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カシミールの青空

作者: 呂目呂

 どうも。こんな風に注目されると照れますね。

 えーと、怖い話、という事ですが、あまり知らないんです。

 少し、苦手で。さっきから皆さんのお話を聞かせて貰ってますが、やっぱり怖いです。何度も耳を塞いじゃいました。

 特に、ベッドの下から無数の手が出てくる、あの話。ひっ、て声が出ました。……恥ずかしい。

 そんなわけですから、順番なのでこうして喋っていますが、私の話は怖くありません。

 いえ、ちょっと不思議な出来事で、聞く人によっては怖いと感じるかも、です。ただ、私にはちっとも怖くないのです。

 あらかじめ言っておきますと、これは私が実際に体験した出来事です。って、怪談の前置きの定番ですね。違うんです、本当にただの体験談です。

 人にこの話をするのは初めてで、それに、記憶をたどりながらになりますから、話がまとまっていないかもしれません。

 お聞きのように、話す事が得意ではないのです。でも、せっかくですから、がんばって話してみますね。

 前置きはこれくらいにします。それでは……えへん、お話しします。


 3年程前、私は一人でインドを旅行していました。ツアーとかではなくて。

 そうですね、バックパッカーというやつです。香港からスタートしまして、ベトナムやタイなどを周りました。それからインドへ飛んだのです。

 えっと、全部で十ヶ月かな。いえ、そういう人、沢山いるんですよ。女の子も。

 その頃まだ学生でしたし。はい、休学して。今はもうそんな旅行できないですね。あー、あの頃に戻りたいです。

 インドは大好きになる人と、全然ダメ!っていう人に別れるんですが、私は幸い前者でした。

 大変な事も沢山ありましたが、それはどこの国でもそうです。日本にいても、いつも困ってますよ。

 インド人は好奇心旺盛です。外国人につい構いたくなっちゃうので、しょっちゅう話しかけられました。それを煩わしく感じる人もいるのですが、私は楽しめました。さすがにちょっとウザイな、なんて思う事もありましたが。

 文化の違いを思い知らされる事は、他の国より多かったです。トイレとかね。えーと、そうなんです、左手で。はい、拭いてました。郷に従えですから。えへへ。

 ご飯にも困りませんでした。カレーです。現地の人達となるべく同じ食事をとるようにしてましたから、ローカルな食堂で、毎日カレーを食べました。日本のとは別物ですよ。

 やだ、インドの話長くなっちゃいますね。ちゃんとこれから核心に入ります。


 私は初めてのインド旅行者が必ず通る、コルカタからデリーまでのルートをとりました。途中に仏陀ゆかりの地や、有名なガンジス川の流れる聖地バラナシ、タージマハル等があるのです。

 そのバラナシという観光地に、私は二週間程滞在しました。

 長い方じゃないですよ。数ヶ月滞在っていう人もゴロゴロしてましたから。そういうの、バックパッカー用語で「沈没」っていうんです。

 安宿に泊って、毎日好きなように過ごしました。お寺を観に行って、雑踏に流されるように歩き、路地をさまよい、ガンジス川をぼんやり眺めて。全然飽きないですよ。

 皆さんご存じないと思いますが、安宿にはドミトリーという大部屋があります。ベッドがいくつも並んで、他の旅行者と一緒の部屋で寝泊まりするんですね。私はさすがに度胸がなくて、シングルルームでしたが。

 よく自分と同じ宿のドミトリーへ遊びに行きました。その頃、日本人の旅行者が何人も泊ってたんです。夜なんかよく皆で遅くまでおしゃべりしました。話題は尽きませんから。

 これまで旅して来た国。これから行く国。インドについて。日本での生活。将来の事。いつまでも話していられました。

 沢山の人達に仲良くしてもらって、とても楽しい思い出になっています。若い女の子だっていうだけで、けっこうチヤホヤされちゃいましたしね。ははは。

 仲間達と観光のお供をしたり、皆でご飯を食べに行ったりしました。そこで友達になった女の子とはまだメールしてますし、日本で会う事もあります。

 バラナシを出た私は定番のタージマハルを観光して、首都デリーに向かいました。そこからさらに、西のラージャスタンという砂漠の広がる地方を目指します。

 インドは広いので、一回の移動に列車やバスで丸一日以上かかるのはざらでした。予約がうまく取れなかったり、時間が大きく遅れたり、トラブルには事欠きません。よくあんな旅が出来たなって思います。

 一ヶ月程ラージャスタンを周り、再びデリーに戻りました。

 その頃私は旅行のルートに悩んでいました。まだインドに行ってみたい場所が沢山ありました。だけど一応のゴールに決めていた、トルコのイスタンブールにも近づきたかったのです。時間とお金は限られてますから。

 デリーで悩みながら、とりあえずやっておくべき事を片付けました。大使館でのビザの取得等ですね。日本大使館では荷物の受け取りもできるので、あらかじめ両親に必要な物を送っておいて貰いました。えと、梅干しとか。必要なんです。両親に感謝です。


