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第1章 妖精館へのいざない

石上(いしがみ)、〈妖精館(ようせいかん)〉って憶えてるか?」


 私が飛原孝司(とびはらこうじ)からそう声を掛けられたのは、夏も終わりに近づいた八月末のことだった。

〈妖精館〉それは、宮城県仙台市青葉区(あおばく)の山中に建つ洋館であり、「山中にひっそりと佇む」という、この手の洋館を表現するために使われる格式とも言える形容が、そのままぴたりとあてはまる館だった。


「ええ、もちろん」


 私は、かつての記憶にある妖精館を頭に思い浮かべながら、そう答えた。

 私は現在、福島県会津若松市(あいづわかまつし)に住み、同市内の高等学校である本郷(ほんごう)学園に通う高校生だが、小学校までは仙台市青葉区で過ごしていたのだ。私の住んでいた町は、青葉区の外れに位置している小さな町で、周囲には広大な山林が広がっている。妖精館は、その山林の中に建っていた。

 妖精館はその立地が独特だった。正面を除いた三方を切り立った崖に囲まれ、残る一方には川が流れている。その川に架かる狭い橋だけが、妖精館へ出入りできる唯一の道なのだ。

 私の目の前にいる飛原孝司とは、その頃からの知り合いだ。飛原は私よりも五つ年上だから、今は二十三歳か。彼も高校卒業と同時に生まれ故郷である仙台を離れて、東京の名前も聞いたことのないような大学に進学し、現在の身分も大学生だという。この年齢で大学生ならば、留年しているということだ。


「その妖精館がどうかしたんですか?」

「ロケをしようと思っている」


 そういうことだったのか。飛原は大学で、いわゆる〈映画サークル〉に入っており、そこで制作する映画の舞台として妖精館を選んだらしい。飛原はサークルの代表であり監督でもあった。


「あちこちロケハンに廻ってたんだけどな、どこもこう、何て言うかしっくりこなくてな。で、ある日突然思い出したわけだよ、妖精館を。あの瀟洒ながらも怪しく、気品さと不気味さが混在となった妖精館なら、俺のイメージにぴったりだと気付いたんだ」

「まだあるんですか? 妖精館」


 熱っぽく語る同郷の先輩に私は訊いた。


「ああ、地元の仲間に確認してもらった。写真も送ってもらったぞ。見るか?」


 飛原は携帯電話を操作して画面を私に向けた。緑の森を背景にした一軒の洋館が撮影されている。古色蒼然としたそれは、紛れもなく私の記憶にある館そのものだった。私が妖精館を最後に見たのは、確か小学六年の夏休みだった。


「全然変わってないだろ」


 私の心中を飛原がそのまま言葉にしてくれた。私は思わず、二、三度頷く。


「でも、先輩」と私は画面から顔を上げて、「ロケをするということは、許可は取ってあるんですか? 妖精館が健在ということは、ここに住んでいるのは……」

「ああ、それも確認済みだ。笛有庸一郎(ふえありよういちろう)と、その娘の(かすみ)、その二人が今も変わらず住み続けている」

「やっぱりですか。よく撮影許可をもらえましたね。館の主人である庸一郎さんから」


 私は驚嘆の目で飛原を見た。妖精館主人、笛有庸一郎(私は、ここで飛原から聞くまでは、その名前をすっかり忘れていたのだが)といえば、偏屈を絵に描いたような人物として知られていたからだ。正確な年齢は分からないが、私の記憶にある庸一郎は三十代前後くらいに見えていた。ということは、現在は三十代半ばか四十代に手が届く程度になっているだろうか。最も、子供が外見から推察した大人の年齢など、あてになるものでは全くないが。特に小学生くらいの子供にとっては、見た目が余程よぼよぼの老人でもなければ、三十代も四十代も「大人」という大きな括りでしか年代を区別できてはいない。

 笛有庸一郎は、興味本位で妖精館を眺めに来る子供(かつての私たちのような)を見つけると、鬼のような形相で追っ払っていた。あるときなど、庭仕事をしている最中であったため、草刈りに使っていた鎌を振り上げながら迫ってきたこともあった。私も何度か庸一郎に追いかけられた記憶はある。子供にとって激怒した大人というものは絶対的な恐怖の対象だが、同時にそれを、ある種の享楽として受け止めるしたたかさが子供にはある。私たちは悲鳴を上げて庸一郎から逃げることに、恐怖とともにスリルという名の楽しみも味わっていたのだ。それは子供だけに許される遊びだ。そのため、庸一郎のことを親や教師に告げ口する子供などひとりもいなかった。

