第9章 閉じられた輪
それから少しだけ休むと、私たちは外に出て、この妖精館の周囲を軽く探ってみた。不測の事態に備えるために全員がまとまって行動した。そこで、館裏手の壁から伸びていた一本のケーブルが途中で切断されているのを発見した。
「明らかに鋭利な刃物で切られたような切断面です。しかも、真新しい」
ケーブルの断面をじっくりと見て乱場が言った。全員も確認してみたが、彼の言葉どおりだった。館の構造からいって、そのケーブルが出ていた壁は庸一郎の寝室に位置していた。
他にめぼしいものは何も発見できず、私たちはリビングに戻った。
「やはり、電話線は切られていたな」
高井戸が難しい顔をして言った。
「電話線……」と、それを聞いた村茂は腕を組んで、「あの、ボタンがひとつしかない電話機。あれが使えていればな」
「結局、あの電話はどこに通じていたのかしらね」河野も口を開き、「庸一郎さんは、あのとおりだから何も話してくれそうにないし。それに、そもそも、電話線を切ったのは誰なの」
「その謎もあるな。あれでまた、外部と連絡を取る手段が失われてしまった。橋が流されたことに続いて」
そう言って村茂は、うーんと唸った。彼の言葉を聞いて、私はひとりの男を横目で見た。当然、飛原だ。見れば、汐見、朝霧、そして乱場も、私と同じように彼に視線を送っている。
「皆さん」と、ここで乱場が全員の注目を集めて、「ここで、はっきりさせておきたいことがあります……飛原さん」
名指しされた飛原は、虚を突かれたように伏せていた顔を上げた。乱場は、彼の目をまっすぐに見て、
「飛原さん、昨夜遅くに外出していましたよね」
「――なっ、なにを」
飛原は表情と口調に明らかな狼狽の色を見せ、村茂、高井戸、河野の三人は、「えっ」と短く叫んで彼の顔を見た。
「実は昨夜、飛原さんの服が乾燥機にかかっているのを目撃してしまったんです。僕たち全員の服は、一度洗濯、乾燥をして干していたはずなのに、どうして。それは、雨の中外に出ていたからですよね。しかも、みんなが寝静まった深夜にこっそりと」
乱場は、巧みに目撃者の主語をぼかしていた。本当の目撃者である朝霧に無用な負担をかけないようにという配慮だろう。
「あ、あれは……」
飛原の短い答えは、服を乾燥機にかけたこと自体は認めたに等しいものだ。
「それは本当か、乱場くん」
自分の質問に少年探偵が黙って頷くと、村茂は、
「飛原、お前なのか!」
「ち、違う!」
「何が違うって言うんだ!」
「だから、違うんだ!」
「お前が水門を開けて、橋を流したんだな!」
「違う!」
ひときわ大声で叫んで、飛原はソファから立ち上がった。
「まさか……」と河野も、「水門だけじゃなくて、電話線を切ったのも……」
「ち、違う! 本当だ、信じてくれ! だいいち、俺たちはこの妖精館にあんな電話回線が存在していることは知らなかったはずじゃないか!」
「いえ、分からないわ。外に出たとき、たまたま電話線を見つけて、ついでにこれも切ってしまえ、となったのかも」
「見ただけで、どうしてそれが電話線だと分かるんだ!」
「あの線は」と今度は高井戸が、「他の電気ケーブルとは別に、一本だけ庸一郎さんの寝室の外壁から伸びていたものでした。それを見て、これは電話線だと推測することは可能じゃないかと」
「どうして俺がそんなことをする必要があるんだ! ここを孤立させる理由なんて俺にはない!」
「じゃあ、外に出た理由は何なんだ?」
再び村茂に問い詰められると、飛原はまた沈黙してしまった。
「この質問を否定しないということは、飛原、とりあえず、外に出たこと自体は認めるんだな? 乱場くんの証言もあるしな」
「そ、それは……ああ」
飛原は認めたが、当然、それで村茂の追求は終わらない。
「雨降る真夜中に外に出て、いったい何をしていたんだ。しかも、それを今まで俺たちに隠していたとは、どういうことなんだ?」
「それは……だが、信じて欲しい。俺は水門を開けたり、電話線を切るだなんて真似、絶対にしていない」
「答えになっていないな」
村茂のトゲのある声を聞きながら、ゆっくりと飛原はソファに腰を下ろした。さらに村茂は何かを言い掛けたが、
「待って下さい、村茂さん」
乱場が止めた。
「何か、こいつに喋らせる手段があるのか? 少年探偵」
「いえ。どうも飛原さんに外に出ていた目的を話してもらうのは、無理なようですから」
「おいおい」
「飛原さんの意思はかなり固いようです。まさか、拷問してまで口を割らせるわけにはいきませんし」
「かわいい顔して怖いこと言うな、君は」
