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荒熱のとれたカップケーキの上に、ホイップクリームを絞り出す。

丸い口金から、ほわん、とクリームが出てきて、スポンジの上を滑っていく。

瞼の腫れがなかなか引かなくて、作業が思うように進まない。

香り付けにレモンの輪切りを小さく切ったものを、ちょこんと乗せて、冷蔵庫に入れる。

もう日も沈んで涼しくなってきたけど、まだまだ夏の陽気だ。

冷え冷えの美味しいのを食べてもらいたいから、お茶を淹れる間も冷やしておこう。

コンロにかけておいた薬缶の蓋が、カタカタ音を立て始めている。

沸騰しきる前にコンロを止めて、茶葉の入った缶を開けると、ふわりと香ばしいような、瑞々しいような香りが鼻先をつついた。


あれから皇子さまが王宮の中に戻っても、私はしばらく木陰に座り込んで、ぼんやりしていた。

空を見上げて、流れる雲を眺めて。

小鳥の囀りを聞き流しながら、ずっと考えていた。

考えても答えの出ないことだと分かっているのに、私が本当のことを知る日が来ることはないって、分かっているのに。

頭の中がぐちゃぐちゃで、落ち着こうと思うたびに涙が出て。

深呼吸したら、胸が震えてしまった。

自分が母親になったからなのか、どうしても皇子さまが泣いてる迷子の男の子みたいに思えて、抱きしめて背中を擦ってあげたくて・・・。


その気持ちは、テレビ画面の中で起きてることに涙が出てしまうのと、少し似てる。

部外者だから心が揺さぶられるだけで、どうしようもなくて。


どうにか気持ちを落ちつけた頃には日が傾き始めていて、お腹を擦りながら執務室を訪れた私を、ジェイドさんは何も言わず、何も訊かずに迎えてくれた。

鉄子さんも、ジェイドさんも、目の前に現れた私を見て一瞬言葉に詰まってて・・・。

・・・鏡で見たら、自分でもびっくりするくらい不細工な顔をしてたから、無理もない。

普段はもう少し、ましな顔をしてるを思うから。




自分の顔が今この時も、かなり可愛くないことを思って、苦笑していると。

「まったく、」

背後から声が聞こえた。

呆れ半分、苦笑い半分の声に、咄嗟に振り返る。

すると、キッチンの入り口に立っていたジェイドさんは、ゆっくりと近づいてきた。

棚に置かれたティッシュを一枚取って。

「やっぱり泣いてたんですね」

言いながら、私の目じりに溜まった涙をティッシュで吸い取ってくれる。

・・・さらさらの金髪が、ぼやけて光って綺麗だったのにな・・・。

そんなことを思いながら、私は彼を見上げた。

「いつから見てたの・・・?」

知らない間に自分の声が、鼻にかかって上ずっていることに内心驚きつつ、尋ねる。

彼は私のくぐもった小さな声を、ちゃんと拾って小さく笑った。

「あなたがカップケーキを冷蔵庫にしまって、茶葉の缶を開けるあたりから。

 ・・・鼻を啜ったところで、我慢出来なくなりました」

「鼻、啜ってた?私?」

「ええ」

空色の瞳が、柔らかく笑む。

私は悪戯っぽく笑う彼になんだか悔しくなって、思わずその胸を軽く叩く。

「もっと早く、声かけてくれても・・・」

ぺち、と音ごと手のひらが彼のシャツに吸い込まれた。

「今度から、そうします」

ジェイドさんの腕は、私のよりもずっと強くて長くて、太くて頑丈だ。

なんだかよく分からない、言葉にならない気持ちごと、私を包んでくれる。

たまに気が弱くなったり、気遣いが1周して良く分からないことをしたり、暴走したり・・・そんなこともあるけど。

「・・・あのね、」

何も訊かずに私を腕の中に閉じ込めて、髪を撫でてくれる彼に、囁いた。

「ぎゅって、して。思いっきり」

苦しくなるくらいに抱きしめられたら、体の中に巣食った気持ちも逃げていくと思ったから。






「・・・そうですか、彼がそんなことを・・・」

カップケーキとお茶で落ち着いた私は、ジェイドさんに今日の出来事を話した。

あの木陰での、皇子さまとの話だ。

・・・ごめんね、ディー・・・。

裏切ってしまう罪悪感と、ジェイドさんを心配させる罪悪感が天秤の両端で揺れて、結局私は自分の夫を選んだ。

・・・ジェイドさんにも、ちゃんと口止めしとくからね・・・。

胸の中で彼に誓った私は、お茶を含んで喉を湿らせる。

「やっぱり、後を継ぎたい気持ちはあったんですねぇ」

そう呟くように言ったジェイドさんの声は、どこか嬉しそうだった。

「・・・やっぱり、ってなあに?」

鼻声で喋りにくい私が尋ねると、彼はにっこり微笑んだ。

「私達が、ミナの件でホルンへ出かけたことがあったでしょう?