 とにかく庸一郎は、他人が自分の〈妖精館〉に立ち入ることはおろか、近づくことも極度に嫌っていた。そんな庸一郎が、妖精館を映画撮影のロケ地として使う許可を出したとは。庸一郎氏も丸くなったということなのだろうか。私は大いに驚いていたのだが、


「許可なんて、もらえるわけないだろ」


 飛原が言った。えっ? と顔を上げた私に、


「妖精館主人、笛有庸一郎は心身ともに健在らしい。今は、俺たちの世代みたいに森の中に遊びに入るような子供は少なくなったそうだが、それでも中には好奇心旺盛なやつもいる。興味本位で妖精館に近づく当時の俺たちみたいな悪ガキどもを、庸一郎は今も変わらず追い返しているそうだ。鬼みたいな顔をしてな。そんな人に撮影の許可なんてもらえるわけないだろ」

「やっぱりそうでしたか。でも、撮影の許可をもらいに話をしにいっただけでも、先輩は凄いと思いますよ。庸一郎さんには、どういうふうに断られたんですか? 鎌を持って追いかけられましたか?」


 冗談めかして私は訊いた。が、


「断られてなんていないぜ」

「……はあ?」


 何を言ってるんだこの人は、と思った。許可をもらっていないが、断られてもいない?


「最初から笛有庸一郎に話なんてしてないんだ。断られることは目に見えて分かってたからな」

「で、でも、するんですよね、撮影」

「ああ、するよ」

「も、もしかして、先輩……」

「そうだ」飛原の目が、きらりと光った。ような気がした。「ゲリラ撮影だよ」

「ええっ? 無茶でしょ?」

「俺にいい考えがある」


 そう言って口角を上げた飛原の目は、今度は気のせいではなく鋭く光った。


「まず、俺たちロケ隊は、妖精館近辺の山中で撮影を行う。幸い、今回の映画には森の中のシーンもあるからな。で、撮影を終えた帰り道に雨が降り始め、移動に使っていたマイクロバスが舗装されていない山道の泥に嵌ってしまい動けなくなる。助けを呼ぼうにも、あの辺りはまだ携帯の電波も入らない地域のため、どことも連絡が取れない。時間は夕刻。仕方なく俺たちは徒歩で山を下りようとするが、車で移動したときとは勝手が違うため方向感覚が狂い、道に迷ってしまう。途方に暮れた俺たちの目の前に現れたのが……」

「妖精館、ということですか」


 私が言うと、飛原は満足そうに頷いた。


「で、そのまま妖精館に泊めてもらい、その間にゲリラ撮影をしてしまおうと、こういう魂胆なわけですね」


 さらなる私の推測にも、飛原はやはり大きく頷いて、


「俺が、笛有庸一郎に撮影許可の話を持って行かない理由が分かっただろ」

「ええ。前もって撮影の話をしてしまうと、道に迷って妖精館を見つけたというのが、全て撮影のための計画だとばれてしまう可能性があるからですね。庸一郎氏から撮影許可をもらえるのが一番よいのだけれど、氏の性格上、すんなり撮影許可がもらえる可能性はゼロに近い。だったら、そんなギャンブルを犯して庸一郎氏に疑念を抱かせてしまうよりは、いきなりトラブルにかこつけて強行突入したほうがいいと」

「さすが石上。俺の考えをよく分かってるじゃないか。どうだ。うちの大学に来ないか? 一緒に映画を撮ろうぜ」


 あなた、来年も留年するつもりなんですか? と言いたくなるのを堪えた。


「まず」と私は、その言葉の代わりに、「疑問点が三つあります」

「おお、何でも訊いてくれ」

「撮影日に、そんな都合よく雨が降りますか?」

「それについては抜かりない。妖精館近辺の地域が夕方から雨になる日を調べてある。天気予報はもちろん、そっち方面に詳しい大学の教授からも太鼓判をもらった。その期日は四日後だ。その日、間違いなくあの地域は昼間の快晴が嘘のように夕方から大雨になるはずだ」

