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第2章 撮影隊北へ

「ねえ、部長、その館、どうして〈妖精館〉って呼ばれてんの?」


 妖精館行きのマイクロバスの車中で、汐見綾(しおみあや)が訊いてきた。

 ゲリラ撮影決行日まで幾日の猶予もなかったため、私は自分と乱場(らんば)の他には、二名の生徒を駆り出すことしか出来なかった。そのうちのひとりが、今、私に妖精館名称の由来を(ただ)してきた汐見だ。


「文字通り、妖精が出るからだそうだよ。昔から、あの館の周囲には妖精の目撃情報があるんだ」

「妖精って、小さくて蝶々の羽が生えてる、あれ?」

「そうそう。その妖精だよ『ゴラス』のほうの『ようせい』じゃないよ」

「……何言ってんの? 部長」

「いや……何でもない」

「で、部長も見たことあるの? 妖精」


 その質問に私は首を横に振って答えた。すると汐見は、


「だよねー。妖精なんているわけないもんね。どうせ蝶々か何かを見間違えたとかでしょ?」

「確かに、妖精館の周りには、オオムラサキっていう蝶が沢山生息しているんだよ」

「やっぱりね。そんなことじゃないかと思った」


 ひとり納得したように頷く汐見の横から、


「でも、そんなに簡単に蝶々を妖精と見間違えたりするでしょうか?」


 と疑問を挟んできたのは、私が駆り出したもうひとりの生徒、朝霧万悠子(あさぎりまゆこ)だった。


「何、朝霧。あんた、本当に妖精がいるとでも思ってんの?」


 その朝霧を、じろりと汐見は睨んだ。


「そのような短絡的な話をしたいのではありません」


 朝霧も負けじと汐見を見返した。二人はそのまま視線をぶつけあう。

 ああ、どうして()りに()って、この二人が揃って参加してしまったのか。まだ他の部員が何人かいれば助かったのだが……。

 私はこの妖精館ゲリラ撮影計画に必要な人員を揃えるため、映像芸術部の全員に声を掛けた。だが、飛原の思惑のようにはいかなかった。やはり、今日日(きょうび)の高校生はそこまで暇ではなかったのだ。一泊二日の行程に急遽参加が可能となったのは、私と乱場(らんば)の他には、汐見綾と朝霧万悠子の、何もかもが対照的な二人の二年生だけだった。


 汐見綾は二年生女子の中で一番の長身を誇る。その見た目に(たが)わず運動も得意で、よくバレー部やバスケ部の助っ人に駆り出されている。当然、各運動部から引く手あまたの俊英であるが、どうして彼女のような運動の逸材が映像芸術部に在籍しているのかは、本郷(ほんごう)学園の謎のひとつとされている。部長である私も詳しくは知らない。慢性的に部員不足に悩む我が映像芸術部は来るもの拒まず。入部時に志望動機を訊いたりは一切しないためだ。

 一方の朝霧万悠子は、汐見と並び立つと身長が頭ひとつも違う。当然見上げるのは朝霧のほうだ。彼女を表現するのに才女という言葉ほど相応しいものはないだろう。毎期行われる中間、期末考査の成績は常に学年トップクラス。聞くところに寄れば、中学時代も変わらぬ才媛振りを発揮していたらしい。進学に力を入れているでもない我が学園に彼女が入学してきたことも、学園の謎のひとつに数え上げられている。


「なーんだ。私はてっきり、夢見る少女の朝霧は妖精がいるって信じてるんだと思ってた」


 汐見は、にやにやと笑いながら言い放つ。負けじと朝霧も、


「何ですかそのおっしゃり方は! 晩年のコナン・ドイルでもあるまいし」

「誰だよそれ?」

「汐見さん、あなた、コナン・ドイルもご存じないんですか。何と嘆かわしい」

「はあ? ウェイン・ルーニーなら知ってるけど?」

「語感も字数も、何もかも掠りもしていないではないですか!」


 この二人、それぞれの得意分野が正反対であるだけでなく、性格的にも反りがとにかく合わないらしい。二人が顔を合わせると、何かに付けては、こうして言い合いが始まってしまう。


「それに汐見さん、あなた、勉強もしないで、この集まりに参加なんてしていてよいのですか? 聞きましたよ、一学期の期末考査、全教科の点数を全て合計してもまだ赤点だったとか」

