第2話 三十個の真実
翌日。ログイン。
クロノスのギルドホールに向かって歩いている。ギルド街の大通り。石畳の道。両側に武器屋、防具屋、道具屋。看板が軒を連ねている。行き交うプレイヤーの装備を無意識に鑑定する。癖だ。剣士の大剣——hidden_flag: false。魔法使いの杖——false。通りすがりの商人のバッグ——false。普通の装備ばかり。hidden_paramを持つアイテムは——珍しい。
ギルドホールは大通りの突き当たりにある。石造りの三階建て。正面に赤い炎のエンブレム。門の前に衛兵——プレイヤーだ。NPCじゃない。ギルドの警備を専任する人間がいる。それがトップギルドの規模。五百人以上のメンバーが所属する組織。月間レイドボス討伐数は平均十二体。
「黒崎遊です。鑑定依頼で」
「ヴァルド副長に通達済みだ。三階の会議室へ」
階段を上がる。壁にレイドボスの討伐記録が額装されている。日付、ボス名、参加者リスト。最新の額には「深淵の竜王ゼノヴァート 討伐成功 参加者32名」と書かれている。三十二人がかりで倒すボスがいる世界。俺は一人で、カフェでコーヒーを飲んでいる。
三階。会議室。重厚な木のドア。中は広い。長テーブル。椅子が二十脚。壁に作戦地図。
ヴァルドが待っていた。昨日と同じ大剣を背負っている。隣にトールと弓使いの女性——レイラ。名前を昨日は聞かなかった。
「来たな、黒崎。そこに座れ」
「お邪魔します」
テーブルの上に——木箱が三つ。蓋を開けると、装備品がぎっしり。剣、盾、兜、指輪、首飾り、腕輪。光り物が多い。レア以上の等級は発光する仕様だ。
「三十個。全部先週のレイドで出た。Wikiにも攻略サイトにも情報がない。うちのサブ鑑定じゃ『レア装備です』で終わる」
「一個ずつ見ます。時間は——」
「急がなくていい。正確にやれ」
「了解です」
†
一個目。両手剣。
名前:断裂の刃
品質:極上
攻撃力:189
追加効果:物理ダメージ+15%
市場推定価格:62,000G
hidden_flag: true
hidden_param: bleed_duration=8, bleed_damage=3%/sec
出血効果。八秒間、毎秒3%のダメージ。表示には出ていない。つまりこの剣で斬ると、相手は八秒間追加ダメージを受け続ける。PvPで使えば——
「この剣、表示より強いです。斬った相手に持続ダメージが入るはず」
「持続ダメージ? そんな表記ないぞ」
「表記にはありません。——経験上の判断です」
「さっきも『経験上』って言ったな。お前の『経験』って、普通の鑑定と違うだろ」
「レベル99なので」
ヴァルドの目が鋭くなった。——疑っている。「レベル99だからわかる」という説明を、何度も使える弾じゃない。
二個目。盾。hidden_flag: false。普通。
三個目。兜。hidden_flag: true。hidden_param: perception_boost=12。知覚補正+12。索敵能力が上がる。
四個目。指輪。hidden_flag: true。hidden_param: mana_regen_override=2.3。魔力回復速度が表示の2.3倍。
五個目。首飾り。hidden_flag: false。
「指輪は魔法使いに渡してください。魔力の回転が体感で速くなるはず。兜は斥候向き。周囲の索敵が鋭くなります」
ヴァルドがメモを取っている。——副ギルマスが自分でメモを取る。秘匿性の高い情報だと判断している。
六個目。短剣。hidden_flag: true。hidden_param: poison_proc=15%。毒付与15%。表示には「毒属性」の記載すらない。
「短剣はアサシン向けです。毒が——乗ります。体感で」
「毒? 毒属性の表記ないぞ」
「隠し仕様かもしれません。使って確認してください」
七個目。法衣。hidden_flag: false。普通。
八個目。指輪。hidden_flag: true。hidden_param: luck_override=25。運補正25。ドロップ率に影響する。これは地味だが長期的に価値がある。
