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後ろめたいって、こういう気持ちを指すのか。

いろんなイベントを素通りしてきてるけど、私はジェイドさんの妻だ。

だから、いくら相手がオーディエ皇子だからって、2人でいるのは良くないと思うんだけど。

思うんだけど・・・でも・・・。

「こ、子犬皇子・・・」

もしくは捨て犬皇子。

“可愛がってあげて下さい”という立て札が見える気がしてならない。

・・・これ、振り切って帰ったら、ものすごく後味悪いだろうなぁ・・・。

背後に、切ない子犬の鳴き声が、幻聴として聞こえてきそうだ。




「・・・は?」

皇子さまが半目になって、いろいろ考えて唸る私を見る。

不審に思ったんだろう、彼は私の手を離して訝しげにしていた。

私は浮かしかけていた腰をもう一度落ち着けることにして、小さく息を吐く。

・・・ジェイドさんに、また心配かけちゃうけど・・・。

いつだって私を甘やかす彼に申し訳ない気持ちは、心の隅の方に寄せておいた。

この気持ちは、親に反対された捨て犬を、秘密の場所で飼いたいと思うのに似てると思う。

「・・・うん。

 ちょっとだけ付き合ってあげる。ちょっとだけだからね?」

繰り返したのは、半分自分に言い聞かせるため。

長いこと一緒に過ごしたら、ウチで飼おうってジェイドさんに言いたくなるに決まってるから。


「あ、私のことはリアって呼んでもいいよ」

「・・・それが皇子さまに言うことかよ・・・」

再びそよ風に吹かれながら目を細めた私に、彼はいくらかむすっとして呟いた。

私はそれに苦笑してしまう。

「俺の方が身分、上なのに・・・」

「でも私、ジェイドさんの奥さんだもん」

「ジェイドが無敵だと思ってるだろ」

「うーん・・・でも、事実だよね?」

気づけば遠慮も何もなく、私達はぽんぽんと言葉を投げ合っていた。

時折風に揺られて、光が枝の間から差し込む。

それが草の上に優しく落ちてきて、私の目の前で揺れている。

皇子さまは今のところ、私が近くにいても大丈夫らしい。

・・・少しだけ、距離をとって座ってるけど。

私の言葉に沈黙した彼は、口で言い負かすのを諦めたみたいだ。

「私は、君のこと何て呼んだらいいの?」

口を噤んだ皇子さまに苦笑しながら問いかけると、彼はむすっとしたまま私を見る。

ほんの少し険を含んだ眼差しだけど、そんなこともう気にならない。

ちょっと生意気な子犬。

近寄ろうとした私に、どうしたらいいのか分からなくなって、きゃんきゃん吠えてるだけだ。

そう考えると可愛く思えるもので、ジェイドさんが“可愛さ余って・・・”と話していたのも頷けるような気がした。

「だって、皇子さまって呼ばれるの、嫌なんでしょ?」

「・・・それは・・・まあ・・・好きに呼べば?」

「・・・じゃあ、適当に呼んでみる」

投げやりに言い放った彼に、適当に相槌を打った私は、そろそろ彼の体調が気になって尋ねた。

「それはそうとして・・・。

 私が近くにいても、大丈夫なの?」

今のところ、彼が口元を手で覆ったりはしていない。

でも、土色になった顔を一度目にしていた私は、やっぱり心配になってしまう。

木陰の、風の通り道にいるとしても。

なるべく目を直接見ないように尋ねた私に、彼は息を吐いてから口を開いた。

その視線は、芝生の上を行ったり来たりしている。

「う・・・意識するとダメだから、その話題には触れないでくれる」

「・・・まあいいけど・・・。

 それで、もう少し付き合って、って・・・何か話したいことでも、あった?」

「・・・もう、いい」

草の上を行き来していた視線が、遠くに投げられた。

相変わらず、私と目を合わせるつもりはないらしい。

彼の煮え切らない態度に、私は思わずため息を放り投げた。

「・・・私のこと呼びとめたの、君の方でしょ?」

「それは、そうだけど・・・」

口ごもった彼は、深呼吸をしてから口を開く。

「あれは・・・いいや、やっぱりなんでもない」

言いかけて止めるなんて、とっても気になる。

私はお腹に手を当てて、息をついた。

痛くもないし、張っている感じもない。

胃のむかつきも、全然ない。

この子は、皇子さまのことを拒絶しようとは思わないみたいだ。

言いかけて止めた彼は黙ったままで、私はその前に話していたことを思い出して、口を開いた。

確か、後を継ぐとか継がないとか、そんなことを離していたはず。

「皇子さま・・・じゃなくて、ディーには将来の夢か何かがあるの?」

遠くを見つめながら私が彼に尋ねると、少し離れた隣で身じろぎする気配を感じる。

振り返れば、彼は「ディーって・・・」とぶつぶつ呟いて私を見ていた。

・・・だって、好きに呼べばって言ったよね。

言葉を返したくなるのを堪えて、私はその視線を受け止める。


ジェイドさんは、以前“普通じゃないことが日常だから、普通を求める”と言っていた。

それをどんな気持ちで言ったのかは、私にはまだ難しくてよく分からない。

でもずっと一緒にいるようになって、それまでの彼はきっと寂しかったんだろうな・・・くらいには、その気持ちを推し量れるようになった・・・と、思う。

だから、なんとなくだけど、皇子さまの反抗期が長引くのも分かる気がする。

両親には本音とか弱音を話せなくて、かといって気の許せる友達がいなかったりしたら。

・・・世の中が見えてくると、友達と呼べる人に出会える機会って、減ってくるものだ。

私には、そういうふうに想像することしか出来ないけど・・・。

ともかく、皇子さまが反抗期から脱して、まるくなったらジェイドさんもきっと喜ぶ。

というか、きっとほくそ笑む。

もしかしたら仕事の負担だって、減るかも知れない。


・・・相変わらず、私の世界の中心はジェイドさんだ。

もちろん皇子さまは、わんこみたいで可愛いから、ちょっとくらい生意気でも、どちらかというと好きだけど。

そんなわけで、可愛いわんこ皇子には申し訳ないけど、私はジェイドさんの役に立てそうだという打算が、頭の中の片隅でむくむくと膨れ上がっていた。


「何かしたいことあったり、する・・・?」

不自然に距離を置いた場所から、私は彼の顔を覗きこんだ。

「・・・私で良ければ、だけどね・・・?

