうですか。すみません」


 村茂は頭を下げたが、庸一郎は何の反応も返さなかった。水門を自分で操作すると言ったのも、親切心からではなく、自分が管理する設備を他人に触らせたくないという理由だけなのではないだろうか。

 空腹も手伝ってか、私たち外来組は、出された量のわりには早く食事を終えようとしていた。その間、私は笛有親子のことを観察していたが、父と娘でその挙動はまったく正反対だった。庸一郎のほうは、私たちにはほとんどといっていいくらいに無関心で、黙々と食事をしているだけだったが、娘の霞は逆に、来訪者である私たちに興味津々といった様子だった。年長者らしく料理の知識をひけらかす飛原と、それを茶化しながら聞いている高井戸、河野、村茂。乱場を間に挟みながら、自分の分の料理を彼に食べさせようと競合する汐見と朝霧。彼ら、彼女らを霞は、笑みを浮かべた興味深そうな表情で眺める。その興味の範疇には当然私も含まれているようで、何度か彼女と目を合わせることがあった。その都度、霞はゆっくりと目を逸らすが、笑顔のまま視線はすぐに別の誰かへと注がれていく。

 最後に乱場が「ごちそうさま」をして全員が夕食を終えた。彼が一番遅かったのは、自分の分に加えて汐見、朝霧の二人からもお裾分けしてもらっていたためだ(当然、乱場がせがんだわけではなく、半ば強要されつつ、二人が料理を差し出すたびに口を開けていたのだが)。片付けも当然手伝った。とはいえ洗い物などする必要はなく、お盆に載せた食器を大容量の全自動食器洗浄機まで運んでいくだけだった。

 片付けが終わると、庸一郎は水門を見てきてから入浴して、そのまま就寝すると言ったため、私たちは、おやすみなさいをして彼と別れた。残った霞は、


「皆さん、コーヒーでもいかがですか」


 そう言って私たちを食後のコーヒータイムに誘った。断る理由もなく、宿泊させてもらっている身で、さらには嘘を言ってゲリラ撮影を行おうとしている負い目もあるため、私たちは喜んで同席した。場所は食堂からリビングへ移った。

 笛有家のコーヒーは、ボタンひとつで抽出される機械式のものだった。とはいえその機械はよく見る家庭用のそれではなく、明らかに業務仕様の本格的な代物だった。機械にセットされているコーヒーもインスタントではなく、きちんと豆を挽いて淹れられている。


「すげー。これ、コンビニとかに置いてあるやつよりも立派じゃん?」


 そのコーヒーマシンを見た汐見が言うと、


「私がコーヒー好きなもので、お父様に頼んで入れてもらったんです」


 霞は笑った。


「このカップも、見るからに高級そうです」


 朝霧は、テーブルに並べられたコーヒーカップを見た。確かに彼女の言うとおり、そこらで気安く買えるような代物でないことは素人目にも分かる。全て同じデザインのそれが人数分、全部で九つも出されている。


「父の貰い物です」


 物珍しそうに、優雅な曲線を描いたカップを眺め回す朝霧を見ながら、霞は笑みを絶やさずに言った。


 リビングの高級そうな(これも実際そうなのだろう)ローテーブルを囲んで、私たちはソファに腰を下ろした。


「皆さんは大学生ですか? 随分と年齢に幅があるように見えますけれど」

「いえ、俺たちは大学ですけれど、向こうの四人は……」


 霞の質問に、飛原は自分たちの正直な年齢と身分を明かして答えた。私はともかく、さすがに他の三人を大学生だと言うのは無理があると思ったのだろう。特に、


「あら? そちらのお嬢さんも高校生なのですか。私はまた……」


 案の定、霞は乱場を見た。――中学生かと思った。そう続けるつもりだったのだろう。


「あの、僕、男ですけど……」


 乱場は、じっとりとした視線で返す。


「あら? そうでしたの? ごめんなさい」


 霞が謝ったのは、この場で彼の性別を間違えたことに対してだけではなかったのだろう。というのも、着替えとして乱場に宛がわれた服は、一見しただけでは分からないが女性ものに違いない。その証拠に、


