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第13章 鞄の中

 目が覚めた。携帯電話で時刻を確認すると、起床時間である午前六時の十分前だった。ベッドから上半身を起こすと、


「早いな、石上(いしがみ)くん。おはよう」


 村茂(むらしげ)が声を掛けてきた。私も「おはようございます」と挨拶を返す。そういえば、彼が見張りの最後の組だったか。ベッドから下りた私は、


「あれ? 朝霧(あさぎり)くんは?」


 起きているのが村茂だけであることに疑問を抱いて訊いた。最後の見張り番は、彼と朝霧の二人が担当のはずだったが。


「彼女なら、あまりに眠たそうだったので寝かせたよ」


 村茂はそう言って女性陣の寝床に目をやる。朝霧は自分のベッドで気持ちよさそうに寝息を立てていた。「すみません」と私は詫びたが、村茂は「いいって」と笑みを浮かべながら顔の前で手を振った。


「ちなみに、朝霧くんが寝たのはどれくらいの時間でしたか?」

「見張りが始まってから三十分も経っていなかったな」


 笑いながら言った村茂に、私はさらに深々と頭を下げた。


「何もありませんでしたか?」


 私は一応訊いたが、


「何かあったら、こうしてのんびりとはしていないさ」


 村茂はまた笑ったが、その笑みには今度は若干の緊張が含まれているように私には思えた。


 それからすぐに午前六時となり、各人がセットしておいた携帯電話のアラームが一斉に鳴った。皆はゆっくりと起き上がってくる。誰もが眠たそうな顔をしていたが、飛原(とびはら)だけはすぐに眠気が晴れたような顔になって自分の周囲を見る。寝ているうちに落ちてしまったのだろうか、彼の鞄はベッドから離れた場所にあり、飛原はそれを慌てた様子で掴み上げ、しっかりと自分の横に置き直した。


 洗顔を済ませ、女性陣が朝食の用意に台所に向かうと、乱場(らんば)は昨夜の現場、すなわち(かすみ)の焼死体を見に行くと言い出した。彼ひとりだけを行かせるわけにいかないので、私も同行することにする。他に、一緒に行くと言い出すものは誰もいなかった。



 土の地面の一角が不自然にどす黒く染まっている。その中心には、さらに色の濃い、ほとんど消し炭と化した物体があった。昨夜の懐中電灯の明りで見てもそれはが何であるかは明らかだったが、こうして日の光の下で目にすると一層鮮明になる。間違いなく人間の焼死体だ。発見が早く、火が点けられてから消火されるまでの時間はそれほど長くなかったためか、死体は四肢の先端が焼け落ちるということもなく、完全に人の姿としての状態を保っていた。


「乱場くん、庸一郎さんは、何のために霞さんの遺体を焼いたんだと思う?」


 私の言葉に、乱場は少しの沈黙を挟んでから、


「過去には、被害者の身元を分からなくするためですとか、被害者を誤認させるために死体を焼いたという事例もありましたが、現代でこの方法は通用しないでしょう」

「そうだね。DNA鑑定をすれば、死体の身元は一発で判明してしまう」

「ええ。見たところ、この死体は焼かれていた時間が短いため、まだDNAが採取可能な状態で残されている細胞はいくらでもあるでしょう。部屋や洗面所などから霞さんの毛根などを採取して、それと照らし合わせればいいわけです」

「死体の誤認が目的ではなかったということかい? でも、乱場くん、この死体が完全に焼かれないままになったのは、庸一郎さんの行動を私たちが早期に発見できたためだ。彼としては、DNAの採取が不可能な状態になるくらい、入念に死体を焼くつもりだったということは考えられないか?」

「庸一郎さんは、僕たちが完全に寝静まっていると思ってばかりいたと。僕たちの介入は想定外の出来事だった、ということですか。それもあり得なくはないですけれど……そうだったとしたら、今、僕たちの目の前にあるこの死体は霞さんのものではないということになりますね」

「そうだね。死体のすり替えというのは、そういうことだからね」

「そうなると、この死体は誰なのか? 霞さんの死体はどこに消えたのか?」

「すり替え元となる死体を保管していた場所に入れ替えた、とか?」

「どうして死体を入れ替える必要があったんですか?」

「例えば……元々保管していた死体は死んでから日が経っていて、腐臭がするようになってきた。それに耐えかねて、というのはどうかな」

「そのタイミングで、たまたま霞さんが殺された、ということですか? 庸一郎さんは、これ幸いにと、まだ新鮮な霞さんの死体とその腐りかけた死体を入れ替えて、焼いてしまうことにしたと」