「でも、サークルの仲間である村茂さんに、ここまで追求されても本当のことを話さない、だからこそ、飛原さんが水門を開けたり、電話線を切ってはいないという証言は、逆に信用できると思うんです」
「だからといって、飛原に黙らせたままでいいってのか?」
「僕も、霞さんが亡くなってしまうという大変な非常事態になってしまいましたから、飛原さんも外に出ていた目的をすぐに話してくれると思っていました。ですが、甘かったようですね」
「そうだぞ、飛原、お前が黙っているということは――」
そこまで言って村茂は口を閉ざした。続けて言おうとした言葉を、あわてて飲み込んだかのように見えた。
「霞さんを殺害した犯人かもしれない」
村茂が言い掛けたであろう言葉を乱場が口にした。
「ち――違う!」
これを飛原は再び立ち上がって否定する。女性陣は動揺したように体を震わせ、高井戸は「まさか……」と呟いて飛原を見た。
「いえ」だが乱場は、あくまで冷静な口調のまま私たちを見回して、「飛原さんが外出していたことと、霞さんの死には何も関連はありません。今のところはですが……。ですから、この問題は一旦棚上げすることにしませんか」
「棚上げって……」
先ほどまで飛原を厳しく詰問していた村茂は、気が抜けたような声を出す。
「僕たちが今、喫緊に明らかにすべきことは、誰が霞さんを殺害したのか、ということです」
「殺害した……犯人……」
「やっぱり、この中にいるっていうの?」
高井戸が呟いて、河野が怯えたような目で自分以外を見回すと、飛原が、
「そりゃ、そうなるさ。この館、妖精館はご存じのとおり、唯一の外界との文字通り架け橋であった橋が流されて、現在孤立した状態に陥っているんだからな。犯人もこの中……〈クローズド・サークル〉の中にいるはずさ」
今まで自分が責められていた鬱憤を晴らすかのような、ことさら聞くものを怖がらせるような口調で言った。
「待てよ、飛原」と村茂が、「確かに俺たちは、お前の言う〈クローズド・サークル〉に閉じ込められてしまったかもしれん。でも、俺たちが中からの脱出することは不可能だが、外からの侵入は可能なんじゃないか?」
「外から?」
「ああ。クレーン車やはしご車なんかを使って川を渡るとか、川以外の三方の崖を下りてくるとか、いくらでも方法は考えられる」
「馬鹿馬鹿しい……」
「あり得ないと言い切れるのか」
「そんな、荒唐無稽な。どうしてそんな手間を掛けてまで、こんな山奥の辺鄙な館に侵入して、そこの住人を殺す必要があるっていうんだ」
「いえ……」と高井戸が顔を上げて、「もし、犯人が、橋が流される前にすでに侵入していたんだとしたら?」
「なに?」
「犯人は、俺たちのあとか、それよりも前に橋を渡って〈こちら側〉にすでに入っていたんじゃないですか? 庸一郎さんたちや俺たちに見つからないよう、林の中にじっと身を潜めて霞さんを殺す機会を窺っていた」
「そうだったとしても」と、それを受けて村茂が、「橋が流されてしまった以上、犯人も〈輪〉の中にいることに変わりはないな」
「いえ、そうとは限らないんじゃないですか」
「どうしてだ」
「だって、犯人が選んだ殺害手段は毒殺ですよ。毒を仕込んだら、あとは被害者がそれを口にするのを待つだけでいいという遠隔殺人が可能な凶器です。犯人が毒を仕込み終えたのが橋が流される前だったとしたら」
「まだ無事だった橋を渡って、とっくに逃げ去っているということか……」
女性陣からため息が漏れた。この説を採用するなら、犯人はすでにここにはいない結論になることに安堵したのかもしれない。だが、それでは根本的な解決にはならない。案の定飛原は、ふふっ、と馬鹿にしたような笑みを漏らしてから、
「じゃあ、犯人はいったい、どうやって霞さんのコーヒーにだけ、毒――青酸カリを仕込んだっていうんだ」
「そこまでは分かりませんが」
「何から何まで、荒唐無稽すぎるな」
「じゃあ、飛原、俺たちの中に殺人犯がいるのは、荒唐無稽じゃないっていうのか?」
村茂のこの言葉には、飛原は黙ったまま返答しなかった。再び女性陣の表情が曇る。
「ねえ、待って」河野が、ここで手を挙げて、「最初に高井戸くんが言っていたことも、可能性はあるんじゃないの? 霞さんが殺されたのは、犯人のミスによるものかもしれないっていう説」
それを聞くと、村茂は、
「だとしたら、ますますわけがわからなくなるぞ。霞さんが誤爆で殺されてしまったのだとしたら、犯人が本来の殺したいターゲットは俺たちの中の誰かだということだ。犯人は、その誰かを殺すため、わざわざこんな山奥まで俺たちを追いかけてきたということになる。あの土砂降りの中をだ。どうしてこんなタイミングで犯行に及ばなきゃならなかったんだ」
「このタイミングだったから、じゃないですか?」
