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・・・失礼だけど、ほんとに具合悪いならしょうがないよね・・・。




吐き気がする、と言った皇子さまに椅子を勧めた私は、あんまり顔をじっと見ないようにしてカウンターの中にある手洗い場で、手を綺麗に洗った。

最近はゼリーも扱うから、しっかり石鹸で洗うようにしているし、もちろん爪は短く整えておくようにしている。

口元を押さえたまま、くぐもった声でお礼を言って腰を下ろした皇子さまを一瞥して、私はゆっくりと口を開いた。

「それで、お菓子を買いに来たんでしょ?」

「ああ、うん」

「別に外に出なくても、王宮の中で用意出来るのに?」

土色になった顔を俯かせたまま肯定した彼に、私は質問を重ねる。

「・・・それは・・・ヴィエッタが、ここの焼き菓子が一番だって言うから・・・」

「・・・ヴィエッタさん・・・!」

彼から見えない場所で、ぐっと拳を握りしめる。

彼女は本当に、好意が斜め上を飛んでいく人だ。

新作が出るたびに店に来てくれて、大量購入した商品を白の騎士団本部で配ってくれて・・・その宣伝効果には頭が下がるんだけど・・・。

脳裏に浮かんだ、冷たい美貌の白薔薇をかき消すように頭を振った私は、皇子さまに目を向けた。

「まあそれはいいや。

 で、抜け出してきたわけね」

いつの間にか口調がくだけてしまっている自分に気づくけど、それはもう無視だ。

彼は脂汗の浮かぶ顔をわずかに上げて、ちらりと私に目を向ける。

そして、投げやりな口調で吐き捨てた。

「別に俺がいなくなったって、何も変わらないし」

私はその様子が、反抗期の中学生みたいに見えて、小さく笑ってしまう。

一体、何を拗ねてるんだろう。

そう思っていると、彼は私が笑ったことに気付いたらしく、むっとして言った。

「・・・なんだよ」

むっとしてると、気持ち悪いのは治まるんだろうか・・・。

彼は、真っすぐに私を見ている。

そんな彼の表情が、なんだか可愛く見えてしまう私は、たぶんお人よしの部類に入る。

あんなに、嫌な気分にさせられたのに。

「・・・噂に聞く皇子さま像とは、全然違うから。

 ほんとは、こっちの皇子さまが素なんだね」

今何歳なのかは知らないけど、目の前にいる彼は普通の男の子に見える。

あの木の下で振りまいていた色気みたいなものは、きっと本当の彼じゃないんだ。

そんなふうに思えた私は、ささくれ立っていた気持ちを少し落ちつけて問いかけた。

「いいから、焼き菓子見繕ってよ」

反抗期の男子が、ぶっきらぼうに言い放つ。

やっぱり、可愛くないかも知れない。

・・・妊婦に椅子を持ってこさせて座ってるのは、どこのどいつだ・・・。

心の中で毒づいた私は、小さく息を吐いてトレーを手にした。


「で、誰にあげるの?」

「母上だ」

「・・・えっと、チェルニー様、だっけ・・・?」

言われて、ほんの数回会っただけのお后さまを思い浮かべる。

すると、ため息混じりに彼が頷いた。

面倒くさそうにしてる割に、お母さんに焼き菓子を買ってあげようだなんて、孝行息子だ。

あと少し素直になって、愛想も良くなればいいのに。

そんなことを思った私は、トングをぱちぱち鳴らしつつ尋ねた。

「喜んでくれるといいね。

 ・・・じゃ、何をお包みしましょうか?」

「何でもいいよ、適当に見繕って」

意気込んだ私に、彼がさくっと言い放つ。

出鼻を挫かれたような気持ちと、苛立ちが膨らむのを感じた私は、落ち着こうと呼吸を整えた。

・・・私の方が大人、私の方が大人・・・。

心の中でおまじないのように唱え、気を取り直してもう一度口を開く。

「嫌いなものとか、ある?