「いい線いってると思わないかい?」

「うーん……それだと、庸一郎さんが保管していた死体の腐臭に耐えられなくなった時期に、たまたま霞さんが殺されてしまったということになりますね。しかも、死体の身代わりに使うとなれば、当然保管されていた死体も、霞さんと同程度の年齢の女性ということになります。DNAの採取が不可能となるくらい死体を焼いても骨は残ります。そこから判別される、性別とおおまかな年齢だけは隠しようがありませんからね。そこまで偶然が重なるというのは、やっぱり気になります」


 それを聞いて私は閃いた。


「偶然じゃなかったとしたら? 庸一郎さんは、自分が保管している死体の身代わりとなる新しい死体を生み出すために霞さんを殺害した」

「実の娘をですか? 全くの赤の他人で霞さんとほぼ同年代の女性である、身代わりの死体にするのに絶好の獲物が、河野(こうの)さん、汐見(しおみ)先輩、朝霧先輩と三人もいるというのに?」

「そこだよ」思わず私は乱場のほうを指さして、「霞さんの死は、やはり誤爆だったのでは? 犯人は庸一郎さんで、本当はその三人の中の誰かを毒殺するつもりだったんだ」

「その目論見がずれてしまい、毒は本来のターゲットではなく霞さんが嚥下することになってしまった、というわけですか。そうだったとしても、庸一郎さんがどうやって霞さんを――誤爆だったにせよ――毒殺したのかが分かりません」

「毒殺トリックの〈どうやったのか(ハウダニット)〉、ということだね。霞さん以外の私たち全員が無傷だったことから、毒であるシアン化カリウムは、霞さんが口にしたものピンポイントに仕掛けられていたということに間違いはない」

「ええ。そのトリックが……分からない。毒は何に入っていて、どうやって霞さんだけに飲ませたのか、もしくは、彼女だけが飲んでしまうことになったのか……」

「もの凄く単純な話だけれど、あのとき使ったカップのひとつだけに、前もって毒が塗られていたというのは?」

「それに当たったのが、たまたま霞さんだった、ということですね。それだと犯人に犯行動機などというものはなく、ただの無差別殺人になります」

「しっくりこない?」

「ええ。そこまではいいとしたとしても、そのあとに庸一郎さんが死体を焼いたという事象が、どうにも……無差別殺人と、どう繋がるのかが皆目見当が付きません」


 乱場は腕を組んで首を捻った。名探偵乱場秀輔(しゅうすけ)をここまで悩ませているのか、この毒殺トリックは。


「そろそろ戻らないか、乱場くん。朝食の用意も終わった頃だろう」

「ええ……」


 私に少し遅れて(きびす)を返した乱場は、最後に一度焼死体を振り返った。私も目をやると、いつの間に林の中から出てきたのか、オオムラサキが数羽舞っていた。どす黒く焼けただれた死体と美しい蝶は、極めて不釣り合いな組み合わせかと思われたが、不思議と調和が取れているように私には感じられた。



 台所のテーブルには、やはりすでに朝食が用意されていた。全員が席に着き、私と乱場待ちで待機してくれていたようだ。


「庸一郎さんは?」


 一応訊いたが、河野は無言のまま首を横に振るだけだった。

 朝食と片付けが終わり、私たちは二階の部屋に戻った。また今夜も全員がリビングで就寝することにしたのだが、明るいうちは個々の部屋で過ごしていても構わないだろうということになったためだ。

 私は乱場と部屋にいる。後輩二人の訪問は受けていない。何でも、朝霧がまだ寝足りないというので、汐見に付き添われて部屋で寝ているのだ(付き添いは汐見ではなく乱場がいいと駄々をこね、それを何とか、なだめすかしたのはいうまでもない)。


