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第10章 推理は踊る

 その後、私たちは各自の部屋に戻ることになった。朝から急に色々なことが起こりすぎて頭の整理がつかないため、一度落ち着きたいという理由からだった。とはいっても、相部屋になっている何人かは、ゆっくりとひとりで落ち着く、とはいかないだろうが。

 真っ先に部屋に戻りたいと言い出したのは乱場(らんば)だった。部屋でじっくりと考えをまとめたいのだろう。私と一緒に一番にリビングを出て部屋に戻ってきてからは、ずっとベッドの上に座り込んで黙考を続けている。


「乱場くん、犯人に自首を促すだなんて、思い切ったことを言ったね」


 私が言うと、乱場は顔を上げて、


「それが一番穏便に事を済ませられると思ったからですよ」

「私としては、もっと名探偵の貫禄を見せて欲しかったところだけどね。『犯人は僕が必ず暴き出します。この名探偵乱場秀輔(しゅうすけ)に解けない謎はない』くらい大見得を切ってもよかったんじゃないか?」

「そんなの、今どき流行りませんよ」

「様式だけの問題じゃなくてさ、そのほうが犯人に対する牽制になって、これ以上罪を重ねなくなるかもしれないじゃないか」

「そんな効果が望めるとも思えませんよ。今まで、探偵が見栄を切ったからって、『うわ、探偵怖い。もう殺人はやめよう』なんて思いとどまった犯罪者がいますか?」

「確かに」


 おかしなことを言ってしまった。乱場が再び黙考に入ったため、


「乱場くん、ちょっと外の様子を調べてくるよ」


 と私は椅子から腰を浮かせかけたが、


「僕に気を遣ってくれているんだったら、その必要はありませんよ。石上(いしがみ)先輩が一緒にいるからって、気が散るとかそういうのは一切ありませんから」


 私の行動の意味は名探偵に見透かされていたようだ。私はゆっくりと椅子に座り直すと、


「そうだ、乱場くん、私からひとつ提案というか、言っておきたいことがあるんだが――」


 ノックの音がした。私は先を続ける代わりに、はい、と返事をした。


汐見(しおみ)と」

朝霧(あさぎり)です」


 後輩二人の声がドア越しに聞こえ、思わず私と乱場は顔を見合わせて微笑した。朝と全く同じシチュエーションだったからだ。

 これも朝と同じように、入室した二人には二脚ある椅子を使ってもらい、私は自分のベッドに居場所を移した。どちらかが、また何か目撃証言でも持って来たのかと思ったが、


「部長、乱場、ちょっと居させてもらってもいいか? どうも、私たちだけでいると不安でさ」


 汐見の言葉に、朝霧も小さく首肯した。私は「歓迎するよ」と言い、乱場も「ゆっくりしていって下さい」と声を掛けた。二人とも普段は少し、いや、かなり変わった生徒だが、やはり女の子なんだなと私は微笑ましく思った。


「それでね、乱場くん」私は中断していた話を続ける。乱場は汐見と朝霧に目をやったが、別に彼女たちに聞かれて困るような話ではない。「君は毒、青酸カリが入っていた飲食物は、コーヒー以外にはありえない、と言ったけど」

「はい、水やケーキでは、青酸カリ特有の苦みを消せはしませんから」

「それはいい。でも、毒物の混入経路となりうるものは、あの場にもうひとつあったんじゃないか。乱場くんのことだから、もうそれにはとっくに気が付いているはずなんだけど」

「薬、ですか」


 私は頷く。「あっ」と同席している汐見と朝霧も声を出した。


「そうだ。私が持って来た風邪薬、あれに青酸カリが入っていたという可能性は排除できないんじゃないか? 薬なんて、そもそもが苦いものなんだし」

「そういえば」と朝霧が、「(かすみ)さんは、薬を飲むのにオブラートを使っていました」

「そっか」


 汐見も納得したような声を上げた。乱場は、


「そうなると、あの薬を用意してきた人が犯人、ということになりますね」

「まあ! そっか、じゃありませんよ汐見さん! 部長を犯人扱いするつもりですか!」


 朝霧は眉を釣り上げて隣の汐見を見る。


「オレは、そんなつもりじゃ……ていうか、それを言ったのはオレじゃねえ! 乱場だ、乱場!」

「まあ! 今度は乱場さんが犯人だなんて……」

「おい!」


 二人の調子が元に戻りつつあるようだ。


「まあまあ、汐見先輩、朝霧先輩」と二人を落ち着かせた乱場は、「石上先輩は犯人ではありえません。だって、実際に薬を皆さんに配ったのは、この僕なんですから」

「あ、そういえば」

「はい。だから、もし石上先輩が青酸カリ入りの風邪薬を用意していたとしたって、最終的にそれを配ったのが僕である以上、誰に毒入り薬が配られるかは全くコントロール不可能なわけです」