「でも、似合ってますからいいですよね」


 と霞はくすくす笑った。


「え? 何がですか?」


 乱場は状況を理解できていないらしい。服のことは汐見と朝霧も分かっているはずだ。二人とも顔を見合わせてにやにやしていることから、それは明らかだった。

 これを機会に、皆が自己紹介をすることになった。各自が語る言葉を、霞は興味深そうに聞いていた。最後に彼女自身も、「笛有霞です」と簡潔に名乗った。


「失礼でなければ、霞さん、おいくつなのですか?」


 河野が訊いた。


「私、二十二です」

「そうなんですか? もっとお若いかと思ってました」

「お世辞でも嬉しいです」

「いえ、そんなことは……」


 河野の言葉は、世辞や社交辞令では決してなかったはずだ。私も彼女の年齢を聞いて驚いた。笛有霞の外見は、どう見ても十代半ば。二十代であるとは言われなければ絶対に分からないだろう。そして、


「それに、美人ですよね」


 河野が続けた言葉に霞は首を横に振ったが、たとえ自分自身に対してでも本気でそう思っているのであれば、彼女の美的感覚は相当狂っていると言わざるを得ない。

 笛有霞は美しかった。小さな顔に絶妙なバランスをもって配された整った目鼻立ち。今まで日光を浴びたことがないのでは? と思えるほどに白い肌。華奢だが、それでいて女性らしいラインは十分に備えている体。艶と柔らかさを併せ持つ腰まで伸びた黒髪は、彼女が首を動かすたびに服の上をさらさらと滑った。


「本当にきれいです、霞さん」さらに彼女を賛美したのは飛原で、「願わくば、俺の――」


 そこまで言って口を噤んだ。霞は「?」という顔をしている。彼が何を言わんとしていたかは分かる。俺の――映画に出てほしい。と続けたかったに違いない。だがこの場でそれは禁句だ。私たちの目的がばれてしまいかねない。だが、同時に私は、この霞にだけなら目的を告げても問題ないのではないか? と思い始めていた。

 これまで笛有親子に接してきた印象では、よそ者を毛嫌いしているのは父親である庸一郎だけのように思える。さらに、庸一郎はこの霞に頭が上がらないということも窺える。現にここを訪れた直後、庸一郎は私たちを追い返す気満々だったが、霞のひと声で態度を翻している。ちょうど庸一郎はこの場にいない。水門を見てから入浴して床に入ると言っていたため、今日はもう、私たちと顔を合わせることはないだろう。庸一郎には内密に、霞にだけ撮影の協力を取り付けることは不可能ではないと思われる。

 こんなことは当然、飛原も気付いているはずだ。が、彼は何も言葉を続けなかった。そのためか、霞も飛原から視線を外し、歓談を始めた私たちのほうに顔を向ける。相変わらずの興味深げな表情で。



「あら、もうこんな時間」


 アンティークな掛け時計を見て霞が言った。針は十一時半を指している。霞はソファから立ち上がり、


「私、失礼させていただきます。皆さんはまだごゆっくりしていて下さい。コーヒーもたくさんありますので」

「いえ、俺たちも、そろそろ」

「ええ、今日は疲れました」


 飛原と河野が言った。


「そうですか。では、おやすみなさい」


 霞は自分のカップを持つと台所に歩いていき、私たちも同じように続いた。



 深夜一時。私たちは妖精館でのゲリラ撮影を開始した。各々が少ない荷物に紛れ込ませるように持ち込んだ機材を持ち寄り、村茂はカメラの準備を整えた。

 撮影時、高井戸と河野はかなり声を抑えて演技をしたが、あとでアフレコをするため問題ないそうだ。そもそも、建物を叩く雨音が入ってしまうため、現場で収録した音声は使えないのだという。

