3.焦燥と疑惑
ぴょこぴょことした小さい人と同い年ぐらいの少女2人と向かった部屋のドアには「研究部」と書かれた無骨な扉とは全く噛み合わない可愛らしいプレートが下げられており、そのおかしさがどこか重苦しさというか、近づきたくないようなオーラを放っている。
Sofia Ashleyという名を受け16年、旅行に来た日本に取り残されて3年。
アンゼリカはよりにもよってソフィーとマミーとダディーが日本旅行を終え、カナダに帰国する前日にあんなパニックを起こしてくれたため、ソフィー達は日本に取り残された。
両親は殺され、13歳のソフィーはひとりぼっちになってしまったが他にもそういう外国人はたくさん居たし、日本人の少女にも英語、またはフランス語を話せる人がたくさん居たのでコミュニケーションや生活には困らなかった。
強いて言うならば両親の死体を見た瞬間から声がどうしても出なくなってしまい、筆談せざるを得なかった事ぐらいだ。メモ帳を持ち歩くのは少し面倒くさかったし、視力が悪い人との意思疎通手段がなかったのでそれは少し大変だったが、それでも普通に生きてこれたと思う。
声が出なくなって1年後ぐらいに設備が整った病院に行ったが、声帯の病気だというわけではないらしい。もちろん医師も少女なのだが腕は確かでありそこを疑う事はしていなかったため、渋々メモ帳を持ち歩く事を決めたぐらいしか覚えていない。
それから2年も経つと完璧に日本語を理解できるようになり、住んでいた街にいた機械関係が得意な子が人工音声で話す事ができる端末を誕生日にプレゼントしてくれた。便利なものを得た事をいい事に筆談という面倒な事を全くしなくなり、楽を覚えてしまったソフィーの生活が前より自堕落になったのは言うまでもない。
何度か端末は壊れてしまったのだが端末自体は普通のもので、アプリによる音声なのだと教えてくれたため、今の端末は五代目という事になる。
無論教えてくれた少女も、最初に端末をくれた少女ももういないのだが。
そんな時を経て今ここにいるわけなのだが、正直この2人の少女もいつ死ぬのだろうとすでに予想を始めていた。
ケイセの方は先ほどのシオンさんとの戦闘から見てもそこそこ生き延びそうだがマツリの方はすぐ死にそうだ。
正直シオンさんが生き延びているのが不思議でならないがリンカさんに守られて生きてきたのだろうか。
決め付けは良くないと自分でも思うのだが、もし守られてきただけの人間だとしたらソフィーは彼女の部下として、彼女を慕い敬える自信がない。
ソフィーは守られるだけの人間が何より嫌いなのだ。
自分で行動を起こさずに人に頼るだけで他人を犠牲にして生きていく。
どんなところに行ってもそういう人は必ず1人はいたし、年下に頼るような人もいれば怪我人に頼る者もいた。
守ってくれる人が死ねばまた次の人に、その人が死ねばまた次の人。自らを助けてくれる人をコロコロ変えて自分は被害者ヅラして守られる。ソフィーは色々なところを転々としてきたが、その理由は大体そういう者とのトラブルだ。
彼女らを見ているとどうしても苛立ってしまい蹴ったり蹴ったり蹴ったりしてしまうのだ。別に悪意があるわけではない。だがどうしてもカッとなってしまうのだ。
それに、そういう者こそお友達への感情を抑えきれなくなった結果暴走して無駄な犠牲を生むのだ。
だが、どんなに腹が立ったと言えどレジスタンスに所属した時点で、シオンさんを苛立ちに任せて蹴ると問題になり兼ねない。
まあ一度蹴ったのだが。
あれは眠っているソフィーの枕元でうるさくしたから悪いのであって、本人の性質は関係ない。