「乱場くん、どうする? もっと詳しく館の中を調べてみるかい?」

「そうですね――」


 私の言葉に乱場が答えかけたとき、ノックの音がした。まさか、朝霧がここで寝ると言い出したのではないだろうか? と私は危惧したが、ドアの向こうから聞こえてきたのは、


「乱場くん、俺だ、村茂だ。ちょっと話があるんだが、いいか?」


 意外な訪問者を迎えることになった。

 部屋に招き入れた村茂は、朝食までとは様子が違っていた。神妙な表情をして、さらには片手に鞄をぶら下げている。見覚えのある彼自身の鞄だ。

 勧めた椅子に腰を下ろすなり村茂は、「ちょっと、見て欲しいものがある」と鞄に手を突っ込んで握り出したものをテーブルに置いた。それは緑色をして細長い葉を持っている、ひと房の植物だった。それを見た乱場は表情を変えた。


「村茂さん、これをいったい、どこで?」

「……飛原の鞄の中からだ。俺が見張り番のときに、こっそりあいつの鞄を漁って見つけたんだ。乱場くんや石上くんも気になっていたんじゃないか? 飛原のやつがわざわざ鞄を持ってきてリビングで寝たことを」


 乱場と私は頷いた。村茂もそれを怪しく思っていたということか。


「俺たちが見張りの番になると、すぐに朝霧さんが眠たそうにしていたので、これ幸いにと寝かせたんだよ。そうすれば、誰にも目撃されずにじっくりと飛原の鞄の中身を確認できるからな。乱場くん、この草は、もしかすると……」


 乱場は植物を手に取り、ためつすがめつ眺め回してから、


「間違いないでしょう。これは……(あさ)です」

「やっぱりか……」


 村茂は嘆息した。それを聞いて、二人の表情の意味が私にも分かった。

 麻は繊維の素材などにも使われる植物だが、〈大麻草(たいまそう)〉という別名も持っており、その名の通り大麻の原料ともなる植物なのだ。

 乱場が、植物――麻をテーブルに置くと、私は、


「どうして、こんなものを飛原さんが?」

「見たところ」と乱場はさらに麻を見ながら、「この葉は摘まれてから一日程度しか経っていないと思われます。それはつまり、飛原さんがこれを入手したのは、ここ妖精館に来てからということになります」

「この周辺に麻が生えていると?」

「そう考えるしかないでしょうね。石上先輩」と乱場は私を向いて、「確か、麻を栽培するのには……」

「そうだ。現在、日本で麻を栽培するには、大麻取扱者の免許が必要なはずだよ。でも、庸一郎さんがその免許を持っているとは考えられないね」

「ええ。そんな様子は一切見受けられませんでした。ということは、これは自生しているものなんじゃないでしょうか」

「自生?」と村茂が、「麻が自然界に普通に生えていることがあるのかい?」


 この疑問には私が、


「そうです。かつて麻が規制の対象でなかった時代に栽培されていたものが自然界に流出して、野生化したものなどがあるそうです」

「それがこの妖精館の周囲に?」


 村茂は窓を見た。乱場も、ゆっくりと窓の外の木々に向くと、


「どうやら、一昨日の深夜に飛原さんが外出していた理由が判明したようですね」

「これを、麻を採ってくるためか?」


 村茂は視線をテーブルの上の植物に戻した。


「であれば、外に出ていた目的を僕たちに正直に喋るわけにはいきませんよね」

「確かにな」

「はい。それと、そんな行動を取ったということは、もしかしたら飛原さんは、この妖精館の周辺に麻が生えているということを、前もって知っていたのではありませんか?」

「それは……考えられるな。あいつは昔、ここの周辺に住んでいたから。待ってくれ……ということは、もしかして?」


 村茂は乱場の目を見る。乱場も、彼の視線を受け止めると、


「その可能性はありますね。そもそもこの撮影自体が、本来の目的は麻の採取だったという」

「あいつ……」

「村茂さん、飛原さんの鞄に入っていた麻は、これだけでしたか?」

「いや、この数倍以上はあった。全部を持ち出すと気付かれてしまうから、一部だけを持って来たんだ」

「なるほど。この状況で持ち出せる量には限りがありますから、今回の目的は、この妖精館の周りに麻が生えているかを確認することが主だったのかもしれません」

「この周囲に、麻が自生……」村茂は、また窓の外に目をやって、「このことを、庸一郎さんは知っていたんだろうか?」


 それを聞くと乱場の目が少し見開かれた。一度腕を組んでから、片方の手を解いて顎を触り、


「庸一郎さんが、このことを知っていたか……いや、知っていたというよりは、むしろ……」


 そこまで口にすると黙り込み、部屋の中をうろうろと歩き始めた。その妙な迫力に気圧されたのか、村茂は何も声を掛けることなく、所在なさそうにテーブルの上の麻をいじっていたが、


