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20万1回目に、世界が変わった

鑑定士を選んだ理由は単純だ。誰もいなかったから。


 VRMMO『エターナル・フロンティア』。二億人のプレイヤー。百二十種類の職業。その中で鑑定士をメインにしている人間は推定三千人以下。人口比0.03%。絶滅危惧種。


 スキルは三つ。『素材鑑定』『数値解析』『市場査定』。攻撃スキルなし。防御スキルなし。見て、読んで、値段をつける。それだけ。


 二年かけてレベル99にした。一日三百回の鑑定。毎日。ソロで。合計二十万回以上。


 その二十万一回目に——世界が変わった。


 †


 少し昔の話をする。


 エタフロを始めたのは三年前。大学を中退した年だ。文学部。卒論のテーマが決まらなくて——正確には「決められなくて」中退した。何を研究したいかわからなかった。何かを調べることは好きだった。でも「これを一生かけて」と思えるものがなかった。


 バイト先はコンビニ。週三回。残りの四日はゲーム。社会的に見れば底辺。自覚はある。


 エタフロの職業を選ぶとき、百二十種類を三日かけて調べたのは——大学時代の癖だ。何かを選ぶ前に全選択肢を並べて比較する。比較すること自体が楽しい。


 結果、誰もいない場所を見つけた。鑑定士。0.03%。


 中退の理由と同じだ。「何を研究したいか」がわからなかったのに、「誰もいない場所」だけは見つけられた。目的がないのに場所だけ決まった。


 二年間の鑑定修行は——ある意味、大学でやれなかった「一つのことをやり続ける」を、ゲームの中でやっていたのかもしれない。


 二十万回。その先に——何かがあった。


 †


 秋のフィールド。紅葉が散っている。俺しかいない。


 拾った鉄鉱石を鑑定した。何千回と見てきた、最も退屈なアイテム。


 名前:鉄鉱石

 品質:中

 硬度:42

 純度:67%

 市場価格:12G

 hidden_flag: true


「……は?」


 最後の行。hidden_flag。二年間、一度も見たことがない。


 他のアイテムも鑑定した。回復薬——hidden_flag: false。魔獣の牙——hidden_flag: true、hidden_param: atk_override=12。


 表示上の攻撃補正は+8。内部値は12。差が4ある。


 ——このゲームのアイテムは、表示と実際の性能が違う?


 二億人が知らない。俺だけが見える。レベル99の鑑定士だけが。


 †


 翌日。ギルド街のカフェ。掲示板に書き込んだ。


「鑑定依頼受付中。レベル99鑑定士。通常価格の半額」


 三十分待った。窓際の席。NPCのウェイトレスが「いつものですね」とコーヒーを持ってきた。二年通い続けた店。味はしない。フルダイブVRの味覚再現はまだ発展途上だ。


 窓の外を見ていた。ギルド街の広場。石畳。噴水。掲示板の前に人だかり。パーティー募集、素材売買、ダンジョン攻略情報。広場を横切るパーティーが見える。剣士四人、魔法使い一人、回復師一人。典型的な六人編成。全員が「何かを倒す」ために歩いている。


 俺だけが「何かを読む」ためにここにいる。


 コーヒーのマグカップを両手で包んだ。温かい。味はしないが、陶器の重さと温度は感じる。この感覚が好きだ。現実のコンビニコーヒーより、ゲーム内のカフェのコーヒーの方が落ち着く。現実にはない「いつもの席」がここにはある。


 十五分。誰も来ない。掲示板の投稿には反応がない。まあ当然だ。鑑定なんて誰でもサブスキルでできる。レベル30もあれば十分。99の鑑定士にわざわざ金を払う理由がない。


 二十分。ウェイトレスが「おかわりは?」と聞いた。二年間で千回以上聞いた台詞。


「まだいい」


 二十五分。窓の外を通り過ぎた商人プレイヤーの持ち物を、無意識に鑑定していた。革のバッグ。hidden_flag: false。中身の素材束。hidden_flag: false。全部普通。


 三十分——


「あの、鑑定お願いしたいんですけど」


 来た。


 剣士の女性。装備から見てレベル60-70。鎧は中級品だが手入れが行き届いている。剣の柄に革紐を巻いている——グリップを調整する癖。実戦経験がある人間の装備だ。装備から持ち主を読む。これも鑑定の一種。