そんなどうでもいいことを考えているうちにシオンさんが研究部の扉を開ける。何も怪しまずに着いて行くケイセとマツリの後ろを着いて行き部屋に入るとそこには書類とみられる紙の山や、試験管に入ったカラフルな液体などで散らかっており、 その散らかり具合から母国の自室を彷彿とさせる。
そして何より目を奪われるのは扉から見て正面にある背を見せている大きな椅子だ。誰かが座っているのは確かなのだが背もたれが大きく、カラフルなニーハイソックスを履いた華奢な足がパタパタと動いているのが見える。
「ヤギちゃん、こんにちは。さっき話した新入りを連れてきました」
シオンさんが声をかけると大椅子はグルリと回転しこちらを向く。そこに座っているのは橙色の髪を大きな一本の三つ編みにした女性。憂いを帯びた表情は完全に大人の女性であり、シオンさんとはまさに対極。体つきも付くところに肉が付いており、本当ににシオンさんとは真逆だ。
奇抜なパーカーに白衣を羽織り、ショートパンツを履いた健康的な女性はシオンさんの後ろにいるソフィーたちを一瞥し、妖艶に微笑む。
「お疲れ様! その子たちが新しい子なかんじ?」
その美しい笑みとは違い、子供のように喜ぶ女性。
頬杖を付きながら微笑を浮かべ、ギャップに驚き呆然としているケイセ達を見つめている。
そんなケイセ達を一瞥したシオンさんはクスクスと笑いながら
「可愛いでしょう? リンカから大体は聞いていると思います。右からケイセちゃん、シオンちゃん、ソフィーちゃんです」
「へぇ! アタシは八木アヤメ。レジスタンスの……医者兼科学者兼マスコットってかんじ? ヤギちゃんって呼んでねぇ」
『よろしくお願いします』
頭をさげるソフィーを見て我に帰ったのか、焦ってケイセが頭をさげる。マツリも空気を読んで頭をさげるが会釈程度になっている。頭を下げただけ及第点と取るべきか。
「うんうん、可愛いねぇ。りんりんの言ってた通りなかんじ。」
「りんりん?」
「えっと、たしか本名はリンカちゃんなかんじ? ほらぁ、あの子どこかカッコつけさんだからあだ名ぐらいは可愛くなきゃって思って」
眉を寄せて問うマツリを軽くあしらうヤギさん。
急に黙り込み、顎に手を当てて考えるような仕草をすると揶揄うような悪戯っぽい笑みを浮かべてマツリを手だけで椅子のところまで呼ぶとと余っているスペースに座らせ、髪を梳くようにマツリのポニーテールをクルクルと弄りご機嫌そうに笑っている。マツリは照れくさそうにしながらも黙って撫でられており、むしろ満更でもない顔で大人しくしていた。
「よし決めた! ケイちゃんとーまつりんとー、うーん……フィーちゃん! 決まったかんじ!」
「はいはい、良かったですね。それじゃあお願いしますよ?」
「大船に乗ったかんじで安心してて! あとはアタシの好きにしていいんだものね。桂木さんも頑張ってー」
たしなめるように苦笑し、部屋を出ようとするシオンさんに、手は止めず視線だけを向けたヤギさんが答える。
「それで話は変わるんだけどさぁ」
シオンさんが退室したのを確認した途端にくるりと椅子を回し意地悪そうに笑う。
「君たち、本当にいいのかにゃ?」
主語のないそれが何を指しているのかわかったものは三人の中には一人もおらず、顔を見合わせる。
顔を見合わせるソフィー達を一瞥したヤギさんは、困惑した表情で、
「あれ? わからないかんじ? えー言いづらいなぁ……」
困ったように顎に手を添え、首を傾けるヤギさんが何を伝えたいのか全く分からず、苛立ちすら覚えてくる。
こちらは残念なことにタチの悪い自覚のある短気なのだ。早くしてほしい。
「ほらぁ、あれだよ。本当に摂取しちゃう? って話」