「この指輪はレイド担当者に渡してください。ドロップ運が上がるはずです」
「ドロップ運? 鑑定でそこまでわかるのか」
「レベル99なので」
レイラが小声でトールに言った。「あの人、レベル99なのでって言えば何でも通ると思ってない?」。トールが「思ってるだろ」と返した。——聞こえている。鑑定士は耳もいい。嘘だけど。
九個目。兜。hidden_flag: false。
十個目。槍。hidden_flag: true。hidden_param: range_extend=1.5。攻撃範囲が表示の1.5倍。
「槍は間合いが広いです。数値以上にリーチがある。槍使いに渡してください」
ヴァルドのメモが増えていく。ペンの音。紙をめくる音。——真剣だ。この情報に価値があると理解している。
十一個目。腕輪。
名前:静寂の腕輪
品質:極上
耐久度:∞
追加効果:なし
市場推定価格:800G
hidden_flag: true
hidden_param: stealth_level=MAX, detection_immunity=true
「——」
手が止まった。
stealth_level=MAX。隠密レベル最大。detection_immunity=true。探知免疫。つまりこの腕輪をつけると——あらゆる探知スキルを無効化して完全に姿を消せる。
表示上は「追加効果なし」。市場価格800G。ゴミアイテム。——だが本当の価値は、このゲームに存在する全装備の中でトップクラスかもしれない。
「どうした。手が止まったぞ」
「……この腕輪」
「ああ。それは外れだと思ったんだ。追加効果なし、800G。倉庫に入れるのも惜しい」
「売らないでください」
「は?」
「この腕輪は——持っていてください。理由は今は言えません」
ヴァルドの目がさらに鋭くなった。テーブルの空気が変わった。トールが身を乗り出した。レイラの手が弓の弦に触れた——反射だろう。
「黒崎。お前——」
「すみません。鑑定結果の範囲を超えた助言です。報酬から差し引いてもらって構いません」
「報酬の問題じゃない。——お前に何が見えてるんだ」
「鑑定結果が見えてます」
「嘘をつくな。800Gの腕輪を『売るな』って言う理由が、普通の鑑定にあるか?」
——正しい。ヴァルドは頭がいい。副ギルマスは腕力だけじゃ務まらない。
「……俺の鑑定は、通常の鑑定士より情報量が多いです。どの程度多いかは——言えません」
「なぜ」
「言ったら——たぶん、面倒なことになるので」
「面倒?」
「この情報を知った人間が、俺を『利用しよう』とする。あるいは『消そう』とする」
テーブルが静まった。トールが唾を飲み込む音が聞こえた。
ヴァルドが——笑った。
「面白い。お前、正直だな」
「正直というか——隠すのが下手なだけです」
「隠すのが下手な鑑定士。矛盾してるな」
「自覚してます」
ヴァルドが椅子の背にもたれた。腕を組んだ。
「いい。深くは聞かない。——だが一つだけ約束しろ」
「何ですか」
「うちの敵に同じことをするな。情報は武器だ。お前の鑑定が武器になるなら——敵の手に渡すな」
「……考えておきます」
「考えるな。約束しろ」
「——わかりました」
約束した。——守れるかどうかは、わからない。データが欲しい。サンプルが欲しい。どのギルドのアイテムでも。でもヴァルドとの約束がある。情報は武器だ。武器を敵に渡すな。
——俺はいつの間にか、「中立の鑑定士」ではなくなりつつある。
†
十二個目以降は黙々と鑑定を続けた。
十五個目で異常なアイテムがもう一つ出た。古びた杖。品質は「上」——極上ですらない。表示攻撃力42。ゴミ杖。だがhidden_param: spell_amplify=2.8。魔法倍率2.8倍。通常の杖は1.0-1.3倍。——破格だ。
「この杖、見た目に反して魔法が強く出るはずです。魔法使いに試してもらってください」
「42の攻撃力で?」
「攻撃力と実際の火力が比例しないアイテムが——たまにあります」
「たまに。——お前の『たまに』は信用できるのか?」
「四十一件中、似た傾向が三件。サンプルが少ないので断言はできません。でも傾向はある」
