最終章 妖精館殺人事件
妖精館の〈クローズド・サークル〉は意外に早く解かれることとなった。原因となったのは庸一郎だった。彼は自らが燃やした霞の死体が、まだ焼き足りないと判断したようで、私たちの隙を見てもう一度火を放ったのだ。それがまだ昼間の時間帯で、外が無風状態だったことも手伝い、炎から上がる煙は、まっすぐに狼煙のように立ち上った。それが麓の民家の住人の目に留まり、消防に通報がなされ、それから僅か一時間程度で、川にはしご車を渡して消防隊員と警察官が妖精館に立ち入ることになったのだ。
全ては乱場秀輔の推理どおりだった。笛有家は代々、屋敷の奥地に自生している麻を大麻の原料として密売しており、それで巨額の財を築いていたのだ。庸一郎が付けていた帳簿から彼の「顧客」も判明し、これから芋づる式に大麻密売業者が検挙されることになるだろう。
霞の死体はそれでも完全に焼けることはなかったようで、彼女の死体からはシアン化カリウムとともに、やはり大麻の成分が検出された。
さて、私、石上誠司自身のことだが、私は乱場の推理を聞き終えると素直に犯行を認め、それからすぐに突入してきた警官隊に身柄を引き渡された。妖精館でともに過ごした撮影隊のみんなの顔は努めて見ないようにした。乱場、汐見、朝霧の三人は特に。あの三人がどんな顔で、警察に連行される私を見送ったのか。今となっては知る由もない。見ておけばよかったという後悔と、見ずに済んだ安堵とが両方、私の胸中に混在している。私が妖精館で最後に見たのは、木々の間を優雅に飛び回るオオムラサキの群れだった。
私は現在、拘置所で過ごす身柄となり、許可を得て、あの妖精館で起きた事件のあらましを綴っている。結果として、記述者である私自身が犯人という、変則的な(だが不可能犯罪の記録小説にはたまにある)記述となってしまった。
だが、こうして書いていて思ったのは、他の「記述者が犯人」である小説よりは、犯人である私自身の行動を、ほぼ漏らさずに書き記すことが出来た――こういう言い方が適切かは分からないが――フェアな記述になったのではないかということだ。特に霞を殺害する場面などがそうだ。私が使ったトリックは乱場が推理したそのままなのだが、その様子がかなり細かに描写されているのではないか?
例えば、「第7章 急変」で私はこのような一文を書いた。
私も薬を口に入れてグラスを手にした。
これは額面どおりに受け取れば、乱場から配られた風邪薬を飲んだという記述に捉えられるかもしれないが、当然、事実は全く異なる。このとき私が口に入れたのは、「(毒)薬」で、この「薬」はその後私の口内でコーヒーと混ぜ合わされてカップに戻されるわけだから、もちろん飲み込んだりはしない。文字どおり「口に入れ」ただけにすぎない。「グラスを手にした」のも、本当にただグラスを掴んだというだけのことだ。入っている水を飲んだりはしていない。
そして、実際に口に含んだままの毒をコーヒーと一緒に戻す場面の描写が次のこれだ。
私はコーヒーをひと口すすってカップを置くと、
私は確かにコーヒーを「ひと口すすっ」ただけで飲み込んではいない。実際は「すすって」から「カップを置く」までの間に、すすったコーヒーで口内にある毒薬を溶かして、そのコーヒーをまたカップに戻す、という動作が行われたのだが、さすがにそれを描写するわけにはいかないだろう。カップを置いたのも、メインに使われていたテーブルではなく、霞の隣にあったサイドテーブルの上にだ。私はそもそも最初は霞の近くにいて、毒入りコーヒーを残したあと、間違えた振りをして霞の使っていたカップを手に取り、そのまま飛原の隣に移動したのだ。そのときの描写がこれだ。
私はカップを手に取って立ち上がり、
確かにカップを手に取ったが、それが誰のものだったかまでは書かれていない、ということだ。
結果、先に書いた、口内からコーヒーをカップに戻したことに続いて、大事な部分や主語を省略して書いた形となってしまったが、これくらいは目を瞑ってもらいたい。なにせ、これは私が犯した犯罪の記録であると同時に、名探偵乱場秀輔の事件簿のひとつとしても読めるものにするつもりだからだ。そのために「読者への挑戦」などという外連味も加味させてもらった。
ついでに書かせてもらうと、私は常々、この「読者への挑戦」というものに疑問を抱いていた。「挑戦」が挟み込まれる作品において、その「挑戦者」の多くが作品の記述者、ないし事件を小説化した作家であることが不満だったのだ。事件の謎を解くというのが「挑戦」の趣旨なのであれば、その「挑戦者」は事件の犯人が務めるべきではないのか? と。今回、期せずして私が理想とする「挑戦者=犯人」の図式が成り立ったことに個人的に満足している。
さて、この事件を「小説」として成り立たせるためには、私が笛有霞を殺害した動機について書き記しておくことは絶対条件だろう。