 渡り人の私で良ければ、君の話聞くくらい、出来るよ?」

そっと言葉を紡ぐと、彼はゆっくりと視線を私に向ける。

なんだか、頼りないカオをして。

「ジェイドにも、くそ親父にも言うなよな」

「・・・うーん・・・ジェイドさんに問い詰められたら、自信ないかも・・・」

「なんだよそれ・・・」

何も考えないで口約束をするよりは、と思って正直に言った私を、半目になって見つめた彼は、突然仰向けに倒れこんだ。

かさっ、と乾いた音がする。

「あーあ・・・」

草の上に寝転んで伸びをした皇子さまは、伸ばした腕を枕にして、空を見上げた。

私もつられて、青い空に視線を投げる。

日差しさえ避ければ、この街の夏は案外過ごしやすいのかも知れない。

「ほんとは、さ」

皇子さまの年の頃は、ぱっと見て高校生か大学生くらいだろうか。

童顔なのか、本当に若いのかが私には判断出来ないけど、成人式にスーツに着られているような、そんな雰囲気が漂っている。

・・・やっぱり、最初に会った時の格好つけた感じ・・・あれは演技だったのかも・・・。

そんなことを考えながら、私は話し始めた彼を見ていた。


「くそ親父の後、継いでもいいかなー・・・と思ったりも、するんだ」

「・・・うん?」

ぽろっと零れた言葉に、私は思わず小首を傾げた。

そして、さっきの話を思い出す。

「でもさ、啖呵切ったんでしょ?」

彼の話では、“やらねーよ”と言い放ったはずなのだ。

すぐに口を挟んだ私に、一瞬面喰った彼は、やがて小さく笑って頷いた。

「うん、あの頃は顔を見るだけで反吐が出そうだったから」

それが誰の顔なのか、聞けない・・・けど、きっと陛下のことなんだろう。

母親のことは“母上”と呼ぶのに、父親のことは“くそ親父”と呼ぶ。

私は、思春期とか反抗期とか、そういうのを経験するだけの心の余裕がなかったから、顔を見るだけで反吐が出るような気持ちは分からない。

でも、テレビドラマに登場する高校生なんかは、“くそばばあ”とか“くそじじい”とか、そんなふうに親を呼んでいた気がする。

聞いていて気持ちのいいものじゃなかったけど、そうやって心が成長しようともがくのを、やり過ごしているのかな・・・なんて、想像してた。


・・・私達のベビーも、大きくなって反抗期になったら、暴言とか吐くのかな。

・・・私、その時が来ても耐えられるかな。

・・・ジェイドさんがいるから、一緒に頑張れるかな。

・・・その頃にはジェイドさん、四捨五入したら還暦の方が近いかも・・・。


「ちょっと、リア?」

「・・・あ、えっ?」

訝しげに私の顔を覗きこんだ彼に呼ばれて、私は我に返った。

「もしかして具合、悪いの?」

いつの間にか皇子さまとは関係のないことを考えていたことは、気づかれてないみたいだ。

彼は妊婦の私が、悪阻で気分が悪くなっていないか心配してくれているらしかった。

名前で呼んでくれたことも嬉しくて、私は頬が緩んでしまうのを止められない。

「ううん、大丈夫。

 ・・・そっか、ディーは後を継ぎたいんだ。ほんとは」

心配してくれてる彼に微笑んで、話をもとに戻す。

すると彼は、一転して苦い表情を浮かべて曖昧に頷いた。

「やってもいいかなー、って思ってるだけだけど」

「素直じゃないねぇ」

苦笑して呟いた私に、彼は寝転んだまま零す。

「・・・今さら素直になったって、拗れるだけだし」

「拗れる?」

「うちは継承の優先順位とか、結構曖昧なの。

 だから、一回投げ捨てた俺が、やっぱりやる、とか言い出すと皆が困るだろうし・・・」

風が吹いて、木の葉が揺れた。

それに合わせて木漏れ日が揺れて、彼は眩しそうに、片手で目の上に影を作る。

そして彼は、自分で作った影の下で、私を一瞥した。