なんだそのことか、と軽く溜息をつく。そんなことはもうシオンさんの部屋で散々話したことだ。これ以上聞かれるまでもない。そう感じたのはケイセも同じだったらしく、口を開く。
「八木さん、その事はもう」
「本当に? ……本当に桂木さんの説明だけでぜーんぶ理解して、その上で自分の命を投げ打っても構わないからお友達を殺そうって思ったの? フィーちゃんやケイちゃんは最初からお友達を恨んでいたわけではないんでしょう? 少なくとも日本では、お友達には無干渉ってのが常識だったはず。そんな常識がたった20分程度で覆えるものなのかにゃ?」
「……」
黙り込むケイセの返答を待つように鼻歌交じりに足をバタつかせるヤギさんの懐で狼狽えるマツリ。
「ホントかわいいなあ、おバカちゃんは。まあ、アタシは優しいから教えてあげる」
最初に見たときには目を奪われた美貌が、今はどこか恐ろしさすら孕んでいる。あごに手を添え、悪魔のような笑みを浮かべる。
「桂木さんの言葉は誰よりも真っ直ぐで澄んでいて、よく通る。通り過ぎるの。どんなに支離滅裂な言葉でも彼女が言えば正しく、力強い言葉に聞こえる」
「どういうこと……?」
マツリの呟きは聞こえるか聞こえないかの瀬戸際になるほど小さな声だったが、ヤギさんはそれを聞き逃すような位置ではない。
「君達は、RK細胞を限界まで摂取したらどうなるって聞いた?」
『身体能力の上限解放、副作用や障害が出ることもある』
クスクスと笑い始めるヤギさんに無性に腹が立ち、睨みつける。
『何がおかしい』
「おお、怖い怖い。いやあ、ごめんね? フィーちゃんのことを笑ってるんじゃないの。やっぱ桂木さんは変わんないにゃあって思って」
マツリを膝から下ろすと、立ち上がり一歩距離を詰めてくる。艶やかな笑みを浮かべたままマツリを後ろに隠すケイセの手を取ると引き寄せて、品定めするようにケイセの瞳を覗き込む。
「……藤橋ケイセ。今年で16? 思ったより若いんだね。166cm48kg。スリーサイズは上から」
「ちょっ、ちょっと! なんでそんなこと知ってるんですか!?」
顔を赤くして言葉を遮るケイセをからかう様に笑うと、ケイセの手を解放する。
「こういうことだよ」
『格好だけじゃなくて頭もおかしい変態ってこと?』
「おわぁ手厳しい。だから、フィーちゃんがさっき自分で言ってたでしょ? 『身体能力の上限解放、副作用や障害が出ることもある』って。今のがアタシに残った障害。RK細胞を摂取してアタシは強くなったしすっごく集中力も上がったから仕事が効率的になった。でもその代わりに、人間の限界を超えた観察力を無理やり植え付けられた」
障害、と聞き手足の不自由だとか、視力の低下とかそういう者を想像していたが、一概にそうではないことを目の前の彼女が証明している。
人智を超えた能力、それが障害だというならば。
「それじゃあ、ヤギちゃんさんは好きでそうなったわけじゃないの?」
「まあ、そうなるねえ。そんで話を戻すけど、その障害は運悪く桂木さんやりんりんにも出てしまった。RK細胞ってのは謎が多くてさ、機能しなくなっちゃったり、逆に過剰に機能する様になっちゃったり。全く統一性がないの」
淡々と語りながら困った様な表情で肩を竦める。
論点がすり替わっている話に苛立ちを覚えていたのはソフィーだけじゃなかった様で、どこか刺々しい口調でケイセが問う。
「……それと、シオンさんの言葉に何の関係があるんですか?」
「もう、急かさないでよぉ。ちゃんと関係ある話してるんだからね? んで、桂木さんの障害。まあざっくり言うと、人心掌握みたいなかんじ? 彼女はどうすれば人の心を動かせて、どうすれば自分の味方に出来るかを知ってるんだよ」