「念の入ったことですね。で、二つ目の疑問なんですけれど、そんな事情を説明したとしても、あの庸一郎氏がすんなりと妖精館への立ち入りをを許可しますかね?」

「それも問題ないだろう。いかな偏屈な笛有庸一郎とて、夕暮れどきの雨降る山中、道に迷った学生を追い返すような非道な真似はしないだろう。もちろん、俺たちの正体が映画サークルだなんてことは言わない。夏休みに浮かれて慣れない山に入ってしまった馬鹿な大学生を演じる。今はカメラもコンパクトだから、鞄に難なく隠せるしな」

「庸一郎氏が館の電話で助けを呼ぼうとしたり、車を出すことになったら?」

「あの館には固定電話はないんだ。そもそも電話線自体が引かれていない。さらに、館には車もない。庸一郎も娘の霞も免許は持っていないんだ。食料なんかの生活物資は、定期的に麓の商店が届けてくれることになっている」

「そうなんですか?」

「ああ、調べは万全だ。間違いはない」

「しかも、あの辺りは携帯の電波も届かないんですよね。本当に孤立した館なんですね、妖精館は」

「そんな状況だから、庸一郎が鬼でもなければ、間違いなく泊めてもらえるはずだ。いくらか謝礼も用意するしな。まあ、庸一郎が金で動くとは思えんけどな」


 それは私も同感だ。なにせ、笛有庸一郎は働いていない。少なくとも、彼がどこかに務めに出ているという姿も、そんな話も聞いたことがなかった。子供の頃に耳にした噂によると、親から莫大な遺産を継いだため、その資産で十分食べていけるし、妖精館も維持していけるのだとか。


「で、最後の疑問って何だ?」


 同郷の先輩に促されて、私は、


「どうして、そんな話を私にするんです?」


 飛原は、東京からわざわざここ、福島県会津若松市に来て、私にこの話をしているのだ。その真意を問いたい。


「決まってるだろ。ロケの応援を頼みたいんだ」

「はい?」

「サークルのメンバーは、講義に出なきゃならないだの、バイトだの就職活動だの、みんな忙しくしててな。幸い、妖精館で撮影する場面に登場する役者は二人だけだから、その二人には何とか都合を付けてもらったんだ。カメラマンの村茂(むらしげ)は年中暇だから問題ないんだけどな。だから、サークルから参加可能なのは、俺も含めてその四人だけなんだ。天候のこともあるから、日取りをずらすことは不可能だろ」

「どうして私に? 大学生なんて人生で一番暇な時期でしょ。サークルのメンバーじゃなくても、暇な人なんて掃いて捨てるほどいるでしょ」

「石上、お前、大学生に偏見を持っていやがるな!」


 人生で一番暇な時代を、すでに人よりも一年多く過ごしている先輩が、びしっと私に指をさしてきた。


「今どきの大学生はみんな忙しいんだよ! サークルの映画撮影の雑務を引き受けてくれる暇な学生なんて、そうは見つからないんだよ!」


 ということは、先輩は相当暇な学生ということになる。就職活動はいいのか? と思ったが、先輩は来年も留年を果たすつもり満々らしいので心配は無用か。


「それにな、サークル外のやつにこんなこと頼んだら、間違いなく謝礼を要求されるだろうが!」


 多分、そっちが本音だ。


「というわけで、お前以外にも何人か集めてもらいたい。高校生なら夏休みだから暇だろ」

「うーん……。そうは言われましても」


 私は頭を掻いた。彼のほうこそ高校生に偏見を持っているのではないか? 飛原先輩の時代はどうだったか分からないけれど、今どきの高校生は暇じゃない。


「大学生のサークルとはいえ、映画の撮影に参加できるんだぞ。そっち方面からも攻めてみてくれよ。お前の通ってる高校にも映画研究会的な部活はあるだろ?」


 飛原が言ったとおり、そういった部活は確かにある。そもそも――


「――あ、石上先輩」


 声を掛けられた。飛原と話をしていたファストフード店に入ってきた高校生からだった。振り向いた私も、やあ、と返事をして軽く手を上げる。私の肩越しにその生徒を見た飛原は、


「後輩か?」


 小声で話し掛けてきた。


「ええ」

「もしかして……彼女?」

「違いますよ」


 飛原が、その生徒のことを「彼女」と言ってしまったのも無理はない。今は夏休み期間のため、私も、その生徒も私服姿だったからだ。飛原が私の彼女と勘違いした「彼」は、私の近くまで歩み寄ると、私の対面に座る飛原に向かって、ちょこんと頭を下げて、