「どこの誰だよ! そんなデマ飛ばしたのは! さすがにそこまでじゃねーよ! 赤点は三教科に抑えたわ!」

「まあ、ひどい! 私、三教科も赤点を取ってしまったら、恥ずかしくて豆腐の角に頭をぶつけます!」

「ぶつけるだけで死なないのかよ! ただの奇行じゃねえか! お前こそ、聞いたぞ。体育で百メートル走を完走できなかったんだってな? 八十メートル地点で体力が尽きてぶっ倒れて、担架で運ばれたそうじゃねえか」

「失敬な! どこのどいつ様ですか、そのような虚言を言いふらしているのは! 私、百メートルくらい難なく完走できます! 一分もいただければ十分です!」

「一分必要な時点で、難大ありだよ! 私がそんな鈍足なら、恥ずかしくて明日からかたつむりとして生活するわ!」

「人間が軟体動物であるかたつむりとして生活するとは、具体的にどのようにすれば可能なのでしょう?」

「いちいち突っ込むなよ!」


 二人は、犬か猫が敵に対して牽制するような低い唸り声を鳴らして睨み合う。嘆息した私は、隣に腰を下ろす「彼」を肘で突いて、


「乱場くん、なだめてくれよ」


 私の隣席に座る乱場秀輔(しゅうすけ)に仲裁役を振った。すると、まだ乱場が何も言わないうちから、二人の唸り声が同時にやんで、


「乱場! 今この腐れインテリを窓から投げ捨てるから、私の隣に来い!」

「乱場さん、こちらのメスゴリラが、すぐに窓からダイブしますから、ぜひ私の隣にいらして」


 目を輝かせて乱場を向いた。

 何もかも正反対で、顔を合わせればいつ何時でも舌戦が始まる汐見と朝霧だが、たったひとつだけ共通点がある。価値観を同じくする事柄がある。それが本郷学園高校一年、乱場秀輔に対する熱い(?)想いだった。


「おいこら! 何で私が走行中のバスの窓からダイブしなきゃならねえんだ! それに誰がメスゴリラだと?」

「ほら、外にバナナが成ってますよ。急いで採りにいかないと。ウホッ」

「バナナじゃなくて、お前の頭の皮を剥いてやろうか!」

「まあ! 怖い! 野蛮にも程があります! 思いっきり蔑んだ目で見てあげますね。ささ、乱場さんもご一緒に……じとー」

「お前! どさくさに紛れて乱場の手を握ってんじゃねえよ! そっちがその気なら……!」


 汐見も腕をのばして、朝霧が握っている反対側の乱場の手首を掴み、さらに自分のほうに引き寄せた。その勢いで自分の席から腰を浮かせた乱場は、両者の間の狭いスペースに詰め込まれるように着席させられた。


「ちょ――ちょっと!」と、左右から上級生女子のプレスに遭っている乱場は、「やめて下さいよ! 二人とも!」


 真っ赤になってもがくが、二人の女子の、特に男子柔道部員を投げ飛ばした実績も持つ汐見綾の腕力から逃れるには、彼の細腕はあまりに非力すぎた。


「石上先輩!」


 助けを求める乱場に小さく手を振って席を立った私は、そのまま運転席方向に移動して、


「すみません、うちの生徒がうるさくして。あとでよく言って聞かせますから」


 前方の席に座る先輩方に頭を下げた。


「いいって。無理を言って来てもらったのはこっちなんだし」


 助手席に座る飛原(とびはら)が笑いながら言うと、


「そうそう。若いやつは元気なのが一番だって」


 その後ろの席に座る高井戸明人(たかいどあきと)も笑みをこぼした。彼がこの自主制作映画の主演を務める俳優――といっても、本来の身分はもちろん、飛原と同じ映画サークルに所属する大学生だが――だ。彼は大学三年の二十一歳。主演男優と言うだけあって、テレビに出る芸能人とまではいかなくとも、なかなかの二枚目マスクで、おまけに背も高い。


「ふふ。それにしても」と次に、高井戸の隣に座る女性が、「石上くんがあの三人を連れてきたのを見たときは、びっくりしちゃった。何だこいつ、女の子を三人もはべらせて。って思ったから」