「なるほどです」

「ですので、汐見先輩の言った僕犯人説も、必ずしも的外れな意見じゃないんですよ」

「どうしてそうなるんです?」

「僕なら、誰に毒入り薬を(あて)がうかをコントロール可能だからです」

「まあ!」

「なるほどな……おい! オレは乱場が犯人だなんて、ひと言も口にしてねえぞ!」

「それでは、どなたですか、乱場さん犯人説なんてひどいことを言い出したのは!」

「お前だ、お前!」


 汐見からの激しい突っ込みを、朝霧は素知らぬ顔で受け流していた。


「付け加えるとですね」と乱場はさらに、「僕が見たところ、あの薬には袋を破いて閉じ直したような跡も、どれかひとつ、ないしいくつかが別の似たような袋に入っていたということもありませんでした」

「うんうん、なるほど。ああいう市販薬に何か混ぜたり、中身を入れ替えようとしたら、袋を破くか全く別のものとすり替えるしかないからな」


 汐見は納得したのか、しきりに頷いていた。


「お薬に毒が入っていた可能性は、ゼロということですね」朝霧も得心したようだったが、「でも、この線は捨てるには惜しいような気もしますね。コーヒーが同じマシンから抽出されたものである以上、個別に口に入れる機会があるものといったら、もうあとは風邪薬しかないように思えますけれど……あ、全ての薬に同じ処理がされていたというのはどうですか?」

「どういうことだ?」

「乱場さんは、入っていた薬はどれもみな同じで、違いのあるものはなかった、とおっしゃいました」

「そうだな」

「であれば、こういうのはどうでしょうか。犯人は薬の個装袋のひとつに小さな穴を開けて毒を入れ、再び封をします。でも、そのままだと再封の跡があるため、他の全く手付かずの個装袋のものと比べると違和感があり目立ってしまいます。そこで、毒を入れていない他の全ての袋にも同様の処置を施すのです」

「ただ袋を破って、また封をし直すだけってことか」

「はい。で犯人は、それらの薬を部長が持って来たものとそっくり入れ替えた。これなら、全ての薬が同じ見た目になり、違和感を消し去ることが出来るのです。違和感を隠すなら違和感の中。まさに『葉っぱを隠すなら森の中』というわけです」

「あ、それ知ってる。ホームズの名言」

「ポワロです」


 二人とも不正解である。


「乱場さん、残ったお薬を見てみませんか?」

「もしかしたら、全ての薬から、いったん開けて封をし直した跡が見つかるかもしれないってことだな」


 朝霧と汐見は揃って色めきだった。

 さっそく私は鞄から薬入れのポーチを持って来て、当該の風邪薬はもとより、他に用意してきた鎮痛剤や酔い止めなども含めて全ての薬をテーブルの上に広げた。当然のことながら、当該の風邪薬を確認するのは乱場に任せられることとなった。他の薬は私たち三人が手分けをして入念に調べる。


「……どれにもおかしな点はありません。薬はどれも完全な状態で、少しでも再封したような痕跡は一切見つかりません」

「こっちもだ」


 朝霧と汐見が自分の調査分最後の薬をテーブルに置いた。私も自分の担当分に何も異常はなかったことを告げる。最後に乱場も、


「こっちも大丈夫ですね。風邪薬の数も数えてみたんですけれど、合っています。昨夜、朝霧先輩に出したとき、この薬は十九個あって、今朝、全部で七つ配りましたから、八つ消費されたことになります。十九引く八は、十一。確かに十一個ありました」

「乱場くん、薬がいくつあったかなんて、そんなことまで記憶していたのか?」


 私は驚嘆の声を上げた。用意した私自身、薬の数まで把握してはいなかったというのに。


「はい。こういうの、癖なんで」


 さすが名探偵だ。私は心の中で舌を巻いた。

 名探偵というものは、突然変異的に誕生するものではないと私は考えている。事件など起こらない日常の段階から、彼のように周囲の物事(ものごと)、出来事をつぶさに観察し、記憶に留めておくという準備。それが出来るものこそが、いざ有事の際に名探偵となり得るのだ。意識するしないは個人によって差があるだろうが、名探偵というものは、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)名探偵としての資質を持ち続けているものなのだろう。