 あの後、彼が手紙を寄越してきたんですよ。

 ・・・もっと上手くやるためには何を勉強したらいいんだ、ってね」

「そうなんだ・・・」

皇子さまは、自分が役に立たなかった、と言っていた気がする。

相槌を打った私に、ジェイドさんは静かに頷いた。

遠くを見るようにして、小さく笑う。

「自分のプライドが傷ついただけなのか、役に立ちたいと思っているのか・・・。

 正直あの時の私には、全く分からなかったんですがねぇ・・・なるほどなるほど」

どうやら何かに納得したらしい。

彼はカップを傾けてから、カップケーキに上品にかぶりついた。


この人はいつも、カップケーキを食べる時だけ・・・正確には、私と2人でいる時だけ・・・手づかみでがぶり、と食べる。

そうするのが一番美味しいんだと言い張るから、私は何も言わない。

でも、きっとその瞬間は、いろんなことを忘れてるんだろう。

そのことが、私には何より嬉しいから、それでいいんだ。


そんなジェイドさんの、子どもっぽい仕草を眺めてほっこりしていると、彼は指についたクリームを舐めとりつつ、私を見た。

「王立学校を卒業して、これからどうするのか決めろと言ってあったんです。

 宙ぶらりんのままだと、女性達からちやほやされるだけのお人形になってしまいますからね」

「そうだったんだ・・・。

 でもディーは、今さら自分からは言い出せないって・・・」

「そんなものは、どうにでもなります」

皇子さまの話を思い出した私が言うと、ジェイドさんはきっぱり言い放つ。

「アッシュとチェルニーさんは、両手を上げて喜ぶでしょう。

 レイラさんも、反対する理由はないはずです。のんびりした性格ですし。

 ・・・私は補佐官ですよ。皇子の1人や2人、ちょちょいのちょい、です」

・・・食べかけのカップケーキがぼろぼろ零れてますけどね。補佐官さま。

どうだ、みたいなカオをして言い切ったジェイドさんを、私は若干冷めた目で眺めていた。


「私が、もうちょっと役に立てればいいんだけど・・・」

ジェイドさんに打ち明けても、体の隅の方には未だに何かが蠢いている。

もやもやと、掴みどころのない気持ち。

ぶよぶよする瞼を何度も瞬かせていると、彼が隣でため息を吐いた。

仰ぎ見れば、いつの間にか彼の手からはカップケーキがなくなっていて、口の周りもすっかり綺麗になっていて。

「それで、泣いてたんですね・・・」

穏やかな、大人の声がすぐ側で耳を打った。

同時に、その腕にふわりと包まれる。

嗅ぎなれた彼の匂いを吸い込んだ私は、小さく頷いた。

「聞いてたら、悲しくなって。

 お母さんの気持ちになったの・・・苦しくて、守ってあげたくなっちゃって・・・」

彼の腕に顔を埋めたまま呟いた私の髪を、温かい手が滑っていく。

かち、と金属音が聞こえて、シャンプーの匂いがする。

そして、彼が私のつむじにキスをして、口を開いた。

「ああもう・・・つばきは本当に可愛いですねぇ・・・」

甘い声で言葉を紡いだ彼は、手櫛で私の髪を梳いていく。

顔を上げると、空色の瞳が柔らかく細められた。

「あなたが守りたいものは、私が代わりに・・・。

 だから、何も心配しないで。瞼がこんなになる前に、私のところにおいで」

「ジェイドさん・・・?」

いつになく真剣な目をして言うから、私は思わず彼を見つめ返す。

すると、彼は髪を梳いていた手で私の目じりをなぞった。

そのまま、するりと指先が流れて頬を撫で、やがて唇に触れる。

「突然、泣き腫らした顔でやって来た妻を見て、何事かと思ったんですからね。

 ・・・チェルニーさんに苛められたのかと思いました」

「・・・私が王宮にいたの、知ってたの?」

「ええ、彼女が焼き菓子を注文したのは知ってましたから。

 そうなれば、届けに来るのは店主かあなたでしょう?」

腫れた瞼を持ち上げて目を見開いた私に、彼は苦笑を浮かべた。

「気配は感じてましたけど、きっと執務室に顔を出すだろうと思って待ってたんです。

 ・・・で、散々待って会えたあなたは、泣き腫らした顔をしていて・・・。

 どんな方法で報復をしようかと、食事の間もずっと考えてたんですからね」

ちくちくと棘を含む言葉をため息混じりに言ったジェイドさんは、私をぎゅっと抱きしめる。

彼の鼓動が、ゆっくり私の体をノックしているのを感じて、そっと目を閉じた。

彼の体を流れるものと、私の体を流れるもの。

同じようで、全く違う。

それなのに、私に宿った命には、それが半分ずつ含まれてる。

そんなことを考えて、不思議で温かい気持ちになった私は、ジェイドさんの腕の中で息を吐く。

ごめんね、と小さく囁いた私の髪に、彼はもう一度キスを落としてくれた。


「私達の赤ちゃんも、大きくなったら反抗期があるのかな。

 産んでくれなくても良かったのに、って言われたり、するのかなぁ・・・。

 男の子だったら、ジェイドさんのこと“くそ親父”って呼ぶ日が来たりする・・・?」

彼の鼓動の音を聞きながら囁くと、腕が緩んで離れた。