 そう言って後方座席で喧噪を巻き起こしている三人の高校生を見つめるのは、高井戸と同じく映画に出演する女優、河野弥生(こうのやよい)だった。彼女は高井戸のひとつ下、二十歳の大学二年。この河野も女優を務めるというに申し分のないルックスをしている。


「こいつ、モテ系サブカル男子だなって思ったら、ショートカットのひとりは男の子で、さらに、他の二人の女子も、その彼に夢中だなんてね」

「驚かせてしまって、すみませんでした」


 私はもう一度頭を下げた。


「ふふ。謝ることないじゃない。ねえ、でも、彼――乱場くんだっけ? 本当に男の子なの?」


 河野が未だ疑いの眼差しを向けるのも無理はない。


「正真正銘の男子ですよ、乱場くんは」

「そうかー……ねえ、確かめてもいい?」

「ど、どうやって……?」

「……決まってるじゃない」


 河野の目が鋭く光った。


「おいおい、河野、女子が男子を襲っても罪になるんだぞ。このサークルから犯罪者が出るなんて、俺は御免だぜ」


 そう言って、がははと笑ったのは、マイクロバスのハンドルを握る村茂豊(むらしげゆたか)だ。彼は飛原と同級生(と同時に大学生でもある。つまり、村重も留年経験がある)で、サークルではカメラマンを務めている。飛原と同級生ということは、年齢も同じ二十三歳のはずだが、彼は飛び抜けて実年齢よりも高く見える。実年齢に十歳プラスしても何ら違和感はないだろう。が、老けているというよりは大人びているという印象のほうが断然強い。歳が上に見られて得をするタイプの外見と言えるだろう。

 高校生と大学生、それぞれ四名ずつ、計八名を乗せたマイクロバスは、妖精館をめざして東北自動車道を北上していた。



 途中休憩も含めた三時間強程度の時間をかけて、私たちは仙台市青葉区の山中に到着していた。

 私たちはコンビニで買い込んだ昼食を済ませると予定どおり、とりあえず山中での撮影を開始した。村重が回すカメラの前で行われる高井戸と河野の演技を、脚本兼監督の飛原が真剣な眼差しで見つめる。私たち高校生組も、カチンコを鳴らしたり、レフ板を当てたり、記録を取ったりと、それぞれに仕事をあてがわれて忙しくしていた。


「雲が……」


 撮影機材をバスに積み込んだ乱場が、空を見上げて呟いた。私も仰ぎ見ると、いつの間にか頭上には、青空を浸食するように灰色の雲が垂れ込め始めていた。


「これは本当に降りそうですね」


 乱場の声に私も頷く。私たちは山での撮影を終えて、今まさに下山する直前だった。

 飛原のシナリオでは、私たちはこのあと、乗ってきたマイクロバスが雨にぬかるんだ山道で身動きが取れなくなり、〈偶然〉発見した妖精館を訪れることとなる。そこで館の主人である笛有庸一郎をうまく説得し、首尾よく館に潜り込み、本来の目的である館内でのゲリラ撮影を敢行する手筈となるのだ。


 結論から言うと、我らが偉大な先輩、飛原監督の目論見は見事に当たった。当たりすぎるほどに当たった。「真実味を出すために、もう少し雨脚が強くなってからバスを動かすか」などと余裕を持った飛原の指示が見事功を奏した(?)のだ。バスを発車させてからほんの数分で、狭い未舗装路である山道はちょっとした小川のような状態に急変した。村重はハンドルを大きく左右に切り、四苦八苦しながら何とかバスを操っていたが、とうとう濁流の流れに抗いきれず、ぬかるみにタイヤを取られてしまった。そこからもうバスは一センチも進まない。村重がいくらアクセルペダルを踏み込もうが、バスは大きく傾いたまま空しくタイヤを空転させて、泥水を巻き上げ続けるだけ。それは飛原が予定していた〈バスの停止ポイント〉よりも遙かに手前の地点だった。