「レイラさんやリオンのこと考えたら、そんなこと、本当に今さらだよ」

真剣な眼差しを向けられると、今さらながら相手が皇子さまだということを意識してしまう。

小生意気で反抗期な男の子だけど、ちゃんと周りのことを考えているんだ。

そんなことに気づいた私は、怖気づいて尋ねた。

「・・・それ、私が聞いても大丈夫な話?」

恐る恐る言葉を紡いだ私を、彼は鼻で笑う。

「それこそ今さらだよ。

 それに、補佐官の妻なら問題ないんじゃない?」

「そう、かな」

納得出来るような、そうでないような気持ちで小首を傾げると、彼が肩を竦めた。

「うちは、身内の結束が何より大事なんだ。小さい国だし。

 だからリアが俺の話を聞いたって、感謝されることはあっても非難されたりはしないよ」

そう言って、皇子さまは勢いをつけて起き上がる。

肩や髪に、芝がくっついているけど、本人はたいして気にならないらしい。

彼は軽く頭を振ってから、ひとつ伸びをした。

「リアって、不思議だな」

「うん?」

ぽろっと零れた台詞を、思わず聞き返す。

すると、彼は苦笑して言った。

なんだか、ずっと無理して仏頂面してたのが、溶けたみたいに。

「なんか、話したくなる」

「・・・そ、そうかなぁ」

言葉がこそばゆくて、私ははにかんだ。

褒められたような、認められたような、不思議な気持ちだった。

ジェイドさんから必要とされる嬉しさとは、また別の気持ち。

その正体を知りたいとは思わないけど、なんだか心地よくて、私はそれを噛みしめた。


「サボり癖と、逃亡癖があるしょうもない父親だけど、この国は他に比べて平和だ。

 ・・・王立学校には、いろんな国から留学生が来てたから、よく分かった」

そよ風に吹かれながら、彼は遠くを見つめて言葉を紡ぐ。

彼は視線の向こうに、誰かを見ているんだろうか。

私は黙って、相槌も打たずにお腹に手を当てて、彼の声に耳を傾けていた。

「ご先祖様達の頑張りがあって、親父の治世が成り立ってる。

 ・・・正直、春先にジェイドの代役を押しつけられるまでは、親父が何をしてるかなんて、

 全然興味がなかった。

 あんな毎日執務室から脱走して街におりてる親父、どうでも良かったんだ。

 どうせ何も考えてないし、現実から逃げてるだけなんだって・・・決めつけてた」

一旦言葉を切った彼は、小さく息を吐いた。

話しているうちに頭に血が上ってきたんだろうか、呼吸を整えている。

「・・・あの時は、ありがとうね。

 ディーがジェイドさんの代わりをしてくれて、とっても助かった」

私は、視線を泳がせている彼に向って、そっと囁いた。

すると、彼はゆるゆると力なく首を振って、口を開く。

「俺はあんまり、役に立たなかったと思うけどな・・・。

 でも役に立たなかったから、もっといろいろ知りたいと思ったんだ。

 だから学校に戻ってからは、決まったものの他にも授業を受けて、勉強した。

 卒業してからは、教授のところに置いてもらって、個人的に授業してもらったし」

「そっか・・・」

静かに相槌を打つと、俯いたままの彼は、手近な場所の芝を、ぷちっと抜いて、風に乗せる。

「王都の中の、こんな小さい城の中から見てる国なんて、全然本当じゃなかった。

 いろんな国の留学生と接して、自分の国を誇りに思えるようになった。

 だから、守りたいし新しい産業なんかも展開出来たらいいな、と思う・・・けど・・・」

私は言葉を濁した彼の言いたいことが思い当たって、咄嗟に続きを口にする。

「・・・今さら、そんなこと言いだせない。・・・って、そういうこと?」

「ん・・・そんなとこ」

肯定した彼は、こくりと頷いてため息を吐いた。

見上げた空から降る日差しが、いくらか和らいでいるような気がする。

もしかしたら、そろそろジェイドさんの仕事が一区切りつく頃かも知れない。