「これ、レイドボスから出た武器なんですけど。Wikiにも載ってなくて、強いんだか弱いんだかわからなくて」


「見せてください」


 差し出された剣を手に取った。細身。刃の表面に微かな紋様。色は——薄い紫。夕暮れの空の色に似ている。


 鑑定発動。


 名前:薄暮の剣

 品質:極上

 攻撃力:156

 追加効果:暗属性ダメージ+20%

 市場推定価格:48,000G


 ここまでは通常の鑑定。レベル30でも出る情報。48,000Gはレイドボス産としては平凡な価格。ギルドの倉庫に入れるか、市場で売るか迷うレベル。


 だが——その下に。


 hidden_param: crit_rate_override=35, dark_resist_ignore=true


 クリティカル率35%。通常の武器は5-10%。三倍以上。それだけじゃない。dark_resist_ignore。暗属性耐性を無視する。つまり暗属性耐性が高いボス——通常なら暗属性が通らない相手にも、この剣なら通る。


 この剣の本当の価値は48,000Gじゃない。48万Gでも安い。


 心臓が速くなった。フルダイブVRでは感情が身体に直結する。手が微かに震えている。——鑑定士が手を震わせたら不審に思われる。深呼吸した。


 伝えるか?


 hidden_paramの存在を教えたら「なんでわかる」と聞かれる。情報の独占性が崩れる。でも伝えなければ、この客はこの剣を48,000Gで売ってしまうかもしれない。


 二秒考えた。折衷案。


「鑑定結果です。攻撃力156、暗属性+20%。市場価格は約48,000G。——個人的な感想ですが、この剣は数字以上に強いです。クリティカルが体感で高いはず」


「え、そこまでわかるんですか?」


「レベル99なので。経験で」


 嘘ではない。本当でもない。


 客が去った。報酬2,400G。


 ——その十分後だった。


「おい。お前がレベル99の鑑定士か」


 カフェのドアが開いた。三人。全員重装備。胸にギルドエンブレム——赤い炎の紋章。「クロノス」。エタフロのトップギルドの一つ。メンバー五百人以上。レイドボスの週間討伐数ランキング常連。


 先頭の男。大剣を背負っている。レベルは——わからない。プレイヤーのステータスは見えない。だが装備の等級が異常に高い。全身がレア以上。


「レベル99の鑑定士って、お前マジか? 掲示板で見たんだが」


「はい。マジです」


「はっ。物好きだな。——まあいい。依頼がある」


 男がテーブルにアイテムを並べた。五つ。全てレイドボス産。等級は——全部「極上」以上。


「これ全部鑑定してくれ。Wikiに載ってない装備ばっかりでな。性能がわからん」


 五つ。順番に鑑定した。


 一つ目——hidden_flag: false。普通の装備。

 二つ目——hidden_flag: true。hidden_param: def_override=28。防御の隠し補正。

 三つ目——hidden_flag: true。hidden_param: なし。flagだけ。

 四つ目——hidden_flag: false。

 五つ目——hidden_flag: true。hidden_param: skill_cooldown_reduction=0.3。スキルのクールダウンが30%短縮。


 ——五つ目はやばい。スキルクールダウン30%短縮は、対人戦で圧倒的な優位になる。このアイテムの本当の価値は——表示価格の十倍はある。


「結果は?」


「一つ目と四つ目は標準的な性能です。二つ目は防御寄りの良装備。三つ目は素材としての価値が高い。鍛冶師に渡せば強化素材になります」


「ほう。で、五つ目は」


「——売らない方がいいです。使ってください。特にPvPで」


「なんで?」


「スキルの回転が体感で速くなるはずです。数値には出ていませんが、装備の『癖』として」


 男の目が変わった。鋭くなった。


「お前——何が見えてる?」


 声のトーンが変わった。世間話からビジネスの声になった。


「鑑定結果が見えてます。レベル99なので」


「レベル99の鑑定結果って、そこまで詳しいのか?」


「はい」


 嘘だ。レベル99でも通常はここまで見えない。hidden_paramが見えるのは——たぶん、世界で俺だけだ。


「ほう」


 男が椅子の背にもたれた。腕を組んだ。大剣の柄が椅子の脚にぶつかってカチャリと鳴った。


「じゃあ聞くが。うちのギルドが先週のレイドで拾った装備、三十個ある。全部鑑定したらいくらだ」


「三十個」


「ああ。全部Wikiに載ってない。性能の見極めに困ってるんだ。うちのサブ鑑定じゃ『レア装備です』以上の情報が出ない」


 三十個。全部を鑑定したら——hidden_paramのデータが一気に増える。サンプルが九から三十九に。パターンが見え始めるかもしれない。


 でも——三十個の情報をクロノスに渡すことになる。トップギルドに。


「報酬は?」


「査定額の5%——じゃないな。お前の腕なら10%出す。全部で推定200万Gの装備だから、報酬は20万G」


 20万G。現実のレートで約2万円。フリーターの週給に近い。ゲーム内で。一回の鑑定で。


「……やります」


 金に目がくらんだわけじゃない。——いや、半分はくらんだ。でもそれ以上に、三十個のデータが欲しかった。


「よし。——名前は?」


「黒崎遊」


「黒崎。お前、面白いな。俺はヴァルド。クロノスの副ギルマスだ」


 後ろの二人が顔を見合わせた。一人は盾を持った重装戦士。もう一人は弓を背負った軽装の女性。


「ヴァルドさん、こいつマジで鑑定だけでそこまで——」


「マジだ。トール、お前の防具も見てもらえ」


「え、俺のも?」


 重装戦士のトールが自分の胸当てを外してテーブルに置いた。鑑定。hidden_flag: true。hidden_param: damage_reflect=0.05。ダメージの5%を反射。