 ある日駅前をブラブラしていたら、顔見知りに出会いました。バラナシのドミトリーで、毎日顔を合わせていたメンバーの一人です。

 名前は仮にケンさんとします。チャイ屋に移動して久しぶりの会話に花を咲かせました。彼とは歳も近いし、ちょっと仲がよかったので。

 しばらくした後にケンさんが、

「日本大使館には行った?」

 と尋ねてきました。行ったよ、なんで?と聞くと、

「張り紙、見なかった? 掲示板の」

 と言います。

 知らない、なにが書いてあったの?そう聞く私に、

「……清水さん、亡くなったぞ」

 とケンさんが言ったのです。

 清水さんというのも仮名ですが、ケンさんと同じくバラナシで仲良くしていた仲間です。

 びっくりした私は、えっ、いつ?なんで?と尋ねました。

「10月3日にカシミールで、高山病で亡くなったって。もう遺体は家族が引き取ったらしい。

 あっちの方は治安も悪いし、高山病の危険もあるから、あまりホイホイ行くなっていう警告が書いてあった。

 清水正一郎さんって、あの清水さんのことだよな。

 俺と清水さんは、君が出てった後もしばらくバラナシに残ってたんだけど、彼、カシミールに行くって言ってたんだ」

 それを聞いて私は、なんだ、違うよ、びっくりさせないでって言いました。

 なぜかというと、私は10月の始め頃ラージャスタンのジャイプルという町で、清水さんに会ったからです。カシミールというのは、インド北部の山岳地方です。

 私はケンさんに説明しました。

 ばったり出会った清水さんはバックパックを背負っていました。

 あれ、清水さん。

 私が声を掛けると彼は笑顔で、カシミールに行って来た、青空がきれいだった、そんな事を話しました。もう日本に帰るんだ、今日もこれから移動だよ。

 それだけ言って、清水さんはじゃあ、良い旅を、と去って行きました。立ち話で、ほんの1、2分くらいだったでしょうか。

 ケンさんは黙って私の話を聞いていました。

 ほらね、違うでしょ?変な事言わないでよ。清水さんはカシミールの後、ジャイプルに来てたんだよって言いました。

 すると彼は、

「うん。俺も、その同じ頃に清水さんに会ったんだ。ここで」

 そう言いました。

 なんだ、わかってたんじゃん、人違いだって。そう言うと、

「おかしくないか?

 清水さんがバラナシを出発したのが9月の下旬なんだ。

 急いでカシミールに行ったとしても、一週間はかかる。俺がデリーで彼に会ったのが10月3日。日記を見て確かめた。カシミールで亡くなったのも3日。

 君が会ったのも10月3日なんじゃないか?」

 そんな事を言い出したのです。清水さんに会った日は定かではありません。私は日記をつけていませんでしたから。

「彼はバラナシを出る時、カシミールでゆっくりするって言ってた。二日や三日でデリーに戻るわけがない。バラナシで一ヶ月以上もダラダラしてたような人が。

 ましてやジャイプルまで行くなんて、そんな旅程組まないよ。第一、間に合わない。移動だけで何日もかかるからね。

 俺が会った時、変だなと思って、あれ? 早いよねって言ったんだ。そしたら、君も聞いたろ? 日本に帰るって。そんな話、バラナシじゃ一言も言ってなかったのに。

 だって、彼は次にパキスタンへ行って、そのままアジア横断の予定だったんだ。俺も同じルートだから、イラン辺りでまた会うかもしれないね、なんて話もしてたよ。

 彼、厚手のジャンパー着てなかったか? 夕方だったけどデリーは暑かった。俺はTシャツで丁度良かったよ。。

 清水さんだけ真冬みたいな格好だった。カシミールはその頃だって、もうかなり寒かっただろうからね。

 大使館で張り紙を見た時はショックだったけど、なんか納得したんだ。

 ……清水さんは最後に、挨拶しに来てくれたんじゃないかな。俺や君、他にも旅行中に出会った仲間達に。

 俺は霊だとか、そういったものは信じていなかった。だけどあれは、そうだとしか思えないんだ。

 さっきも言った通り、遺体はもうご家族に引き取られた。

 日本に帰るっていうのは……つまり……、そういうことなんだと、思うんだ」


 これがケンさんが私にした、清水さんの話のすべてです。

 彼と別れた後も私はこの話が頭から離れませんでした。

 一人で冷静に物事を整理して考えました。

 私が清水さんにジャイプルで出会ったのも、ケンさんの場合と同じく夕方です。確かに厚い上着を着込んでいました。だけど、ジャイプルは砂漠地帯の町です。夜になれば急激に気温が下がるので、私は不思議には思いませんでした。

 旅程が突然変わるのもよくある話です。私だってそんなのしょっちゅうでしたから。

 移動も、飛行機を使ってブッキングがうまくいけば、間に合う日程だったのかもしれません。

 10月3日という日付ですが、これは私には確かめようがないですからね。

 大使館の張り紙にあったという清水さんの名前。清水さんの正確なフルネームを、ケンさんが知っていたとは思えません。私も知りませんでした。連絡先を交換していなかったのです。あんなに仲良くしてたのに。けど、まあ、そんなものなんです。

 旅行者同士で、通称のように呼び合うのは名字か下の名前のどちらかですから、あまりフルネームを知る機会はありません。今は仮名でお話していますが、実際もよくある普通の名字でした。

 お亡くなりになったのは多分、違う清水さんだったのでしょう。


 私は今でも、あの時に会った清水さんの姿を、はっきりと思い出す事が出来ます。

 良い笑顔で、カシミールの青空について話してくれました。

 あれがケンさんの言うような、幽霊か何かだったなんて、私にはとても思えません。

 見てもいないのに、カシミールの青空まで目に浮かびます。

 ですから、私にとってこの話はちっとも怖くないのです。

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― 新着の感想 ―
[一言]  拝読しました。  冒頭にある通り、怖くはなく不思議な話でありました。  その人の事は知っているけれど、詳しい氏素性も名前もちゃんとは知らない。旅先の濃いようで希薄な人間関係の空気と、それで…
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