 私がそんなことを考えているうちに、汐見が、


「そもそもさ、薬に毒が仕込んであったんだとしてもさ、それをターゲットに飲ませなきゃ意味なくね?」

「まあ、そうですね」


 朝霧が答えた。


「としたらさ、犯人は――薬に毒を仕込んでいたとして――ターゲット、つまり霞さんにあの風邪薬を飲ませる必要があったわけだ」

「実際、霞さんは薬を飲みましたよ」

「そこだよ」


 汐見は、びしりと朝霧を指さした。


「どこですか?」

「あの場で、霞さんが薬を飲んだのは、どうしてだ」

「どうしてって……私たちが薬を飲むと言い始めたら、霞さんも、じゃあ自分もと」

「だろ。霞さんは自分から『薬を飲みたい』なんて言い出したわけじゃなかったんだ。つまり、犯人は霞さんが薬を口するよう仕向けて、まんまとそれに成功したということになる」

「一種の操りということですね」

「ああ、そうだ。それが出来たのは、誰か」

「……どなたでしょう?」

「とぼけんなよ。あの場で一番最初に『薬が飲みたい』って言い出したのは、朝霧、お前だぜ」

「……はあ」

「おい! はあ、じゃねえよ! ここは『ななな、何のことでしょう。おほほ』とか言って動揺する場面だろ!」

「何ですか、その古くさいベタベタな反応は!」

「犯人は被害者に薬を飲ませる必要があった。つまり、あの場で薬を飲むことを最初に提案したのが犯人である。よって、朝霧万悠子(まゆこ)、犯人はお前だ。QOL」

「待って下さい! 薬に異常がなかったことは、今調べて証明されたはずです! それに、汐見さん、最後のそれを言うなら、『QED(証明終わり)』です。『QOL』だと、クオリティ・オブ・ライフ、生活充実度のことになってしまいます」

「あれ? 違った?」


 汐見は頭を掻いた。


「まったく……そんな杜撰な推理では、乱場さんの足下一万三千キロにも及びません……」


 言い終えると朝霧は、じっと汐見を見る。


「……なに?」

「汐見さん、今の、『足下一万三千キロだと、地球の直径を超えてブラジルまで突き抜けてまうやろ!』という突っ込み待ちだったのですけれど」

「えっ……ああ! なるほどな」


 汐見は、右拳でぽんと左手を叩いた。


「汐見さん、ボケ殺しの現行犯で緊急逮捕します」

「ていうか、そのボケ、地球の直径が分かってないと突っ込みようがなくね?」

「ええ。汐見さんに対しては、ボケが高度すぎたようですね」

「なんだとう!」


 汐見と朝霧は完全にペースを取り戻したようだ。乱場はそんな二人を困ったような顔で見ながら、薬をポーチにしまっていく。そこに、


「――あ! ちょっと待った、乱場! 分かったぞ、犯人の手口が!」

「えっ?」


 乱場のもとから汐見は、ひとつの箱を手にとって、


「これだよ。犯人はこいつに毒を仕込んだんだ!」

「そ、それは……」

「オブラート」

「いかにも」


 乱場と朝霧、そして私が見つめるオブラートの箱を掲げながら汐見は、


「霞さんは薬を飲むのにオブラートを使っていた。オブラートはひとつ一つが個装されていなくて剥きだしのまま入っているから、毒入りのものを混入させることは容易にできる。犯人が毒入りオブラートを霞さんに使わせるためには、あの場にオブラートを出さなければならない。さて、あの場で一番最初にオブラートの使用を訴え、実際霞さんにオブラートを渡したのは誰か。そう、やはり犯人は朝霧、お前だ。GHQ」

「今度は連合軍最高指令本部が出てきた!」またも犯人と名指しされた朝霧は即座に突っ込んでから、「汐見さん、いったい、どうやったらオブラートに青酸カリを混入させられるというんですか」