「ん? 何だこれ?」


 麻の葉の隙間に指を入れ、何かを摘み出した。それは小さなビニールの欠片だった。長辺の一変だけが不規則に歪んだ長方形をしている。立ち止まった乱場は、それを目に留めると、


「ちょ――ちょっと!」村茂に駆け寄り、「これは、どこに?」

「こ、この麻の葉の隙間に引っかかっていたんだ」

「どうして、これがこんなところに?」

「さ、さあ? 最初から飛原の鞄の中に入っていたものが、葉の間に挟まったんだろう。それを俺が気付かないままに持って来て――あっ! おい!」


 突然、乱場が部屋を駆け出た。私と村茂も彼を追う。乱場が向かったのは、私たちの部屋の二つ隣の三号室、飛原の部屋だった。ノックもなしに乱場はドアを開け放って部屋に躍り込む。


「――なな、何だ?」


 飛原の頓狂な声が聞こえた。私と村茂も続けて飛び込む。室内では、ベッドから上体を起こした飛原と乱場が相対しているところだった。


「飛原さん」


 乱場の声が浴びせられる。


「な、何だ?」


 飛原は目を丸くさせて答えた。


「一昨日の深夜のことなのですが……」


 乱場の口からその言葉が出ると、飛原の表情に緊張が走った。この場で麻のことを言及するつもりなのか? と私は思ったが、


「風邪薬を飲みましたね?」


 乱場が継いだ言葉を聞くと、飛原は顔に浮かばせていた緊張の色を戸惑いに変えた。乱場は続ける。


「深夜、土砂降りの外から帰ってきて、体を冷やしてしまった飛原さんは、このままでは風邪を引いてしまうと思ったんじゃないですか。そこで、思い出したんですね。石上先輩が風邪薬を持って来ていたということを。その日のゲリラ撮影が終わってみんなで後片付けをしているとき、朝霧先輩が熱を出してしまい、石上先輩が風邪薬を持って来ているということをみんなの前で話しました。それを思い出した飛原さんは、その薬をこっそりと拝借することにしたんですね。深夜という時間帯であったことに加え、こっそりと外に出ていたということも知られたくなかったため、石上先輩や同室の僕を起こすことなく、飛原さんは僕たちの一号室に侵入しました。僕たちの部屋は施錠はしていませんでしたからね。薬は赤いポーチに入っているということも、朝霧先輩との話の中で出ていたので探し出すのも容易でした。飛原さんは風邪薬をひとつ拝借して部屋を出ます。そして、自室に戻ってからそれを服用し、ビニールの殻は自分の鞄に入れた。黙って持って来たものですから、そこらに気軽に捨てるのは躊躇(ためら)われたでしょうから。

 どうですか? 今、僕が言ったことに間違いはありませんか? 違うのであれば、違うとおっしゃって下さい。飛原さん自身も、たまたま石上先輩が用意したものと全く同じ風邪薬を持って来ていて、それを飲んだだけなのだという可能性もありますから」


 乱場の長口上を聞いて私にも分かった。麻の葉の隙間にあった、あのビニール片。あれは風邪薬の個装袋の切れ端なのだ。それも私が持って来たものと同じ薬の。つくづく彼の記憶力の良さには感服させられる。

 飛原は、しばし呆気に取られたように無言だったが、


「あ、ああ……そうだ。悪いとは思ったが、寒気と体のだるさに我慢ができなくなって、石上のポーチから、あの風邪薬をひとつ頂いたんだ。き、君の言うとおり、俺が外に出ていたことを知られたくなかったから、このことは喋らずにおこうと思っていたんだが……」

「……そうですか」


 飛原の告白が終わると、乱場は急に声のトーンを落とし、(きびす)を返して部屋を出た。私と村茂もそのあとを追う。飛原は、ぽかんと口を開けたまま、私たちの背中を見送っていた。



 村茂が持って来た麻は、とりあえず私たちが預かることにして、彼には自室に戻ってもらった。テーブルの上に載った麻を前に、乱場は黙考を続けている。その表情を見て私は察した。


「乱場くん」私は腰を掛けていたベッドから立ち上がると、乱場とテーブルを挟んで椅子に座り、「もしかして……犯人が分かったのか?」


 乱場は伏せていた目を上げ、私を見ると、


「……はい」


 ゆっくりと答えた。

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