お題:カウントダウン フィアの一日
大気のマナを原料に、言葉《呪文》を介して奇跡を起こす。
この世界の住人であれば、誰しも魔法が扱える。それは子どもですら知られていることだ。
いや、子どもだからよくわかるとでも言おうか。
ギイ――揺り椅子を傾けながら私は幾つかの魔導書に目を通していた。悠長に本を読んでいる事態ではないのだが、慌てても仕方がない。
「お師様、この子はどうなっちゃうの?」
一番弟子のフィアが私のローブの裾を引っ張った。彼女の視線の先には、寝台に寝かされた耳の長い少年が苦しそうに息を吐いている。
チクタクと時計の針が音を立てながら、時を刻む。もう少しで少年は大人と呼ばれる年齢になる。本来であれば喜ぶところであるが、例外がある。
「最悪の事態にならないよう、一生懸命考えましょう」
私はフィアを落ち着かせるために、手のひらを彼女の頭の上に乗せてみる。いつも天真爛漫な彼女も、今は瞳をにじませている。
「魔力、内包量、成長期――」
私は幾つかの書物を宙に浮かべて、ページをめくる。キーワードに該当しなかった本がコトリと地面へと落下していく。
「魔力の高いハイエルフは、なかなか出産されないし、困ったものです」
独り言のような言葉をこぼしながら、弟子の頭をなでる。目を瞑って、首をすぼめた弟子はいつしか震えが止まっていたようだ。
ハイエルフが成人になる時、膨大な魔力が溢れる。その量は大気中のマナと共鳴し、強大な魔法を起こす。成人の儀を行えば、この魔力量を逃がしてやれる筈であるが、生憎私は魔法理論が専門で、儀式は門外漢である。
「せ、先生――今までありがとう」
ボクの親でもないのに――と彼は力なく言葉をこぼした。額には汗が浮かんでいる。今、彼の体内はそこら狭しと魔力が暴れまわっているに違いない。
魔法の素養が強いものを誰彼でも受け入れるものではなかったか――
大人へのカウントダウンが迫るなか、私はこの孤児の少年に何もしてやれない。
「ローベン、そんなことを言うものではありません」
――私が何とかしてやるから。その一言はどうしても口にできなかった。
「――っ」
言葉には出さず、憤りが漏れた。私の魔力が漏れ、フィアの黒髪が逆立つ。
「ああ、フィア。驚かせたね」
ごめんなさい、と私は彼女の髪を梳く。不安だろうに、フィアは笑ってみせる。私のなすことに一々笑う彼女に、何度救われたことか。
「私が、何とかしてやるから、大人しく待っていてください」
ファイアの頭を撫でると、自然と震えが止まった。そうだ、今ここで動かねば何のための私か。何のための歩く魔導辞書か!
私は大きく息を吐く。まだ魔導書の検索は終わってはいない!
くい、くい――
焦る私のローブが引かれた。
「なぁ、お師様……」
言いにくそうに、フィアが言葉を紡ぐ。この状況だ、彼女不安に違いない。
「えっと」
ぐぎゅるるるる、とフィアのお腹が鳴っていた。
「あ、や、今のなし、なし!!」
耳まで真っ赤にして、フィアが両手をぶんぶんと振っている。生物でもマナでも、世界の法則には抗えない。どんな時でもお腹は減るものだ。
「ああ、お腹が減った。こんなことならお腹いっぱいの時でも、食べておけばよかった」
「フィア、何ですって?」
私はメガネの淵を持ち上げて、弟子の思いつきを繰り返させる。
「お腹が減った?」
「違います。その後です!」
「お腹いっぱいの時でも、食べておけばよかった?」
「そうです! フィア、流石は私の一番弟子です!!」
脳の血管を流れる魔力量が倍増する。私はすぐさま、落ちた筈の本を拾い、再度検索を行った。
「キーワード、魔力、内包量――」
限界値。
入れ替えたワードに反応し、一つのページが開かれる。
極大魔法、光穿つ白。
「お師様、見つかったんだね!」
フィアはにっこりとほほ笑む。
「さあ、ローベン、いきますよ! 舌を噛まないように気をつけて――」
会話をしながら、同時にその言葉で呪文を起こす。
時計の針は彼の生まれる時刻に刻一刻と迫っている。チャンスはこの一度だ。
「フィア、魔力ゲージ、5番まで解放! 手伝ってもらいますよ!」
毛細血管が、マナの奔流に千切れていく。私だけでは足りない。
「あい!」
だが、彼女――無尽の魔力を誇る彼女がいれば問題は、ない!
爆発的な魔力がほとばしり、屋敷の屋根を弾け飛ばした。
彗星のごとく放たれる多量の光が、宙の星をくだいて、新たな光を生んだ。
「ハァハァ――」
ローベンが激しく呼吸をしている。
「ダメ、だったの?」
時計の針が、彼の誕生日、カウントダウンの終わりを告げていた。
「いーえ、彼の魔力をこえて、我々の魔力放り込んでパンクさせてやりました」
魔力の暴走に身体が痛むということは、生きている証。
ぐぎゅるるるr
もう一度盛大な腹の虫の音。
「さて、ケーキを焼きましょう」
私はもう一度、フィアの頭を撫でて、お菓子の本を手に取った。
この子たちが祝福されるよう、この後も私は祈り続けたい。