チョコ ホリック 1
「サムシングブルー」の二人の高校編です。
悲恋要素を含む展開です。
「真潮、チョコ買ってきて」
お隣りの凪子さんは、そんな台詞を俺に言ってきた。
「ニ月のこの時期に、なにが悲しくて男がチョコ売り場に行かないといけないんだよ」
教室の廊下側の窓から顔を出して話し掛けてきた隣りのクラスの凪子にそう答える。
暖房は効いているけど、廊下は寒い。
凪子が開けた窓からも、ひんやりとした空気が流れ、俺の顔に当たってくる。
「もう。真潮ったら。この時期だからチョコは必要なんでしょ!」
小さな声で凪子は早口にしゃべった。
「私だって自分で行きたいわよ。でもさ、さっきの体育の時間に、足を捻っちゃったから」
そう言って凪子が指で下を指すもんだから、俺も廊下の方に顔を出して凪子の足を見た。
確かに凪子の右足には、しっかりとサポーターがしてあった。
「体育の授業、なんだったんだ?」
「サッカー」
「女子が?」
「うん」
女子高生がサッカーね。
まぁ、それはいいとして。
チョコかぁ。
「どこに買いに行くんだ?」
溜息をつきながら聞く。
「えっ? 行ってくれるの?」
凪子の顔がぱっと輝く。
「駅前のビルの一階の特設会場。今ね、バレンタインシーズンだから、私がお目当ての東京の有名なお菓子屋さんのチョコも入っているのよ」
凪子はチョコ好き女だった。
市販のチョコも、限定品が出るといっては、しこたまそれを買って食っていた。
「なに? 自分の為に買うとか?」
チョコ好き女なら、ありうるかもしれない。
凪子は自称『チョコ ホリック』だし。
一日一チョコとか言っている。
ところが、そんな俺のそんな台詞に凪子のヤツは目を真ん丸くした。
「真潮って、凄い事考えるのね。バレンタインに自分にチョコを買う人っていないでしょ」
凪子が呆れたような声を出して言った。
ハイハイハイハイ、俺が考えなしでございましたよ。
それじゃぁ、なんですかね。
男の俺に、自分が好きな男のチョコを買わすのは、『凄い考え』とは言いませんかね?
「俺一人じゃ行かないからな」
そう凪子に言う。
「自転車の後に乗せてやるから、アンタも来なさい」
そう言った俺の顔を見て、凪子は嬉しそうに笑った。
制服のままで二人して、自転車に跨る。
一応、凪子の好きな男が学校のヤツって可能性もあるわけだから、学校から少し離れたところから乗せようか? と聞いたら、
「大丈夫。今は職員会議中だから」なんて言って凪子が舌を出した。
「嘘。相手って、センセイ?」
凪子はYESの代わりに、恥ずかしそうに笑った。
駅までの道を、自転車で走る。
「さっきの話だけどさ。先生って誰先生?」
冷たい風と、異様に大きく聞える自分の心臓音とで、俺の耳はちぎれそうだった。
「あぁ、江崎先生よ。ほら、体育の山田先生の産休で来ている」
あぁ、そういえばそんな先生が来たって聞いたなぁ。
その先生のことで、うちのクラス委員の椿谷がなんか言ってたよな。
――「聞いてよ、田中。山田先生の代わりに来た江崎って。あいつ、絶対に女子生徒に手を出す気でいると思うのよね」
委員会に行く途中の廊下で、そう言いながら椿谷がプンプンと怒っていた。(実は、俺もクラス委員)
「聞いてよ、真潮。江崎先生って、とってもいい先生よ」
はぁ。
いたよ、ココに。
江崎先生に、手を出されそうな女が。
「凪子は、江崎先生にチョコをあげるんだね?」
誰の為の確認だよって思いながら、文章にしてそのことを聞いた。
「うん。そうよ。でもライバル多いからなぁ」
うーん、困るのよね~なんて言って凪子は唸っている。
「あのさ、凪子さん。アンタのその言い方だと、まるで江崎先生とどうにかなりたいっていう風にボクには聞えますがね?」
おいおいおい、凪子。冗談じゃないよ。
いくらなんでも『先生』は、まずいだろうよ。
「バカね、真潮って」
凪子が俺の背中にぴたっと体をつけてきた。
凪子の口が、俺の耳の側に来るのがわかる。
「好きな相手と『どうにかなりたい』って思うのが恋でしょ?」
熱に浮かされたような言葉を、凪子はさらりと言ってのけた。
じゃあ、それが恋だって言うのなら。
俺の凪子に対する気持は、もう終っているってヤツだろうか?
