天国と地獄(2)
幸せと不幸は半分ずっこ。
悲しいことがあっても、また笑える。
そういっていたのは私の母親だったか。
小さい頃は、それが真実だと素直にも思っていたけど・・・
さすがに17歳にもなれば世の中の仕組みが分かる。
人生なんて幸せはほんのつかの間で、不幸が半分、後の残りは何事もない。
幸せより不幸のほうが感じやすいのだから。
でも神様、私の幸せはだいぶ貯金があると思います。けちけちしなくていいから、もう少し使ってもいいんですよ・・・?と言ってやりたい。
このペースでいくと、老後の私は幸せの絶頂かな。
若いときには苦労をしろ。
そんなことを、先人たちは残した気がする。
訓練そっちのけで魔術談義に没頭した次の日、いつもどおりに出勤した私は、訓練場の微妙な空気に首をかしげた。みんなそわそわとしていて落ち着きがないし、私のことを見ていないふりをするのに気がつくと凝視されている。
「?」
筋肉の群れたちに違和感を覚えつつ訓練場に入っていくと、後ろから耳たぶに吐息を掛けられて飛び上がった。
「お、は、よ。」
「ぎゃーーーーっ!」
振り返ると、いつもより3割り増しにニヤついたエド先輩がいた。
「昨日は、遅くまで大変だったね。」
なんだか含みのある言い方をする。私は貴族社会特有の言いたいことを簀巻きのようにしてまわりくどくねちっこく言うのが苦手で、いつも言いたいことが正確に理解できなかった。
今日もなんかへんな言い方をするな、と思いつつもそのままの意味で受け取った。
「いいえ、ぜんぜん。もう隊長があんなに詳しいなんて、私知りませんでした。昨日も、うれしくてつい熱くなっちゃって!」
昨日の余韻はまだ残っていて、興奮からつい頬が紅潮してしまう。
あなたたちのような全身が筋肉とお酒と汗でできているような人間と違って、さすがは将来有望なお貴族様で隊長で魔術師。その知識量と言ったらすごかった。
マイナー魔術の私の話についてこられるのだから。
笑顔で返すと、私をからかう風だったエド先輩は微妙な顔になってしまうし、周りで聞き耳を立てていた筋肉たちはぴしりっと音を立てたように固まった。
「へ~え?熱くなってたんだ。」
「はい、つい熱くなって時間を忘れて夢中になってました。」
今度は、音を立てて場が崩れた。
もう俺たちのミリアちゃんじゃないんだといってむせび泣く筋肉がちらほら。
いつのまに筋肉達の私になったのか、小一時間膝をつめて聞きたいところだ。リオの実を用意するとかなんとか叫んでる人もいる。ちなみに、わが国では成人とみなされる15歳の誕生日にお祝いとしてリオの実を食べる。赤い果実は滋養があり、薬にもなるから大変貴重だ。だから、何でリオの実なのかよく分からない。
「体、つらくない?初めてでしょ??」
本当に変な言い方をする。
夜更かしくらいで体がつらくなるはずもない。訓練しているほうがよっぽど辛いし、夜更かしなんて女中時代本を読みふけって何回もしている。17歳はもう若くないんだからとか、そういう意味なんだろうか?
「別に辛くはないですよ。女中時代はしょっちゅうでしたから。」
再び男たちがざわめく。
今日は本当に変な人たちだ。いつも変な人たちだけど。
そう思って首をかしげていると、とうとうエド先輩はこらえ切れないといった様子で笑い出してしまった。
「あっははははははは!」
ひーひーと苦しそうにする先輩の背中をさすってやりながら、何で私はこの人に笑われなきゃいけないんだと苛々してきて、つい口が尖ってしまう。
「もう!何ですかさっきから。いいたいことがあるなら言ってください、気持ちが悪い。」
笑ってしまって話にならないエド先輩の変わりに、ライー先輩が複雑そうな顔で教えてくれた。
「昨日、お前と隊長が執務室に行ったきり帰ってこないから、みんな心配してたんだ。初めは、またお前になんか手伝わせてるんだろうと思ってたけど。お前、時間になってもなかなか帰ってこないからさ。呼びにいったんだよ、執務室まで。」
「で、何でこの微妙な雰囲気になるんですか?」
まだ分からない。
「執務室に行っても鍵は開かないし、人払いの結界まで張られてる。俺たちもなんかあったんじゃないかと思って随分待ってたんだけど、夜遅くになってもお前らは出てこないし・・・もしかして、そういう事なのかと思って、さ・・・。お前、隊長のお気に入りだったし」
気まずそうに頬をかくライー先輩は、さっきから目が泳ぎっぱなしだ。
「そこです。そういうことって何ですか?分かりません。」
エド先輩の爆笑は止まない。体をくの字に折り曲げて、苦しそうに笑っている。
「っだから、執務室で・・・もー言わせんなよ、パス」
後を任された筋肉先輩方も、一様に顔を赤らめている。
「あっ、あっはんうっふん、ぷっ!してたんじゃないかって・・・・ぶははははは!」
笑いをこらえて、エド先輩が教えてくれた。この微妙な空気のわけを。
娘の朝帰りを聞きたいけど怖くて聞けないような微妙な空気。
そういうわけだったのか・・・。
「なっ!そんなわけないでしょう何言ってるんですか大の大人が恥ずかしい!」
恥ずかしくていまや顔はリオの実のように赤くなっているだろう。
「大の大人だからだよ。」
「あっありえない!ありえないです、あんな顔の人嫌です。絶対嫌!!」
いろいろ想像してしまって、青くなったり赤くなったりと忙しい私に、今一番聞きたくない声が聞こえた。昨日はあんなに楽しかったのに、今日は居たたまれなくて辛い。
「へえ、俺の顔がそんなにお気に召さないか。そんなこと言われるのは初めてだから、結構ショックだ。」
「ギャーーーー隊長!」
なんで今来るんですか。と言うか聞いていたんなら誤解といてください。
「訓練は飽きただろうから、そろそろ俺の部屋でお前の仕事を教えてやる!お前が嫌なこの顔と顔とっつき合わせて、一週間。叩き込んでやるから、覚悟しろ。」
意地の悪い笑顔で、隊長は笑っていました。
すごく、楽しそうでした。
どうでもいいから、不名誉な誤解といてくださいといって頭をはたかれるのは、数分後の出来事です。