「四十一件? いつの間にそんなにデータ取ったんだ」
「……昨日から数えて」
「昨日。俺が来たのが初めてだったろ。それ以前のデータはどこから」
「自分で集めました。フィールドで拾ったアイテムを片っ端から」
「……お前、やっぱり変な奴だな」
二十個目を超えた。手が重くなってきた。鑑定は魔力を消費する。レベル99でも連続三十回は——きつい。額に汗が浮かぶ。
「休憩するか?」
「大丈夫です」
「無理するな。鑑定士が壊れたら替えがいない」
「替えがいない——」
「このクオリティの鑑定ができる人間は、エタフロに他にいないだろ。壊れられたら困る」
——替えがいない。大学では聞いたことのない言葉だった。誰でもできる仕事ばかりやってきた。コンビニのレジ打ち。大学の講義ノート。代替可能な作業。
レベル99の鑑定は——代替不可能。
二十五個目。三十個目。
残りの鑑定を終えた。三十個。三時間かかった。
hidden_flag: trueは十八個。falseは十二個。hidden_paramが付いているのは十一個。
報酬。20万G。ヴァルドが振り込み処理をした。口座に数字が増える。現実のレートで約2万円。一回の仕事で。
「次も頼む。月一で来い」
「月一?」
「うちのレイドは月二回。ドロップ品の選別を毎月やってほしい」
「……月額契約ですか」
「嫌か?」
「嫌じゃないです。ただ——」
「ただ?」
「他のギルドからも依頼が来たら、受けます。独占はしません」
「独占は求めない。——ただし、うちの情報を他に流すな。それだけだ」
「了解です」
ギルドホールを出た。階段を降りる。三階から一階。壁のレイド記録が目に入る。「深淵の竜王ゼノヴァート」。三十二人で倒したボス。俺は一人で、アイテムの裏側を読んでいる。戦い方が違う。
門の衛兵が「お疲れ様です」と言った。——俺にも言うのか。鑑定士なのに。戦闘職じゃないのに。
「お疲れ様です」
返した。——こういう挨拶をしたのは、エタフロを始めて三年で初めてかもしれない。ソロだから。誰とも挨拶しない日々。
†
カフェに戻った。いつもの席。窓際。NPCのウェイトレスが「いつものですね」とコーヒーを持ってきた。二年と三日目のいつもの。
窓の外。ギルド街。夕暮れが近づいている。通りを歩くプレイヤーの数が減る時間帯。でも今日は——一人、カフェの前を何度も通り過ぎる男がいる。
鑑定。——プレイヤーのステータスは見えない。だが装備は見える。軽装。革鎧。短剣二本。ギルドエンブレムは——青い翼。ヴァルハラ。クロノスのライバルギルド。
——偵察か。俺がクロノスのギルドホールに出入りしたのを、見ていたのか。
ヴァルドの言葉が蘇る。「情報は、持ってるだけで敵を作る」。——早い。もう作り始めている。
男が通り過ぎた。五回目。六回目。——入ってこない。偵察のみ。今日は。
三杯目のコーヒー。味はしない。でも——今日はマグカップの温かさだけでは足りない。緊張している。手が微かに震えている。
メモ帳を開いた。「hidden_param 記録帳」。今日のデータを全部追記する。
十一件(昨日)+三十件(今日)=四十一件。hidden_flag: trueは二十五件。hidden_paramが付いているのは十八件。
パターンが見えてきた。
一、hidden_flagは品質「上」以上のアイテムに出現する。「中」以下にはflagすら立たない。
二、hidden_paramは品質「極上」以上に出現する。ただし全てではない。極上でもfalseのものがある。
三、paramの内容はアイテムの種類と相関がある。武器にはattack系、防具にはdefense系、装飾品にはutility系。
四、静寂の腕輪のような「表示と実態が極端に乖離する」アイテムが存在する。800Gの表示で、実際はプライスレス。
四つ目が——怖い。
表示と実態が極端に乖離するアイテムが存在する。静寂の腕輪。800G。ゴミ。——だが完全隠密。古びた杖。42の攻撃力。——だが魔法倍率2.8倍。
これはバグではない。仕様だ。意図的に隠されている。ゲームの設計者が「一部のプレイヤーだけが気づくように」作った。
なぜ? 何の目的で?