 好きな果物とか・・・」

ショーケースの中には、色彩豊かなゼリー達とケーキが並んでいるのだ。

大勢で食べるのでなければ、きっとたくさんは必要ないだろう。

せっかく食べてもらうなら、好みに合ったものを選びたい。

ちょっとした売り子のプライドを胸に、私は彼の答えを待つ。

すると、彼は首を捻った。

「さあ・・・何でもいいんじゃない」

どうにも投げやりな言葉だ。

私は小さく息を吐いて、トングを彼に向ける。

「あのねぇ・・・自分の母親でしょ?

 じゃあせめて、普段どんなお茶を飲んでるのかは知らない?」

いろんなお茶の種類を思い出しながら言うと、彼は軽く手を振った。

「・・・興味ないし」

孝行息子だけど、もうちょっと母親に興味を持った方がいいような気がする・・・。

いきすぎはマザコンみたいで、ちょっと引くけど。

ともかく、せっかくルルゼに教えてもらったお茶の知識も、今回は出番がなさそうだ。

体つきは大人のくせに心が反抗期な青年は放っておいて、勝手にショーケースの中からお菓子達を見繕うことにした。




定番のクラシックショコラ、ショートケーキ、好みの分かれるカボチャのプリン。

それから、渋皮ごとグラッセにした栗の乗ったモンブラン。

あとは私の大好きな、桃やグレープフルーツ、トマトのゼリー。

特にトマトのゼリーは、スパイスが効いてるからお酒にも合うんじゃないかと思って、おまけ的な気持ちで最後に選んでみる。

全部で7個。箱への収まりも良いから、このへんでやめておこう。

何人で食べるんだかハッキリしないから、もしかしたら残っちゃって廃棄されるのかも知れないけど・・・王宮だから、侍女さん達が食べてくれるかも知れないし。

そんな数のお菓子を詰めた私は、丁寧にリボンを結んで、目につく場所に“お早めにお召し上がり下さい”と走り書きをした。


その時だ。

ドアベルが鳴って、コツ、という足音が響いた。


すらっとした立ち姿と、手首に光る真っ白なコイン。

金髪を結いあげた彼女・・・ヴィエッタさんが、何も言わずにただ、そこに佇んでいた。

・・・これはあれだ。ものすごく、怒ってる。






「・・・小賢しい真似を・・・」

地を這うような声を発した彼女が、私には目もくれずに真っすぐ皇子さまに詰め寄る。

惚れ惚れするほど彼女の歩幅が広いのと、私が突然のことに声を発するのを忘れてしまったのとで、それは、あっという間に起きた。

突然現れたヴィエッタさんに驚いたのは、皇子さまも同じだったらしい。

あんぐり口を開けている間に、彼女に胸倉を掴まれて、ぐいっと持ち上げられてしまった。

「う、ぐ・・・っ、ちょ、ヴィエ・・・!」

言葉を発したくても、喉が閉まって声が出ないらしい。

苦しそうに顔を歪めた彼は、掠れた声を漏らしてジタバタしている。

・・・妊婦にやられて、白薔薇にやられて・・・ちょっと格好悪いかも・・・。

呆れる気持ちや残念に思う気持ちが一周して、だんだん可哀相に思えてきたから不思議だ。

私はそんな気持ちを自覚するよりも早く、ヴィエッタさんを止めにかかっていた。

急いでカウンターから出て、彼女の腕をてしてし叩く。

「ストップ、ストップ!