「いったん解かしたオブラートに毒を混ぜて、もとの形に成形し直して再び固まらせるんだよ」

「手間かかりすぎ! 実際に可能だとはとても思えません!」


 朝霧が乱場を見ると、彼は、そのとおり、という顔で頷く。


「やっぱ、そうだよな」


 汐見は、あっさりと自説を引き下げた。


「何なんですか、汐見さん。変なことばかり言って。これは殺人事件の捜査なんですよ。もう少し真面目にやって下さい」


 頬を膨らませた朝霧を、汐見は笑みを浮かべて見ていた。彼女は恐らく、朝霧に元気を取り戻してもらおうと、わざとおかしな言動を繰り返していたのではないだろうか。反りが合わずに言い争いばかりしている二人だが、心の奥では互いを信頼し、必要としている関係なのだろう。入部してきてからの彼女たちを見てきて、私はそう感ぜずにいられない。私は三年で彼女たちは二年生。私がいなくなったあとには、二人のどちらかに部長を継いでもらいたいと思っている。今はまだそのことを口に出す時期ではないが。


「でもですね、朝霧先輩、汐見先輩、石上先輩も」と乱場が発言を始めて、「僕は、毒の混入経路とはなり得ませんが、薬は事件において重要な役割を果たしたんじゃないかと思っているんです」

「それはどういう意味だい?」


 私が訊くと、


「犯人は、霞さんが薬を飲む、という行為を利用した可能性はあるのではないでしょうか」

「利用するって、具体的にどういうことだ?」


 次に汐見が訊いた。


「はい。犯人は、霞さんが薬を飲む直前に、それを青酸カリとすり替えたのだとしたら、どうでしょう」

「どうやってですか?」


 さらに朝霧に訊かれたが、今度は乱場は首を横に振って、


「それは分かりません。それが行われた可能性があるというだけです。ですが、毒殺された直前に被害者が薬を飲んでいたというのは偶然とは思えないんです」

「薬のすり替え、か……」汐見は腕組みをして、「薬をすり替えられる隙があったなら、コーヒーに直接毒をぶち込んだほうが早いんじゃないか?」

「ただですね、犯人が隠し持っていた青酸カリをこっそりと出すくらいであれば、誰の目にも付かずに行えるとは思うんです。でも、取り出した毒物を霞さんの薬とすり替えるなり、コーヒーにぶち込むなりしたらですね、それはかなり目立つ行動になってしまうと思うんです。」

「ちなみに、そんなような行動を取った人物がいたかい?」


 私が訊くと、女子生徒二人は揃って首を横に振った。乱場も、


「僕も、そんな怪しい動きをしたという人は見ていないですね。それに、薬をすり替えたり、コーヒーに混入させたりするためには、霞さんのかなり近くにいる必要がありますよね」

「あ! そうか!」汐見が何かに気付いたように、「それこそ、薬だよ。犯人は自分が薬を飲む動作に、青酸カリを取りだして霞さんに飲ませる行動を紛れ込ませたんだ」

「薬を飲む振りをして、毒を霞さんの薬とすり替えた、もしくは、コーヒーに入れた?」

「そのとおりだ、朝霧。さしずめ『毒薬を隠すなら薬の中』だな。今度こそもらったぞ! オレこそクイーン二世だ」


 またしても、名言を残したレジェンド探偵の名前を間違えている。


「ということは」と私は、「犯人候補となる人物は、霞さんの近くにいて、かつ、薬を飲んだ――もしくは飲む振りをしただけかもしれないが――人物に絞られてくるということだね。該当する人は、誰になる?」

「ええとですね……」乱場は鞄からペンとノートを取り出して、「確か、霞さんが倒れたときの配置は、このようになっていたはずです」

挿絵(By みてみん)

 座席の配置をノートに描き込んでいった。こんなことまで記憶しており、それを適時アウトプット出来るとは。やはり彼は名探偵なのだ。


「僕が薬を配ったのは、飛原(とびはら)さん、高井戸(たかいど)さん、河野(こうの)さん、石上先輩、朝霧先輩、そして霞さん。僕自身も薬を飲みましたから、この時点で薬を所持していたのは全部で七人です」


「どれどれ……」さっそくノートを覗き込んだ汐見は、「霞さんの近くにいて、かつ薬を飲んだ人か。霞さんの両隣は、高井戸さんと……朝霧」

「本当ですね」


 その朝霧も汐見と並んでノートに目を落とす。


「朝霧……やっぱりお前だったのか……BBQ」

「やめて下さい! たまたまですよ! それと、もう突っ込みませんからね!」

「でも、この配置は言い逃れ出来ないだろ」

「高井戸さん、彼です。霞さんのすぐ隣で、かつ薬も受け取っています。もう彼をおいて犯人はいません。決まり、決まり」

「おいおい……」


 汐見は呆れたように嘆息した。

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