恋する男
よく晴れた平日の昼、とある高校でのこと。校内では相変わらず、生徒たちがちょきんぶぅの目撃情報や願い事の体験談の話をしている。面白半分で嘘を流す者たちに、実体験を語る者たちなど、様々な層がちょきんぶぅの噂を広めているのだ。
そんなどこにでもある普通の高校に、これまたどこにでもありふれた少年が一人。彼は引っ込み思案で大人しく、病人のように痩せこけた体をしている。そんな彼は、決して学校で孤立しているわけではなく、かといって人気者というわけでもない。本当にどこにでもいるような、悪く言えば没個性的な人間――――それが彼だ。それが、樋口英一という少年だ。
英一は今、クラスメイトの女子に恋をしている。彼は無意識の内に、その女子を目で追ってしまう。授業中も、休み時間も、家にいる時でさえも、彼はふと彼女のことを考えてしまうのだ。
(ミカ…………)
彼の視線の先には、ショートボブの髪をした明るい少女がいる。彼女こそ、英一が想いを寄せているミカその人だ。彼女が他の女子と楽しそうに話している時の笑顔は、彼にとっては太陽のように眩しく見えた。
(ミカを独り占めしたい。美貌も頭脳も運動神経も何も持っていない僕だって、たった一つくらい他人に誇れる何かを持ちたいよ…………)
もちろん、ミカがそんな英一を好きになる要素など何一つない。彼が彼女を手に入れるには、あの存在の力を借りるしかないだろう。
*
その日の夜、英一は近所の公園のベンチで缶コーヒーを飲んだ。
(何も独り占め出来ない僕が、今この瞬間だけはこの公園を独占している。傍から見れば虚しいことかも知れないけど、ちょっとした王様にでもなったような気分だ)
微かに暖かさの残っている空き缶で手のひらを温め、彼は物思いにふけっていた。彼の姿は、夜光虫の群がる街灯によって照らされていた。
そんな彼の目の前に、「そいつ」は現れた。
「今の君が一番欲しいものはなんだぶぅ? それ、ぶぅが売ってやるぶぅ」
――――――ちょきんぶぅだ。
「君、最近噂になってる、あの『ちょきんぶぅ』?」
「その通りだぶぅ。願い事カタログにない願い事を叶えることは出来ない、叶えられる願い事は一人一つまで、そして未成年者にしか認識出来ないちょきんぶぅだぶぅ」
「…………やけに前置きが雑だね」
「義務とは言え、いちいち順を追って説明するのも面倒なんだぶぅ」
そいつはそう言うと、英一の頭に願い事カタログを装着させた。
「お、おい待ってよ…………何も僕は願い事を買うと決めたわけじゃ…………」
「まあ見ていくだけでも良いぶぅ」
この個体はそこそこ大雑把なのか、あるいはせっかちな性格をしているらしい。これには英一も少し困っているようだ。
「いや、僕は願い事なんて買わないよ。僕の願いは恋愛絡みだもの。好きな人の心を願い事の力で操るなんて、僕はごめんだね」
「人間の考え方は理解に苦しむぶぅ。相手を惚れさせるという行動は、時間をかけようがかけまいが、結局は『相手の脳の状態を自分に好都合な形に変えていること』に違いないぶぅ。そのための便利なショートカットを使わないなんて、あまりにも非効率的だし非合理的だぶぅ」
元々、ちょきんぶぅという存在には表情筋がなく、その表情が変化することはない。その文字通り無表情な顔と相まって、そいつの淡々とした語り口調もまた無機質に見える。英一は両手でちょきんぶぅを持ち上げ、目を合わせながらこう語った。
「人間っていうのは、野生動物にはないスピリチュアルな感性を持つ生き物なんだよ。効率や合理が全てなんて、そんなのロボットと変わらないよ。それに、相手を手に入れることが最優先だったら、それは愛のない下心と何も変わらないじゃん」
言うまでもなく、ちょきんぶぅには彼の感性を理解することなど出来ない。
「やっぱりぶぅにはわからないぶぅ。でも、君が成人になるまでまだまだ時間はあるし、じっくり考えれば良いぶぅ。試しに相手を落としてみて、もしフラれたらぶぅを頼ってみれば良いぶぅ」
そいつはそう言うと、英一の両手を抜け、夜の闇の中へと消えていった。英一の頭部から願い事カタログが消えたのは、その数秒後だった。
「ふん…………夢は自分で掴んでナンボだろ。見てろよちょきんぶぅ…………」
英一の心に火がついた。