 お仕置きは店の外でお願いします!」

力では絶対に敵わないと分かってるけど、とりあえず一国の皇子さまを気絶させそうになっているヴィエッタさんを止めようと必死になっていると、ふいに彼女が私を一瞥した。

そして、その手をぱっと離す。

「すみません」

・・・当然だけど、離すと、皇子は落ちるわけで。

ヴィエッタさんが短く私に謝るのと同時に、皇子の呻き声が下から聞こえてきた。

とりあえず皇子が気絶はしなかったらしいことを確認して、静かに私を見下ろしている彼女へと目を向ける。

・・・て、ゆうか。

・・・私を見る目がやけに甘いですね、ヴィエッタさん・・・。


「ええと、それで、ヴィエッタさんは皇子さまを連れ戻しに・・・?」

私が窺うように尋ねると、彼女はふんわり微笑んで頷いた。

「そこの馬鹿が、脱走したものですから」

言葉と表情が全く噛み合わない答えに、戸惑いながら曖昧に頷いた私は、まだ床に這いつくばっている皇子さまに視線を投げる。

皇子さまは、見た目より軟弱らしい。

「ほらね、いなくなったら皆に心配かけるんだよ」

「そんなの、仕事だからだろ」

ああ言えばこう言う・・・反抗期の典型だ。


私には、こういう、いわゆる荒れた時期はなかった。

14歳という思春期真っ只中の時期に、発狂した隣人が家に乗り込んできて、ママをナイフで刺すという事件に出くわしてるからだと思うけど。

・・・その代わりにというか、心が病んで、なかなか前に進めなかったんだっけ。


そんなことを思い出しながら、仏頂面を晒した彼から視線を剥がす。

すると、ヴィエッタさんが私に向かって口を開いた。

どうやら軟弱皇子の存在は、一旦忘れることにしたみたいだ。

「そういえば、屋敷の者達から聞き出したのですが」

「・・・げ」

・・・ああその切り出し方、たぶん嫌な展開になるんだろうなぁ・・・。

・・・聞き出したってことは、皆の口を割ったってことだよねぇ・・・。

普段出さないような声を発した私を見ない振りで、彼女は続ける。

嬉しそうだ。何かを喜んでいるような、そんなカオ。

その表情を見て、余計に嫌な予感が募った私は、少し体を引いて彼女の言葉を待った。

「身籠られたそうですね。 

 おめでとうございます」

・・・やっぱり妊娠の件でしたか・・・。

心底嬉しそうに言う彼女は、もう確信を持っているらしい。

お祝いの言葉までくれて、その上私に微笑んだ。

通称“白薔薇の微笑み”が自分に向けられる日がくるなんて、明日はきっと雪が降るに決まってる。

たまに店に来てくれても、無愛想で淡々とした口調の彼女からは、想像出来ない微笑みだ。

「えっと、ど、どうも・・・ありがとうございます・・・」

彼女の満面の笑みに、私は思わず俯いてお礼を呟く。


ジェイドさんとの赤ちゃんがお腹にいるなんて、なんだか口に出すのが恥ずかしくて近しい人にしか言っていなかった。

知ってるのは、お屋敷の皆とジェイドさん、それから何かから立ち直って床の上に胡坐をかいて座ってる皇子さま。

あと、一緒に病院に行ってくれたミナお姉ちゃん。シュウさんにも、まだ秘密。

でもミエルさんには、ジェイドさんと一緒に報告した。

・・・いろいろ、迷惑かけると思うから辞めることも考えてると言ったら、“妊婦でも、無理のない範囲で続けてもらえたら嬉しい”と言ってくれて。

結局少しの間お休みをもらったわけだけど・・・。

だから、ヴィエッタさんが怪しんで情報を集めたに驚くよりも、身内に知られて恥ずかしい気持ちが勝ってしまう。

とはいえ、ジェイドさんと夫婦になったんだから自然なことだって分かってる・・・だから、こんな気持ちになる私は、まだ少し子どもなのかも知れない。


そんなことが頭の中を廻っていると、ふいに視界に長くて綺麗な指先が映りこんできた。

それがヴィエッタさんの指だと気づいた私が、ゆっくり視線を上げようとした瞬間、くい、と顎を持ち上げられる。