それなら、一緒に帰るために執務室に顔を出した方がよさそうだ。

そんな風に考えて脳裏に浮かんだジェイドさんの顔を、大事に頭の隅に寄せる。

そして、私は気になっていたことを尋ねることにした。

「どうして、今になって“後を継ぎたい”“国を治めたい”って言ったらいけないの?」

彼は、私のぶつけた質問を聞いた瞬間に、表情を強張らせた。

「それは・・・」

口ごもって、視線を彷徨わせる。

言いたくないんだろうか。

言いづらいんだろうか。

前者なら、無理に聞き出そうとは思わない。

もし彼が言葉を濁して別の話題を口にしたら、私はそれに従うつもりで、彼が何か話してくれるのを待った。

すると彼は言葉を選びながら、私へと視線を投げる。


「あの子の、」

彼は話を続けるつもりなんだと分かった私は、その声に黙って頷いて、耳を傾けた。

「リオンの立場もあるし」

「・・・リオン皇子?」

確か、まだ6歳くらいの可愛らしい皇子さまだ。

未菜お姉ちゃんがベビーシッターをしていた、ということくらいしか、私は知らない。

眉をひそめた私から、彼は目を逸らした。

「俺に、懐いてくれてるんだ」

「・・・うん」

私の座る場所から見える皇子さまの横顔は、なんだか大人っぽく見える。

同時に、少し痛々しくも。

「・・・でも俺、たまに邪魔に思う時があって。

 なんにも知らずに無邪気に笑ってるリオンが、たまに憎くなる・・・。

 あの子は、何も悪くないって分かってるのに」

声が震えないよう力を入れて話す彼に気づいた私は、そっと近付いて手を伸ばした。

妊婦と接すると吐き気がすると言ってたのを思い出して、躊躇した指先が彼の背中に触れる。

上等な生地に触れた瞬間、背中がぴくりと波打った。

近くで見ると、意外と広い背中をしてる。

息を詰めて、手のひらを彼の背に添えると、彼は大きく息を吐いた。

伝わってくる鼓動が、思っていたよりも穏やなことに安心して、私も息を吐く。

すると、彼は片方の膝を抱え込んだ。

「俺が、まだ12歳かそこらの頃・・・今よりずっと生意気で、勘違いしてた頃だった」

「ん・・・」

ちゃんと聞いてるよ、という気持ちで、ゆっくりと背中を擦る。

「家庭教師の授業が面白くなくて、よくサボってた。

 授業なんか受けなくても、書庫の本で十分この国のことは勉強出来ると思ってたから。

 ・・・でも、そういう俺を親父が注意したんだ。

 だけどさ、あのサボり魔に注意されたところで、聞く耳持てるわけないだろ。

 だから“継がねーよ”って、売り言葉に買い言葉で言っちゃった、ってわけだ」

「・・・そっか」

「あの時は、本当にそのつもりだったんだ。

 自分の将来は、自分で決めたいと思ってた。だから授業もどうでも良かった。

 親父の仕事になんて全然興味なかったし、何をしてるのかなんて、知りたくもなかった」

「うん」

彼の独白に相槌を打って、そっと背中を擦った。

手のひらから伝わる鼓動は、ほんの少しスピードを上げる。

「今思えば、王宮中が俺に期待してたから、それが苦しかったのかもな。

 ・・・全く期待されてない今だから、そう思えるんだけど」

そう言って、彼は自嘲気味に頬を緩めた。

「とにかく、その頃はそれで解放されたと思ってたんだ。

 でも俺がそんなこと言ったせいで、母上は親父と話し合うようになった」

「話し合う・・・?」

親が我が子ついて話し合うなんて、良いことに思えるけど、彼の表情がそれを否定している。

私が問い返すと、彼は頷いて続きを話してくれた。

「俺が後を継がないとして、候補は他にいるのか。

 もし気が変わって継ぐとしても、一体誰が近くで支えていくのか・・・。

 親父は1人息子だけど、従兄弟や幼馴染がいるだろ?