「こうなったら仕方がない。みんな、ここから妖精館まで走ろう」


 飛原が、館での撮影に使う小型カメラを鞄に入れながら言った。


「本当にこの雨の中外に出るんですか? バケツどころか、大浴場をひっくり返したような土砂降りですよ」


 朝霧は、窓に手を当てて不安そうな表情を浮かべる。


「仕方ねえだろ。傘も雨具も持って来てねえんだし」


 汐見の言ったとおりだ。全く予期せぬ雨に見舞われた、という真実味を出すため、私たちは雨具の類いを一切用意してきていない。全ては「フィクションに必要なのはリアルだ」を信条としている飛原の提案によるものだった。


「汐見さんでしたら、予定していた地点までバスを引っ張って行けるんじゃありませんか?」

「お前な! 真顔でそういうことを言うなよ!」

「しかも、バスに繋いだロープを咥えた状態で」

「大昔のプロレスラーかよ!」


 汐見が突っ込んだ直後、


「みんなで覚悟を決めるしかないだろうな」


 言いながら主演俳優の高井戸がパーカーのフードを被った。女優の河野も脱いだ上着を頬被りをするように頭に巻き、村重もすでにバスのエンジンを切って、ハンドルから手を離していた。私たち高校生組の四人も、互いに顔を見合わせてから一度頷く。こちらも覚悟は出来た。


「じゃあ、行くぞ」


 飛原がバスのドアを開けると、その彼を先頭にして私たちは外に躍り出た。最後にバスを出た村重がドアを閉めてロックを掛ける。私たち撮影クルー八人組は、土砂降りの山道を一路、妖精館に向かって走り出した。



「この橋を渡ったらすぐに見えてくるはずだ」


 先頭の飛原がそう言いながら前方を指さした。


「橋って……あれかよ?」


 高井戸が頓狂な声を上げた。雨のカーテンの先、濁流流れる川に架かっていたのは、およそ車一台が通行できるほどの幅しかない小さな木橋だった。私たちは一旦、橋の手前で立ち止まった。


「大丈夫なの?」


 不安そうな声で河野が口にしたのも無理はなかった。橋の長さはおよそ十メートル程度と決して長くはないのだが、先も書いたように幅が車一台分程度しかないせいで、異様に細長く危うく見える。おまけに材質は木で、橋のすぐ下には、この雨により増水し濁流と化した川面が数十センチと迫っていた。

 正直、私もこれには面食らった。幼少時に何度かこの橋を渡って妖精館を見に行ったことはあるが、その記憶の中にあった橋はこれよりもずっと大きかったからだ。無論それは、当時の私が子供だったせいだ。成長して自分が大きくなれば、同じ橋を見ても相対的に小さく感じられるのは当然だ。


「心配ないさ。町からの宅配の車は、みんなこの橋を渡って妖精館まで行ってるんだ」


 言うなり飛原は橋を渡り始めた。それをきっかけに、私たちも続いて木橋を渡る。


「ねえ」突然、私のすぐ横を歩く河野が話し掛けてきた。「妖精館へ出入りする道って、この橋しかないんでしょ?」

「そうです。館は他の三方を崖に囲まれていますから」

「だったら……この橋が流されたら、私たちは妖精館に閉じ込められちゃうってことね」

「えっ……?」

「ふふ」私の表情がことさら不安そうに見えたのだろうか、河野は微笑むと、「冗談よ、冗談。そんなことあるわけないでしょ」


 言葉どおり、冗談めかした口調で言った。すると、


「それってよ……」と、今度は彼女の前を歩く高井戸が、「いわゆる〈クローズド・サークル〉ってやつになるな」

「ちょっと、高井戸、何言ってんのよ!」

「怖い顔すんなよ。俺のほうこそ冗談だよ、冗談」


 あはは、と笑い声を上げながら高井戸は前に向き直る。〈クローズド・サークル〉そして……。私は思わず振り返った。ここには〈名探偵〉と呼ばれる少年がいる。その少年探偵はというと、


「ちょ、ちょっと、お二人とも、縦に並んで歩いた方がいいです。橋の幅が狭いから危ないですよ」

「だってさ、朝霧。お前、前に出な」

「汐見さんが後ろにさがればよいのではないですか?」


 汐見綾と朝霧万悠子、二人の上級生に左右から体を密着させられた状態で、狭い橋の上を歩いていた。

 妖精館が私たちの前にその姿を見せたのは、飛原の言葉どおり橋を渡ってすぐ、左右を木立に挟まれた曲がりくねった道を十メートルほど歩き終えた頃だった。

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