目線が急に上がって戸惑っていると、青い瞳と目が合った。

ヴィエッタさんが、私の顔を覗きこんでいるのだ。

・・・ち、近くで見るとジェイドさんみたいでドキドキする・・・。

整った顔立ちが間近で自分を見つめていることに、否応なしに鼓動が跳ねる。

相手が女性だと分かってるのに、止められない。

・・・某歌劇団を愛する人達の気持ちって、こんな感じなんだろうか・・・。

しょうもない想像を働かせて現実から目を逸らした私を、ヴィエッタさんが小さく笑った。

今日は白薔薇がよく笑う日だ。

明日は絶対、絶対に雪が降るはず。

「お義姉様」

「いやあの・・・リアって呼んで下さい・・・」

ほのかに漂う色気みたいなものを感じ取って、囁きすら躊躇ってしまう。

顎を支える指が、見た目よりもずいぶんと力強くて、抗えなかった。

「いいえ、あなたは私のお義姉様ですから」

「は、はい。すみません」

艶やかな声ですら、ジェイドさんを彷彿とさせる。

私はドキドキしているのを悟られないように、そっと息を吐いた。

その時だ。


奥に繋がるドアが開いて、ミエルさんが顔を覗かせた。

一瞬、時間が止まる。

カウンターに何かを取りに来たのか、それとも私に用があったのか・・・ともかく体が半分店頭側に入っていたのに、私達を見た途端に、彼女は慌てた様子で乾いた笑みを浮かべる。

「あ、あら白薔薇さま!

 いつもありがとうございます!

 ごゆっくりー!」

勢いよく放り投げられた言葉を受け取る暇もなく、ミエルさんは奥へと消えて行った。

誤解だと叫ぶ隙すらなかった。

・・・ああでも、床に座り込んでる不良皇子に気づいてないからいいのか・・・?


呆気に取られていたのか、全く動じていなかったのか、ミエルさんが奥へ引っ込むのと同時に、ヴィエッタさんが鼻を鳴らした。

こんな、私にキスを迫ってるんじゃないかと勘繰られそうな場面を見られても、彼女はやっぱり動じていないらしい。

悠然とした態度で、ゆっくりと言葉を紡いだ。

近すぎて、吐息がかかりそう。いい匂いがする。

「体には気をつけて過ごされますよう。

 ・・・今度、滋養のあるものを屋敷に届けましょう」

「は、はぁ・・・」

曖昧に返事をした私を見て、彼女がまた微笑みを浮かべる。

そのまま指先で顎の輪郭をなぞってから、そっとその手が離れていく。

するりと滑るその瞬間すら、艶やか過ぎて中てられてしまいそうだった。






そのあとは、満足そうに何かに頷いたヴィエッタさんが、皇子さまの首根っこを掴んで、引き摺るようにして店から出ていった。

もちろん、私の詰めたお菓子達も、ヴィエッタさんがちゃんと持って。




窓から、夏の日差しが入りこんでくる。

白い床が光を反射して、眩しくて、私はそっと目を伏せた。

静かになった店の中に、椅子がぽつんと置かれている。

さっきまで、皇子さまが腰掛けていた椅子だ。

私はそれを片づける前に、一休みしようと腰掛けた。

木の温もりは、小さな命ごと私を受け止めて、ぎし、と軋んだ。

「・・・苦しそう、だったね・・・」

手のひらを、そっとお腹に当てる。

まだ何も感じられないけど、確かにここに、新しい命は宿っているのだ。

彼もそうやって生まれてきたはずなのに、どうして妊婦さんと一緒にいると、気分が悪くなるんだろう・・・。

土色の顔を苦しそうに歪めて、短い間隔で呼吸を繰り返していた彼を思い出して、なんだか可哀相になってしまう。

・・・もし、彼に大切な人が出来て、その時がやってきても・・・?



そんなことを想像して、なんとなく胸の辺りが痛い。

私は、彼のことが気になって、仕方なくなっていた。



お腹に宿る命を初めて否定されて、悲しかったのかも知れない。

あのヴィエッタさんですら喜んでくれたから、余計に。









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