「骨川筋子」
背中の凪子に言う。
「先生を本気で落としたいなら、もう少し肉がついていたほうがいいんじゃないの?」
ん。そうなのかなぁ? と凪子が言う。
「特に胸のね」
そう言った俺の背中に、凪子がゴンと頭突きをしてきた。
「すげ~」
凪子ご指名のチョコ屋の前には、凄い数の女の子が集まっていた。
「行ってくるわ、真潮」
凪子が足を引きずりながら、そのブースへと向いだした。
「っ、おいっ! ついていってやるよ」
凪子の体を守るように、がっしりと抱えた。
「ありがと」
その一言で。
凪子の笑った顔で、なんでもしてやっちゃう俺は。
終っているいないはともかく、かなりの重症なんだろうと思う。
人ごみを掻き分けて、ショーケースの前に辿りつく。
すると、凪子がいきなり注文をしだした。
「おいおい、ちゃんと商品を見たのかよ」
売り場のオネエサンにお金を渡す凪子に言う。
「うふふ。事前に完璧リサーチ済みよ」
凪子は、得意げな微笑を俺に向けてきた。
ショーケースの向こうから、紙袋に入ったチョコが凪子に渡された。
「ほれほれ、凪子。それは俺が、持つからさ」
そしてまた人ごみの中を、江崎へのチョコが入った紙袋を持ち上げながら、俺は凪子を抱えて歩きだした。
「なんか凄い体験だったなぁ」
時間にしたら僅か十分かそこいらのことだと思うのに、体中からエネルギーを吸い取られた気がする。
「凄いでしょ。女の子は、大変なんだからね。だからぁ」
そう言って凪子が俺を見た。
「真潮もね、そこんところちゃんと分かって行動してね」
凪子がにやりと笑う。
「なんだ、そりゃ」
「私聞かれたんだ。真潮のクラスの椿谷さんに。『田中君と付き合っているの?』って」
「はぁ?」
「このこの~。真潮もやるな。椿谷さんって美人だもんね。ってことは、真潮もついに彼女もちか~」
凪子が、ふっ~、やれやれ~、なんて言っている。
「勝手に、言ってればいいさ」
ほら、行くぞと凪子に言い、俺は自転車に跨った。
駅前の賑やかな街並みから、段々と住宅街へと景色は変わる。
冬の海が、暮れる空色を映し、オレンジ色に輝いている。
風は、冷たい。
流石の凪子も寒くなったようで、やけにぎゅっと俺の体に手を回してきている。
「ねぇ、真潮」
「ん?」
緩やかなカーブを右へと曲がる。
自転車を漕ぐ足を休める。
漕がなくても、進んでくれるのだ。
「真潮って、椿谷さんと付き合ったら、やっぱりこうやって自転車の後に乗せたりするの?」
ようやく聞き取れるくらいの小さな声で凪子が言う。
「いや。乗せないよ」
俺も答える。
「ふーん。そう」
それきり凪子は話さなくなった。
俺も、そのまま口をつぐんだ。
この話は、お互い深入りしちゃいけない。
突き詰めてしまうと、お互い今いる場所に戻れなくなってしまうだろう。
俺の望みはそんなことではない。
自分の気持を伝える事じゃない。
ただ、凪子の中で俺を何かに利用するのでもいいから、存在価値があってくれれば、それよかった。
―― でも、ずっとそんな気持で、俺はいられるのだろうか?
あるかないか分からないくらいの、緩い坂道。
ペダルを漕がなくても、自転車に跨る俺たちを坂の下まで運んでしまう、そんな坂道。
それは、歩いていると気が付かないくらいの、穏やかな角度なんだけど。
「気が付いた時は、手遅れってことだな」
ぼそっと言った俺の言葉は、凪子には聞えない。
もう中毒なのかもしれない。
日々、凪子への気持が加速していく。
それはもう、やばいくらいまでに。
ナギコ ホリック
凪子なしではいられない俺が、遥か未来の坂の下で。
―― 惨めに一人転がっていた。