大学で教授が言っていた。「データの異常値を無視するな。異常値にこそ本質が隠れている」。中退した俺が覚えている数少ない教えだ。
——わからない。でも、わからないことがある世界は——面白い。
大学で見つけられなかった「一生かけて調べたいもの」が——ゲームの中にあった。
パソコンを開いた。エタフロの匿名掲示板。
スレッドが新しくなっていた。
「ギルド街のレベル99鑑定士、クロノスに出入りしてるらしい」
書き込み四十二件。昨日の十七件から倍以上に増えている。俺の話題が——広がっている。
「マジかよ。クロノスが個人の鑑定士を雇うとか初めて聞いた」
「最弱職がトップギルドに出入りする時代」
「何が見えてるんだろうな、レベル99って」
「鑑定99って普通にしんどいぞ。二年くらいかかるだろ」
「暇人すぎて草」
「暇人が最強かもしれない世界」
「クロノスが金払って雇ったってことは、こいつの鑑定には金を払う価値があるってことだろ」
「Wikiに載ってない情報を持ってるってことか?」
「持ってたら怖いな。情報は金になる」
「鑑定士が情報ブローカーに化ける可能性」
「最弱職が最強職になるのか」
「いや最強は言い過ぎ。ソロじゃモンスター一匹倒せないだろ」
「でも情報で間接的に戦闘の質を変えられるなら——」
——読みながら、背筋が冷えた。
掲示板の住人たちは、俺の能力の本質に近づいている。「情報で戦闘の質を変える」。正確な表現だ。hidden_paramの存在を知れば、装備の選択が根底から変わる。表示値で装備を選ぶ時代が終わる。
問題は——この情報が広まったとき、何が起きるか。
掲示板を閉じた。
ログアウト。
VRヘッドセットを外した。額に汗。三時間のフルダイブは身体に堪える。——戦闘してないのに。脳が疲労する。情報処理の負荷。三十個のアイテムを一つずつ読み解く作業は、肉体労働に近い精神負荷がかかる。
現実の部屋。六畳一間。窓の外は夜。コンビニの弁当の空箱がゴミ箱から溢れている。洗濯物が椅子にかかっている。——社会的に見れば底辺。自覚はある。でも今、世界で最も面白いデータを持っている。
パソコンの前に座った。メモ帳——現実のメモ帳、紙の——を開いた。ゲーム内のデータを現実にも記録する。二重バックアップ。ゲーム内のデータは運営にアクセスされる可能性がある。現実のノートは俺しか見られない。
四十一件のアイテム。十八のhidden_param。パターン表を作った。
——大学で卒論のテーマを決められなかった男が、ゲームの中でフィールドワークをしている。
笑えない。笑えないが——手が止まらない。データを並べて、分類して、仮説を立てる。この作業が好きだ。大学では「何のために」がわからなかった。今は——「何のために」は明確。
このゲームの隠された真実を知りたい。それだけ。
静寂の腕輪のことが頭から離れない。800G。ゴミ。——だが世界で最も危険な装備かもしれない。
誰がこのアイテムを設計した? なぜ「追加効果なし」と表示した? なぜ800Gの値段をつけた?
——答えは、データの中にある。四十一件では足りない。百件。千件。一万件。積み上げれば、パターンが見える。パターンが見えれば、仮説が立つ。仮説が立てば——検証できる。
これが俺の「卒論」だ。テーマは「VRMMOにおける隠しパラメータの体系的分類と、ゲーム設計思想の逆推定」。
誰にも提出しない卒論。査読もない。学位ももらえない。
でも——手が止まらない。
夜が明けるまで、ノートにデータを書き続けた。コンビニのコーヒーを三杯飲んだ。