 子どもの時から一緒で、信用出来る人間が周りにいる。だから、折れないでいられる。

 ・・・でも、俺には従兄弟はいないし幼馴染もいない。

 友達も、あの頃はいなかった・・・だろうな。

 本当に、勘違いして恥ずかしい子どもだったと思う・・・」

自分を鼻で笑って、皇子さまは言葉を紡ぐ。

「そういうことがあって、母上は親父に言ったんだ。

 “誰か迎えましょう”・・・って」


「どういう意味・・・?」

彼の言葉が、いまいち理解出来なかった私は思わず呟いていた。

小首を傾げて、背中を擦る手を止める。

すると、彼は小さく笑って言った。

「それで親父が連れてきたのが、レイラさんだよ」

「・・・え、っと・・・」

与えられた言葉を飲み込めず、口の中で何度も咀嚼している私に苦笑した彼が、教えてくれる。

「リオンとルディの母親。親父の2人目の奥さん。

 最初は、公務に疲れた親父が色ボケしたのかと思った。でも、違ったんだ。

 俺が“継がない”なんて言ったから・・・。

 今は親父も母上も、リオンが後を継いでもいい、って考えてるみたいだし」

話の展開が速すぎて、頭の回転が追いつかない。

私は相槌も打てないまま、黙って耳に残る言葉を追いかけていた。

「俺のせい、だと思うんだ」

「どうして?」

「・・・親父と母上にもっと子どもがいれば、こうなってなかった」

「それは・・・でもどうしてそれが、君のせいに・・・」

私が尋ねかけると、彼がふいに振り向いた。

静かに揺れる瞳が、真っすぐに私を射抜いて、思わず手を離す。

「母上は俺を産んで、体を壊したんだ。

 医者から、次の出産には耐えられないだろう、って言われたらしい」

「そんな・・・」

彼の口から出た内容が衝撃的で、私は言葉を失った。

どんなカオをして、何を言えばいいのか分からなくなってしまって。

・・・こんな話、誰にも出来ないし、捻くれて当然だ。

胸の中だけで呟いた私が小さく息を吐くと、彼が小さく鼻を鳴らした。

「親父も母上も、俺が知ってるって気づいてない」

「・・・偶然、聞いちゃった?」

声を落として問いかけると、彼は静かに首を振って、口を開く。

「王宮には、とっても親切な奴がいるんだ。

 頼んでないのに、要らないことまで詳しく教えてくれるような奴がさ」

吐き捨てるように言った彼が、「そういうのは難癖つけて、全員クビにしてやったけどね。母上に怒られたけど」と自嘲気味に付け加えた。

「ディー・・・」

私は彼の苦しそうなカオに、目を伏せた。

すると、枝や葉がさざ波を立てる音に混じって、彼の小さなため息が聞こえてくる。

伏せてみた顔を上げると、そこには顔を歪めた彼がいた。

「・・・母上がたまに辛そうなのは、俺を産んだせいなんだ・・・。

 全部、俺が生まれておかしくなったって思ったら、さ」


そのひと言に、私は思わず再び手を伸ばす。

今度は、背中じゃない。

年頃の男の子らしく、清潔に整えられた髪。

私の手がそこに辿りついて、ゆっくり滑り下りた。

男の子のくせに髪が柔らかくて、少しびっくりしてしまう。

でも、私は彼の頭を撫でるのを止めなかった。

「何してんだよ・・・」

言葉には棘があるのに、その声は萎れて張りがない。

邪魔そうに私を見ていたけど、彼はそれ以上何も言わないで両方の膝をゆっくり抱えた。

されるがままに受け入れているらしい彼に、思わず頬が緩んでしまう。

「いい子」

「・・・なんだよそれ」

もう完全に、ママモードだ。

さっきまで捨てられた子犬に見えていた皇子さまが、迷子の男の子に見えてくる。

・・・いろいろ抱えたまま、大きくなっちゃったんだね。