温もりが空気に溶けて、いなくなるのが寂しくて見上げると、彼が小さく息を吐く。

そして、むに、と両手で私の頬を挟んだ。

・・・これ以上不細工になったら、どうしてくれるんだ・・・。

真剣に心配してるのに、この扱いは一体何なんだろう。

納得のいかない気持ちを抱えて、上目遣いに見ていると、彼がため息混じりに言った。

「・・・考え過ぎ」

「分かってるもん」

ぷい、と顔を背けようとするけど、見た目よりずっと力の強いジェイドさんが、それを許してくれるはずもなく。

強制的に私は彼と見つめ合って、むすっと口を尖らせた。

すると、そこへキスが降ってくる。

ちゅ、と軽く吸われた私の唇は、みるみるうちに萎んでいった。

それを見て、ジェイドさんが噴き出す。

「ほんと、可愛いんですから・・・あのね、つばき」

ふざけて緩んでいた頬を引き締めた彼は、真剣な目をして私を見つめた。

私は、両方の頬を包む手が熱くなっているのに気づいて、息を詰める。

「私達は、これからきっと一生懸命、子どもを育てるでしょうね。

 夫婦として仲良くやっていけるように、たくさん話もするでしょう。

 喧嘩も家出もしながら、家族の将来を考えて、いろんな選択をするはずです」

言い聞かせるように言葉を紡ぐ彼に、私は目だけで頷いて先を促した。

「その選択を、間違えることもあるでしょうね。

 愛情だと思って与えたものが、子どもに受け取ってもらえないことも・・・。

 家族で居続けることが上手くいかない時期があっても、それは当然なんですよ。

 もともと別々の人間同士が、一緒に暮らすんですから・・・」

「ん・・・」

「それに・・・夫や妻や、子どもの完璧な愛し方なんて、ないと思いませんか」

彼は、私の抱えるもやもやを掴んで捨てるように、言葉をくれる。

空色の瞳を、じっとこちらに向けたまま。

「まあ、自分のこれまでを棚に上げて話してますけれど、ね。

 王族一家を見ていると、まあ皆さん呆れるほど不器用ですから、いい勉強になります。

 ・・・皆、家族が大事で仕方ないんです。自分が苦しんでもがいてしまうくらいね。

 手探りで、どうしたら相手のためになるのか、一生懸命で・・・」

「うん」

「それでもやっぱり、完璧な愛し方なんてないんです。

 だからオーディエも、長いこと反抗期・・・の振りを続けてるんでしょう」

「・・・難しいね」

解放された頬が、だんだんと冷えていくのを感じながら、私は呟いた。

「・・・私、ママになっても大丈夫かなぁ・・・」

すっかり自信喪失だ。

すると、弱気になって俯いた私の手を、ジェイドさんがそっと握った。

そしてそのまま、私の手にキスをする。

そのカオは楽しそうで、私もつられて頬を緩めてしまった。

「大丈夫ですよ、私も自分が立派な父親になれる気が、全くしません。

 つばきを独占するために子守りを雇ってしまわないか、今から不安なくらいです」

「・・・やきもち?赤ちゃんにまで?」

その台詞に思わず噴き出した私を、彼が優しいカオをして見下ろしている。

「本当は、彼を愛称で呼ぶあなたに、可愛さ余って憎さが膨らんでます。

 どうしてくれましょうね、本当に・・・」


その時のジェイドさんの顔があまりにも可愛らしくて、私は彼のシャツの襟を摘まんで、やんわりと引き寄せた。

キスをした唇からは、甘酸っぱいクリームの匂いがして。

我慢できなくて、そのままぺろりと彼の唇を舌でなぞった私を、彼が低く笑った。

「やってくれましたねぇ・・・?」

怪談話でもする気なのかと思いたくなるような声で囁いた彼が、無駄のない動きで私の服のボタンを外しにかかる。

え、なんで?・・・と声に出したはずの台詞は、見事に彼の口の中に吸い込まれていく。

「もう、やきもち焼きでも何でもいいです」

いつもの倍くらいの速さで、なのにものすごく艶やかな吐息と一緒に耳元で囁かれて、私は次の瞬間腰が砕けたみたいになってしまう。

首筋に、熱くてぬるっとしたものが伝っていく。

その間にも指先が体の至るところで悪戯し続けて、そのたびに私の口から小さな声が漏れる。

肌に触れるジェイドさんの吐息が熱くて、喉が焼けてしまいそうだ。

与えられるものに翻弄されないようにと、必死に彼のシャツの裾を掴んでいると、ふいに耳元で低くて掠れた声が聞こえた。

首筋が、びりびりする。

「お仕置きさせて下さい」

・・・させて下さいって、どういうことだ。許可制になったの。

そう思うのに、もはや言葉なんて紡げるわけがない。

いろんなところにキスを落とし続けたジェイドさんが、押し寄せる波に息を切らせている私を見つめて、舌舐めずりしてるとこなんて見てしまったら。


私は力の入らない手を伸ばして、ジェイドさんのシャツのボタンを1つ、思い切って外してみる。

その後、彼が水を得た魚のように生き生きしたのは、気のせいだと思いたい。









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