なんでもないことの様に語るが、それはつまり。
『……シオンさんは、その能力でソフィー達を騙してたってこと?』
自分で口に出したにもかかわらず、騙されたという実感はわかない。
だって、話をするシオンさんのあの表情は理想に燃えるどこにでもいる少女の顔だったのだから。
狼狽えたソフィーの言葉を聞いた
「ああ、違う違う。桂木さんは、その人心掌握を無自覚でやってんの。なーんにも意識しなくても彼女には人がついていくし、無条件で信頼される。桂木さんは騙そうとしてたんじゃない。単純な説明不足と無知だっただけなの」
一気にまくし立てた後、その馬鹿にする様でもありからかう様でもある笑みを消し、その顔から感情が消える。
「ま、だからアタシは桂木さんが好きじゃないんだけどねぇ」
ぽつりと呟いた声音は先程とは全くの別物で、温度を感じない冷たく、どこか残虐さを孕んだ声だった。
背筋にぞわぞわとしたものが走り、一歩後ずさる。
少し目線をそらし、また見ると先程の笑顔に戻っており、なんでもない様な顔をしていた。
「まあそんなわけでさぁ、いっつもアタシは桂木さんの説明不足をフォローしてるってわけ! だから君達には桂木さんの説明の足りなかった部分を説明する講義を受けてもらうよん」
「講義?」
「そそ! 障害のこととぉ、身体能力の上限解放について詳しく、ってかんじかな。それを聞いてからやるかどうか。もう一度決めてほしい」
最後の部分だけやけにはっきり言うヤギさん。正直どこまで信じていいのかわからないし、まだ怪しく思っている。それはケイセも同じらしく、こちらに目配せをしてくる。
怪しまれている当の本人はホワイトボードを気だるげに動かしており、
「そんな警戒しなくても、騙したりしないよぉ?」
『逆に今までの態度でどこを心配するなっていうの』
「あはは、なんにも言い返せないのがつらいにゃあ」
冗談めかしく笑いながら肩をすくめるヤギさんを呆れと警戒を含んだ目で見つめるケイセ。
警戒の態度は崩さないままだがとりあえず後ろに隠したままだったマツリを解放する。
「とりあえず、説明していただいていいですかね?」
「うん、そろそろあたしも聞きたいです」
本題に入らずグダグダ話しているだけの雰囲気に飽きてしまったのであろうマツリと、焦らされて苛立ちの募るケイセが口を揃えて急かす。
それを聞いたヤギさんは意図的に困ったような風にしているわざとらしい笑みでホワイトボードに寄りかかる。
そして並んで立つ二人とソフィーの方を一瞥し、
「フィーちゃんも……うわ、言う前に察しろってお顔だねぇ」
『わかってるなら話が早い』
「まったくぅ、最近の若者はこれだから……ま、そんな子達に寛大に接するのも年上の役目ってかんじ? はいはいそこ、目で訴えない」
もはや茶々を入れず、黙って聞いている。そんなソフィー達を意に介さず、その顔に悪戯な微笑を浮かべ、
「それじゃ、一気に説明しちゃうから置いてかれないでねぇ?」
と、悪ふざけを始める子供のような顔つきで言うのだった。
それぞれ三人、思うところは違えど複雑な思いで、ヤギさんの説明を聞く。
話を聞いていても、まったく現実味のない話に実感が湧かないのはソフィーだけなのか。
それを今二人に確かめるこもはできないし、ソフィー自身確かめる気もなかった。
ここまで読んでいただききありがとうございます!
0話、1話はケイセ視点、2話はマツリ視点、3話はソフィー視点と主人公となる三人で視点を回してきましたが、次話からは三人称視点になります。
ストーリー作りも小説を書くこともまだまだ未熟ですが、温かい目で見守ってください!