・・・誰にも言えなくて、ずっと燻ってたんだね。

「・・・えらいえらい。

 頑張ってきたんだね・・・」

いろんな思いが湧きあがるのを抑えようと、深呼吸する。

そうやって何度も頭を撫でながら、私はそっと囁いた。

「あのね。

 頑張らなくても、いいんだよ。

 辛いって、言ってもいいんだよ」

「・・・簡単に言うなよな」

優しく言えば、ぶすっとしたカオで言葉が返ってくる。

そんな彼の反応が可愛く思えて噴き出せば、今度は呆れたようにため息をつかれてしまった。

「そうだね、私は部外者だし・・・」

撫でる手は止めずに、言葉を紡ぐ。

「でも、ディーのお母さまと同じ母親だもん・・・。

 生まれてきてくれて、ありがとう、って・・・きっと誕生日がくるたびに思うはず」

「・・・そう、かな・・・」

「そうだよ」

「こんな、出来損ないでも?

 母上の体を壊すほどの価値、俺にはないのに・・・」

彼の言葉に、はっとした。

・・・彼が妊婦さんと接して吐き気がするのは、自分が生まれたことを否定しているから、だったりして・・・。

根拠も何もないけど、この直感は正しいと思う。

すると、正しいと思うのと同時に、胸の奥がぎゅっと掴まれて、苦しくなって。

・・・生まれたこと、受け入れられないなんて、苦しすぎる・・・。

彼の頭を撫でていた手で、自分のお腹を撫でる。

まだ芽生えたばかりのそれを意識した途端に、鼻先がつん、と痛くなった。

ぷくっと、下の瞼に涙が浮かぶ。

「え、ちょっ・・・?!」

慌てた皇子さまは、ずざざざざー、と後ずさった。

「そんなこと、言わないでよぉ・・・」

・・・ああ、どうして私が泣いちゃうかな・・・。

内心こんな自分に呆れながら呟いて、きっと妊娠してるから情緒不安定なんだと、言い訳する。

ぼろぼろ涙が零れて、鼻が詰まってきた。

息苦しくて、しゃくりあげてしまう。

そんな私に、ゆっくり近づいてきた彼がハンカチを差し出してくれた。

若干腰が引けてるのは、どうしてだ。

「あ、ありがとぉ・・・っく・・・」

「・・・ジェイドに殺される・・・!」

悲鳴に似た呟きが聞こえるけど、私はハンカチで涙を拭きつつ思い切り首を振った。

「だいじょぶ、守ってあげる。

 だから、そんなに悲しいこと言わないでぇぇ・・・」

「わか、分かったから!

 頼むから、落ち着いて!」

ずびずびしている私に、彼が必死に言葉をかけてくる。

とりあえず落ち着けと言われてる気がするけど、そんなの無理な注文だった。




「・・・うぅ・・・ごめんねぇぇ・・・」

ぼろぼろに泣きまくった私は、ひくつく喉に力を入れて謝った。

思い出すとまた泣けてしまうから、ジェイドさんの顔を思い浮かべて気を逸らす。

「大丈夫?」

慌てていた彼の顔に浮かぶのは、困惑から苦笑いに変わっていた。

私は腫れぼったくなった瞼を何度も瞬かせて、こくりと頷く。

「ごめん、あんな話聞かせちゃったから・・・」

謝られて、私は慌てて首を振った。

聞かなかったことになんて、したくない。

必死に首を振ったら、頭がくらくらした。

そんな私を見て、彼は苦笑混じりに口を開く。

「でも、聞いてもらってスッキリした・・・のかな。

 なんか、体が軽くなった気がする」

「ほんと?」

「うん・・・リアが代わりに泣いてくれたし」

「・・・うん」

ずび、と鼻をすすって頷いた私に、彼が微笑む。

「ありがとな」

痛々しくもなく、格好つけてもなく、ただ微笑んだそのカオは、とっても清々しかった。

夏の木陰に、綺麗に映えていた。









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