 室内、廊下、ロビーと撮影は続いた。深夜の淡い照明に彩られた妖精館の重厚な内装は改めて見ると、なるほど、異様な格式と威圧感を持って迫ってくる。二人の演技もその影響を受けたかのように、静かな迫力を伴うものとなった。素人の勘違いではないだろう。実際、撮影を終えた飛原は実に満足そうにしていた。

 撮影は予定どおり一時間程度で終わり、私たちは最後の確認と後片付けをするべく飛原の部屋に戻った。


 会心の演技だったのか、高井戸と河野は上機嫌で台本の確認をし、飛原と村茂は撮影データの最終チェックをしている。私と乱場は機材の片付け。汐見と朝霧は記録のまとめを任されていた。

 明日は当然撮影の機会など訪れるはずもない。必要なシーンは全て撮れているか。撮影した映像に不具合はないか。もう遅い時間ではあるが、入念にチェックしなければならない。


「おい、朝霧、眠たいのか?」


 汐見の声に顔を向けると、記録簿を広げていた朝霧が、まぶたを閉じて汐見の肩にもたれかかっていた。


「熱があるな」


 朝霧の額に手をあてた汐見が言った。


「風邪?」と河野も近づき、「無理もないかもね。あの雨の中あんなに歩いて、こんな深夜まで働いてたら」

「だいじょぶ……れす」


 朝霧は答えたが、明らかに呂律が回っていなかった。


「全然大丈夫じゃねえだろ。お前はもういいから寝てろ」

「汐見さんに……仕事まかせたら……心配……」

「お前な、こんなときにまで憎まれ口を叩くな」

「私も手伝うから大丈夫よ、朝霧さん」


 河野が声を掛けると、「ふぁい」と朝霧は仕事から手を引く決断を固めたようだった。


「どうだ? 歩けるか? 朝霧」

「おんぶして……」

「しょうがないな」


 汐見は朝霧を背負って立ち上がる。


「乱場さん……」

「あ、はい」


 朝霧に呼ばれて乱場が近づくと、朝霧はその手を握りしめた。汐見は何か言いたそうな顔をしたが、仕方がないなというふうに黙っていた。


「朝霧さん、大丈夫ですか?」

「だいじょうぶらない……だから、乱場さん、一緒に寝よ」

「調子に乗るな!」


 この要求は、断固として汐見に突っぱねられた。


「そうだ」と私は、「何かあると悪いと思って、色々と薬を持って来たんだ。風邪薬もあるよ」

「さすが部長、ファインプレーだぜ」


 汐見が私に向けて親指を立てた。私も同じ動作を彼女に返してから、


「悪いけど乱場くん、朝霧さんに薬を出してやってくれないか。私の鞄に入っている赤いポーチが薬入れだから」

「わかりました」


 乱場は部屋を出た。


「すみません、部長……」

「早くよくなってよ」

「そんじゃ、行くぞ」


 乱場に続き、朝霧をおぶった汐見も部屋を出て行った。



「薬を飲んで、すぐに寝ちまったよ」


 戻ってきた汐見が言った。乱場も薬を渡して、すでに戻ってきている。


「よし、終わり」


 河野が記録簿から顔を上げた。


「こっちも問題なしだ」


 飛原と村茂もカメラをしまう。私と乱場の分の仕事はすでに終わっていた。


「さあ、これで明日は雨が上がり次第、帰るだけだな」


 高井戸が大きく伸びをした。

 急に押しかけて泊めてもらっている身分で、あまり遅く起きるのはまずいため、明日は全員が七時に起床して食堂に行くことに決まった。無論、朝霧は体調を考慮して行動することにして、それぞれが自室に戻った。


「乱場くん、お疲れさま」

「石上先輩も、お疲れ様でした」


 私と乱場はベッドにもぐり、明りを消した。

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