私が霞を殺そうと思った動機は、実はいくつかある。ひとつにそれは、乱場や汐見、朝霧たちを守るためというのがあった。霞の死体から大麻の成分が検出されたことから分かるとおり、彼女は大麻を常習していた。霞は、突如妖精館を訪れた私たちを好意的に迎え入れてくれたが、その実、私たちを自分の仲間に引き込もうという目論見があったのだ。
妖精館を訪れた日の深夜、私は霞と会っていた(第4.5章の視点人物は私、石上誠司である。記録簿としては、この場面も漏らさず書き記さねばならないのだが、前述のとおり、この手記は乱場の事件簿のひとつ、つまり、多くの探偵事件記録小説と同じく「本格ミステリ」としても読めるようにしたかった、という私の望みがあるため、あのような書き方で記録するしかなかったのだ。お許し願いたい)。
あの記述では胡乱で断片的な表現をしなければならなかったが、霞が私に伝えたことは、概ね以下のようなことだった。
「明日の夜、私たち全員で大麻パーティをしよう。料理にこっそりと〈これ〉(言うまでもなく、霞が持っていた袋に入っていたのは大麻だ)を混ぜるから、あなた(私、石上誠司のこと)も協力して」
何を馬鹿なことを。と私は思った。彼女の破壊的な享楽に大学の先輩方はもちろん、かわいい後輩たちを巻き込むことなど、私が許すはずがない。だが、それを断った私に霞は脅迫を仕掛けてきたのだ。彼女はあろうことか、私の「ある秘密」を握っていたのだ。これは完全に私の油断だった。この「秘密」を守ることも、私が彼女を殺す動機のひとつとなった。「秘密」が何であるかについては、極めて個人的な事柄であり、私のみならず他の人の名誉にも抵触する問題のため割愛させていただきたい。
私は朝食の席で戦々恐々としていた。霞が「秘密」を暴露するのではないかと気が気でなかったのだ。だが、霞は何事もなかったように、私たちとの朝食を楽しんでいた。これを私は訝しんだのだが、その疑問はすぐに解かれることとなった。霞は夜のうちに水門を開け、橋を流してしまっていたのだ。どうせ私たちはこの妖精館に留まるしかない。朝食の席で霞は、そうなることを承知済みだったのだ。
のちに電話線が切られていることが判明した際も私は、やったのは彼女だろうと想像が付いた。恐らく霞は、庸一郎を邪魔に感じていたのだ。自分が私たちを誘って大麻パーティを開くなどしたら、妖精館の秘密が外に漏れてしまう危険性が高まってしまうため必ず中止させられる。その際に庸一郎は腕力で物事を解決することに秀でた顧客に連絡を取り、妖精館に乗り込ませるに違いない。それを阻止するために彼女は外部との連絡手段を断ったのだ。私たちを妖精館に留まらせるためにそこまでするとは。彼女は正気を失っていたのではないかと私は思わざるを得ない。私たちは、霞という蜘蛛に捕らわれた蝶だった。
私が霞を殺した動機の最後のひとつは、「第4.5章」の記述にあるように、「彼女が私のことを好きになった」という理由によるものだ(私がこの彼女の気持ちをトリックに利用したのは、乱場の推理どおりだ)。初対面の私のことを、どうして霞が好きになったのかは分からない。一目惚れ、というものは本当にあるのだろうか。他に理由としては、霞は幼い頃の私をすでに見ていたのではないかということが考えられる。
遊び半分で妖精館に忍び込んでは庸一郎に追いかけられるという、危険な遊びに興じていた、あの頃。もしかしたら霞は、妖精館の窓から敷地内に侵入してくる子供たちのことを見ていたのではないだろうか。そこで見た私のことをずっと憶えていて……。彼女が父親の反対を押し切って私たちを妖精館に引き入れてくれたのは、私がいたから……? いや、それはないだろう。あれから何年経っているというのか。当時の面影を私がまだ残しているとは考えがたい。
霞が父親以外に顔を合わせる異性といえば、庸一郎の顧客しかいなかっただろう。そんな裏稼業に手を染めた人間しかまともに見てこなかった彼女には、突如として妖精館を訪れた堅気の若い男性という存在は、強烈な印象を持って目に映ったに違いない。中でも私にだけ特に好意を持ってくれたというのは複雑な心境ではあるが。
なぜ、笛有霞が私を好きになるといけないのか。それは、私がどうあっても彼女の想いに応えることが出来ないためだ。彼女は言った「死んでも諦めない」と。そこまでの覚悟があるのであれば、本当に死んでもらおう。私の思考も、その時点でもしかしたら正気を失っていたのだろうか。