「石上先輩のお知り合いですか?」

「ああ、石上とは同郷なんだ。君は、彼の後輩だね」

「はい。部活も同じです」


 しまった。


「部活が? そういえば俺」と、ここで飛原は私に向き直って、「お前の所属している部活を聞いてなかったな」


 仕方がない、と私が答える前に「彼」が、


「映像芸術部です」


 私が所属し、部長も務めている部活の名称を口にした。


「映像芸術部……それは、どういった活動をしている部活なの?」

「主に映画の批評や紹介文などを書いて、毎月の学校新聞に掲載しています。他にも、短いですけど自主映画を撮影して、文化祭に公開したりすることもあります」

「つまりは、映画研究会的な部活と言うことかな?」

「はい。映画研究会だとありきたりだからって、何代か前の部長が名称変更したそうです。文章芸術を扱うのが文芸部だから、それに倣って映像芸術部。本当は略して〈映芸部〉にしようとしたんですけれど、語呂が悪いからって、今の名称に落ち着いたそうです」

「で、君も石上も、その映像芸術部に所属していると」

「はい。石上先輩は現部長です」


 人見知りすることなく誰とでも気軽に話せる「彼」の性格は大変な美徳だと私は常日頃から思っているのだが、このときばかりは「彼」の、その気さくな人柄を呪った。


「……どうしてそれを早く言わなかったんだ、石上くん」


 再び私を向いた飛原の顔は、喜悦に歪んでいた。

 東京にいる飛原から突然、「会って話したいことがある」という連絡を受け、不安を感じた私は、なるべくこちらの情報を出さない方がよいと思い、今まで必要最低限のことしか喋ってこなかったのだ。


「さっきも言ったけど、俺は石上くんと同郷の先輩でね、東京の大学で映画サークルに入っている、飛原というものだけど……」


 飛原は、私に話した〈計画〉の全てを「彼」にも聞かせた。その結果どうなるかは火を見るよりも明らかだった。好奇心旺盛な「彼」が、こんな話に乗ってこないわけがなかった。


「面白そうじゃないですか!」と大きな目を輝かせて彼は、「行きましょうよ、石上先輩!」


 そのまま私の目を見てきた。対面では飛原がうんうんと満足そうに頷いている。「これで決まったな」表情がそう言っていた。再び私の後輩に目を移した飛原は、


「よろしく頼むよ……ええと……」

「一年の乱場秀輔(らんばしゅうすけ)と言います」

「そうか、乱場さんか……え? しゅうすけって、名前?」


 彼の名乗りを聞いた飛原が目を丸くした。全く無理もない反応だと思う。


「は、はい……」


 そこで彼、乱場秀輔も、飛原の勘違いに気付いたように、少し顔を赤くしながら胸をことさらに張った。Tシャツ越しに浮かぶ彼の真っ平らな胸が、飛原の勘違いを是正する。飛原のほうは、今までちらちらと目を向けていた、膝上丈のショートパンツから延びる乱場の白く細い(すね)から、あからさまに目を背けていた。


「というわけだ、石上、お前と乱場くんの他に、もう二人くらい誘ってくれるか?」


 飛原の言葉に私は、「は、はい」と答えるしかなかった。

 私の頭の中は、今起きている事態を整理するだけで精一杯だった。

 山中に建つ妖精館。そこへ潜入する映画撮影部隊。偏屈な館の主人、笛有庸一郎への対処として、飛原はトラブルを装って妖精館へ入り込む。計画に利用するのは当日の悪天候。作戦決行日は夕方から雨が降るという。私たちは乗ってきたバスが動かなくなったことにして宿泊を懇願し、まんまと妖精館に入り込む手筈で……。

 ここで、はっ、と気が付いた。妖精館には固定電話がなく、おまけに携帯の電波も届かない場所だ。そこへ駆け込んでくる数名の人間。外は降雨で、麓まで降りる足もない。これは典型的な〈クローズド・サークル〉ではないか。もちろん、バスが動かなくなるというのは館に潜入するためのフェイクなのだが、もし、万が一、本当にバスが動かなくなってしまったら? さらには、予想以上に雨が激しくなり、館と外界とを繋ぐ唯一の道である橋が流されでもしたら? 形だけではない、本当のクローズド・サークルが出現してしまう。そんなところに、我が本郷学園の名探偵、乱場秀輔が足を踏み入れる……。

「探偵が事件を呼ぶ」

 そんな世間でよく言われる言葉が、不安とともに私の脳裏に浮かび上がっていた。

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