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理想のおいしいディストピア

作者: 悠戯
掲載日:2026/05/30


 理想のディストピアとは如何なるものか?


 様々な意見や解釈はあるにせよ、そのコミュニティを支配する側にとっての理想を考えるなら、管理している被支配者層が一切の不満や反抗心を抱かない。なんなら仮に解放しようとしても、自発的に内部に留まりたがる。


 そんな在り方は一つの理想形ではないでしょうか。

 無論、あくまで支配者サイドにとっての理想ではありますが。


 共同体としての実態がどうあれ、支配される側にとってはユートピアに感じられる。そんな理想のディストピアを構築するには、どのような手段が考えられるか。


 たとえば幼少期からの徹底した教育や洗脳によって体制側に都合の良い価値観を刷り込むだとか、反抗的な人間に苛烈な罰を与えて恐怖で縛るとか。そのあたりは現実の歴史においても類例が見られる定番でしょう。倫理や善悪の是非については一旦忘れて考えたなら、たしかに一定の合理性はある……が、その程度ではまるで不足。とても理想とは呼べません。


 もっともっと、内側の人間が進んで支配されたがるような。

 不満どころか、主観的には幸福に満たされているような。

 そんなディストピアの理想を本気で追求するあまり、一周回って少々おかしな方向に迷走してしまった国がありましたとさ。



 ◆◆◆



 ここは全国民が高性能AIにより完全管理されたZ国の労働区画。

 過度の肉体的・精神的な疲労を避けるべく週五日、一日最大五時間までと厳格に定められた仕事を終えた労働者達が、同区画内に存在する食堂へと一斉に向かっておりました。



「ああ、腹減った! 今日の配給は何かな?」 


「チッ、また『牛フィレ肉のポワレ ~バルサミコ風味のソースを添えて~』かよ」



 今夜の配給食は『牛フィレ肉のポワレ ~バルサミコ風味のソースを添えて~』。付け合わせは新鮮なレタスとチコリのサラダ、裏漉ししたマッシュルームのスープ。夕食の時間に合わせて焼き上げられたパンに、デザートのアイスクリーム。各自の年齢や体質によって赤ワインかコーヒー、旬の果物のジュースのいずれかが付く形となります。


 メインの牛肉は三週間の熟成期間を経て旨味成分が十分に引き出され、それをバルサミコ酢ベースの酸味と芳醇な香りでいただく一品。Z国の外では一流レストランくらいでしかお目にかかれないご馳走ですが、先週に続いての提供とあってか若干の飽きを覚える者もいるようで。


 配給の献立は基本的に同じメニューが短期間で続いて飽きが来ないようになっているのですが、食料品の生産量が当初の予測より多すぎたり少なかったりした影響で、年に数度はこのような事態が起こってしまうのです。



「これも美味いっちゃ美味いけどよぉ、そろそろハンバーガーとポテトが食いたくなってくるぜ!」


「おいおい、声がデカいって。そんなこと言ってるとよ……」


『ピピピ……食堂内ヨリ不満を訴エル音声を検知!』


「げげっ、ヤベェ!?」



 Z国では食堂や工場や居住区画など、あらゆる場所で常に人民の会話内容をチェックしているのです。一部の住人達は壁や床に無数に埋め込まれた音声センサーに引っ掛からないような小声での発話法を独自に編み出したりなどして対策してはいるものの、それでもふと気が緩んだ隙にこうして不満を漏らしたことがバレてしまうことはあるようで……。



『ピピピ、全国民データベースより先程の声紋データを照合中……市民12345号。先程、ハンバーガーとポテトの要望を出したことに間違いはありまセンカ?』


「う、その……はい」



 ただでさえ高精度での声紋照合が行われている上に、もし言い逃れようとしても今度は付近にいた他の者達から証言を取ろうとするでしょう。このZ国において小手先の嘘や言い逃れは無意味でしかありません。そうしてジャンクフード欲が露見してしまった者の末路がどのようなものかといいますと……。



『ピピピ……夕食後に検査区画へ出頭してクダサイ。規定のボディチェックおよびメンタルチェックをクリアすれば、ハンバーガーとフライドポテト、コーラ一杯の支給を認めマス』


「はい、分かりました……ああ、これだからイヤだったんだよ。いくら食いたいからって、そこまでするのは面倒のほうが勝るくらいっていうかさぁ」



 ハンバーガーのために面倒な検査を課せられた市民12345号は、今度は音声センサーに引っ掛からないよう小さな声でボヤきました。

 このZ国の外ではいわゆるジャンクフードと称される栄養の偏った食事も、人間のメンタル面を上向かせる効果が認められています。肉体に過度の悪影響を及ぼさないか、もしくは心が弱っていて依存の恐れがないかなど事前のチェックをクリアする。その結果によっては運動施設で一定距離のジョギングや筋力トレーニングなどを行うことを条件に、通常の食事に代わって配給食として支給を受けられるのです。


 もっとも、いくら食欲があろうとも各種検査や運動には相応の時間がかかりますし、よっぽどの食いしん坊でもなければ大抵は普段の配給食で我慢することがほとんどですが。



『ピピピ……本日の夕食時間が終了しマシタ。市民の皆様は居住区画へ速やかに移動を開始してクダサイ。なお入浴設備の使用は午後九時まで、娯楽区画の利用は午後十時までとなっておりマス。ご注意くだサイ』


「さてと、そんじゃ検査行ってくるかぁ。今日こそは途中だったニッポンの漫画を最後まで読み切るつもりだったのに……」


「オレは今日は映画でも観るかな? 他のヤツが言ってたけど、ハリウッドの動物系のやつが超泣けるらしくてさぁ」



 労働者のコンディションを健全な状態に保って高効率の労働力を維持するには、物質的な栄養素のみならず、質の高い娯楽や芸術に触れてのメンタル面のメンテナンスもまた不可欠。

 時には国内各所にある風光明媚な山林や海辺へ旅行に行かされることもあり、定期診断によるストレス値が一定基準を下回るまでは決して仕事に戻してはもらえません。なにしろZ国の管理者たる高性能AI様がそう判断したのだから、市民達としては決定に従うほかないのです。


 嗚呼、げに恐ろしきはディストピア。市民達は、このような過酷な日々が生涯続くことを……心から願ってやまないのでありました。


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