乱場が推理の決め手とした、ポーチに残された薬の数の問題。あれは完全な私のミスだった。乱場の推理どおり、私は風邪薬を飲む振りをして、その実、隠し持っていたシアン化カリウムを口に入れたのであるが、私は使われなかった風邪薬をどう処分するか考えていた。その辺に捨ててしまってもよいが、もし、それを誰かが発見したら。もしくは、捨てる現場を見られていたら。そんな思案をしていた私は、朝霧が「薬を調べてみよう」と提案したとき、こんな簡単な方法があったじゃないかと自分に呆れ、また内心ほっとしていたのだ。それはつまり、薬を元々あったポーチに戻してしまうという処分方法だ。こんなに単純かつ安全な処分場所はない。〈葉っぱを隠すなら森の中〉レジェンド探偵ブラウン神父の偉大さを私は改めて思い知ったのだ。
私は鞄からポーチを出し、乱場たちが待つテーブルに持っていくまでの僅かの間に、使用しなかった風邪薬をさりげなくポーチに戻したのだ(当然のことながら、この動作も記述では割愛させていただいた)。だが、まさかそれが仇になってしまうとは。乱場が薬の在庫数まで把握していたとは。さらに、飛原が私や乱場も知らないところで、こっそりと薬をひとつ消費していたとは。こんなつまらないミスで犯行が発覚してしまうというのも、不可能犯罪の犯人らしいのではないかと私は自嘲する。
霞が殺された直後、乱場は私たちに向かって「犯人は名乗り出てほしい」と嘆願したが、犯人である私はそれをしなかった。そのことについて乱場は、「犯人はみんなを怖がらせて楽しんでいる」「僕たちのことを仲間だなんて思っていない」と評したが、それだけは否定させてもらう。私は乱場を含めた後輩たちも、飛原たち先輩方のことも皆、(すでに向こうはどう思っているかは分からないが)大切な仲間だと今でも思っている。私があの場で名乗り出なかった理由は、彼に、名探偵乱場秀輔に私を糾弾してほしかったからだ。私のトリックを暴き、私が犯人だと名指ししてほしかったからだ。妖精館のあのリビングは、名探偵が最後に推理を披露する舞台として、まさに打って付けだったではないか。
私はこれまで、乱場とともに何度か事件の解決の場に立ち会ってきて、その都度、乱場に名指しされて犯行を暴かれる犯人たちに対して、羨ましいと感じることがあった。あの、乱場の妖艶な視線で射すくめられ、崩れ落ちてきた犯人たち。彼ら、彼女らに対して……。
余計なことまで書いてしまったが、これで事件に関することはほぼ全て記し終えただろうか。
いや、凶器となったシアン化カリウムについて、まだ何も書いていなかった。あれは、入手経路は明かせないが、乱場の推理どおり、私が持ち込んでいたものだ。どうしてあんなものを私が持っていたのか。その理由を明らかにするためには、霞が握っていた私の「秘密」について触れなければならなくなる。できればそれは避けたいのだが、このままこの手記を終えたのであれば、それは「小説」としては完全な片手落ちになってしまうだろう。乱場秀輔の事件簿という「本格ミステリ」の体裁にこだわって書いてきたものとしては、特に。
正直に告白すれば、私はいつでも死ぬつもりだった。そのための手段として、入手したシアン化カリウムを肌身離さず所持していたのだ。私は「死んでもいい」というタイミングを待つばかりの状態で日々を過ごしてきたのだ。
どうして私が死のうと考えていたのか。それは、私が自分の気持ちに整理をつけることが出来なくなってしまったためだ。
私には好きな人がいる。だが、その想いが成就することは決してない。霞が握った私の「秘密」というのは、それだ。あの夜、私は自分の気持ちに負けた。湧き上がる欲望を抑えることが出来なかった。夜中に目を覚ました私は、隣で寝ている彼の、星明かりに濡れた唇を見て……
その一部始終を霞に見られていたのだ。彼女がどうしてドアの隙間から私たちの部屋を覗いていたのか。私に対して何かするつもりだったのか。それはもう分からない。
最後に、我が名探偵、乱場秀輔に心より賞賛の拍手と感謝の言葉を送りたい。短い間だったが、彼のワトソンとして、ともにいくつかの事件に関われたことは、幼い頃より古今東西の名探偵が活躍する事件記録小説を好んで読んできた私にとって望外の喜びだった。私の中で彼は、崇拝すべき名探偵という立場を越えた存在だった。
警察の身体検査は思っていたよりも甘いなと感じた。私が巧みに隠し持っていた、もうひとつのシアン化カリウムを発見できなかったのだから。そのシアン化カリウムは妖精館で犯行に使用したものとは違い、カプセル剤に入っていた。量は人間ひとりの致死量分。そのカプセルを私は、つい先ほど飲み込んだ。カプセル剤が胃で溶けて、胃酸と結合したシアン化カリウムがシアン化水素を発生させるまで、どれくらいかかるのか分からない。時間の許す限り、私はこの手記を書き続けようと思う。とはいえ、『妖精館殺人事件』については、十分に小説の体裁が整うだけの量を書き終えただろう。ここからは、私と乱場の出会いについてでも書いてみようか。彼を初めて見たときの気持ちは忘れられない。一目惚れというものは存在すると、私は信じてい