と今議論されている毒殺誤爆説を最初に唱えた高井戸が言った。「どういうことだ?」と問いかける村茂に高井戸は、
「犯人と本来のターゲットは、普段から顔を合わせる間柄じゃなかったとしたら? この妖精館での撮影で一緒になる機会を得て、ここを殺害の好機と睨んだ」
「ということは、犯人と本来のターゲットは……」村茂は私たちをぐるりと見回して、「俺たち大学生側と、石上くんたち高校生側に分かれているということになるな。両者のグループメンバーは、しょっちゅう顔を合わせているはずだ。こんな時期と場所を選ばなくたって、殺す機会はいつでもある」
三人並んで座っていた汐見と朝霧、河野は、それぞれの陣営に分かれるかのように互いに顔を見合った。高井戸も、私やその後輩たちを見る目つきを鋭くしたように思える。
「ちょっと待って下さい」しばらく皆の意見を聞くに徹していた乱場が、ここで口を開いた。「証拠もないのに、全くの憶測で動機を推論しても無為でしかありません。落ち着いて下さい」
「そうは言っても、乱場くん――」
「皆さん」乱場は村茂に意見させることを許さず、「霞さんが亡くなってしまった。しかも、青酸カリという毒物が死因であることは確かです。もし、この中に犯人がいるのなら――」
「やっぱり!」
「落ち着いて下さい、河野さん」乱場は彼女を制してから再び皆を向いて、「もし、犯人がこの中にいて、しかも殺しのターゲットとしていたのが霞さんで間違いなく、さらに、もうこれ以上殺人を犯す意思はない、つまり、殺害とした対象は霞さんただひとりだけだった、というのなら、僕に提案があります。聞いて下さい」
「何だ、提案って?」
怪訝な顔で村茂が訊くと、乱場は私たち全員を見回してから、
「……犯人は、正直に名乗り出てもらえませんか?」
「なんだって?」
村茂は呆気に取られたような顔をした。それは彼以外も同様だった。一様に同じような表情をして、場の中心にいる少年探偵の顔を眺めている。
「おいおい、名探偵くん」と高井戸が、「何の冗談だ? そんなことを言って、犯人が名乗り出るわけないだろ」
が、乱場は高井戸の言葉も無視するように、
「これは、犯人の自白を促す目的で言っているんじゃありません。皆さんを安心させてほしいという、僕からのお願いなんです」
「安心だって?」
「はい」と今度は高井戸の言葉に返してから乱場は、「さっき僕が言ったように、犯人の殺害対象が霞さんただひとりだけだとしたなら、もうこれ以上殺人を重ねる必要はないはずです。それを宣言して、僕も含めた全員を安心させてもらいたいんです。もう、ここでこれ以上の殺人は起きないと保証してもらいたいんです」
「馬鹿な。暴かれてもいない罪を、わざわざ認める犯人がいるものか」
高井戸は吐き捨てるように言ったが、
「いえ、暴かれます」
「なんだって?」
「今、犯人も、その犯行方法も、動機も、皆目見当が付かないのは、とりもなおさず、ここが〈クローズドサークル〉だからです。この〈輪〉が解けて、警察の捜査が入ってきたならば、警察は持てる限りの科学捜査を駆使して、必ず何かしらの証拠を見つけます。僕たち全員の過去や生活環境を洗いざらい調べて、初対面のはずの霞さんを殺さなければならなかった動機があったとしたなら、それもまず看破されます。犯人が正体不明でいられるのは、ここが〈閉ざされた〉状態である、今から数日間だけのことなんです。犯人に、霞さん以外もう誰も傷つける意思はなく、撮影隊として一緒に過ごした僕たちを仲間だと思ってくれているなら、そんな仲間たちを怖がらせるようなことは、やめてもらいたいんです。どうか……」
乱場は、もう一度私たちを見回す。十秒以上の沈黙が流れたが、私が犯人です、と声に出すものはついにいなかった。
「誰も名乗り出ないぞ……」
高井戸も自分以外の全員を見回す。乱場は小さなため息をついて、
「ということは、三つの可能性が考えられますね」
「三つ? それはどういう」
村茂が訊くと、乱場は、
「つまり、犯人にはまだ、霞さん以外にも殺すつもりの人間がいる。犯行を続ける意思がある、だから名乗り出られない。これがひとつ」
村茂も、他の全員も頷く。
「もしくは、霞さんは本来のターゲットではなかった。つまり、高井戸さんの被害者誤爆説が正しいということになります。まだ本来殺すはずだった人を手に掛ける必要があるため、名乗り出られない」
これにも全員が頷いた。
「最後に……ターゲットは霞さんで間違いなく、これ以上誰かを殺す意思はない。なのに、名乗り出ない。つまり、犯人はみんなを怖がらせて楽しんでいる……僕たちのことを仲間だなんて思っていないということです」