「その胸当て、被弾時に相手に微量のダメージが返ってるはずです。体感で気づいてませんか」


「……言われてみれば、タンクやってるとき俺に殴りかかってくる雑魚が妙に削れてる気はしてた。あれ胸当てのせいか?」


「たぶん」


「まじかよ。三ヶ月使ってて気づかなかった」


 弓使いの女性——名前は表示されていないが、装備の色味から上級者——が口を開いた。


「ねぇ、あたしの弓も見てくれない?」


「いいですよ」


 弓。hidden_flag: false。普通の弓。


「普通です。特別な補正はありません」


「えー。残念」


「でも弦の張り具合が最適化されてます。使い込んでますね」


「あ、わかる? 三年使ってるの。自分で調整してる」


「いい弓です。数値以上に」


 女性が——笑った。


「あんた、鑑定以外のこともわかるんだ」


「道具を長く見てると、持ち主の癖が見えるようになります」


 ヴァルドが椅子から立ち上がった。大剣がテーブルの脚にまた当たってカチャリと鳴った。


 副ギルドマスター。トップギルドのNo.2。


「うちのギルドに来ないか」


「え」


「鑑定士がギルドにいるだけで、ドロップ品の選別効率が段違いになる。お前ほどの鑑定士なら——」


「お断りします」


「即答かよ」


「ソロが好きなんで」


「ソロで鑑定って、儲からないだろ」


「儲からないです」


「じゃあなんで——」


「誰もいない場所が好きなんです」


 ヴァルドが——笑った。


「変な奴だな。まあいい。気が変わったら連絡しろ。——あとな」


 ヴァルドが立ち上がった。去り際に、振り返らずに言った。


「お前の鑑定、普通じゃない。何が見えてるか知らないが——気をつけろ。情報は、持ってるだけで敵を作る」


 ドアが閉まった。


 カフェに静寂が戻った。NPCのウェイトレスが「おかわりは?」と聞いた。


「……もう一杯」


 三杯目のコーヒー。味はしない。でも両手でマグカップを包む感触が、今は必要だった。


 手が震えていた。


 整理しよう。今日起きたことを。


 一、hidden_flagを発見した。二、最初の客に薄暮の剣の「本当の価値」をそれとなく伝えた。三、トップギルドの副マスターが来た。四、五つのアイテムを鑑定した。五、三十個の追加依頼を受けた。六、ギルドに勧誘された。断った。七、「気をつけろ」と言われた。


 七つ。一日で。


 昨日まで二年間、何も起きなかった。一日三百回の鑑定。経験値3。その繰り返し。何も。


 今日——全てが動き始めた。レベル99の一行——hidden_flag——が、世界のルールを書き換えた。俺の世界の。


 窓の外を見た。ギルド街の夕暮れ。NPC商人が店を閉め始めている。プレイヤーの数が減る時間帯。現実の夕飯時だ。


 メモ帳を開いた。「hidden_param 記録帳」。今日のデータを全部追記する。


 鉄鉱石、回復薬、魔獣の牙、薄暮の剣。ヴァルドの五つ。トールの胸当て。弓使いの弓(false)。合計十一件。


 十一件のデータ。hidden_flag: trueは七件。falseは四件。


 パターン。trueが出るのは——品質「上」以上。レイドボス産か、特定ダンジョンのドロップ。通常フィールドの素材にもtrueがある(鉄鉱石)が、paramは付いていない。


 hidden_paramが付くのは——品質「極上」以上。かつ、特定の条件を満たすアイテム。その条件がまだわからない。


 三十個の追加データが来れば、もっと見えるはずだ。


 コーヒーを飲み干した。カフェを出た。


 †


 ログアウト。現実の部屋。六畳一間。窓の外は夜。


 スマホを見た。エタフロの匿名掲示板。新しいスレッドが立っていた。


 タイトル:「ギルド街にいるレベル99の鑑定士、マジか?」


 本文:「さっきクロノスのヴァルドが鑑定頼んでた。結果聞いて顔色変わってたぞ。あの鑑定士、なんか普通じゃない」


 レス:

 「99って本当にいるのか? ネタだろ」

 「鑑定士に99なんていらねーだろ。何の意味があるんだ」

 「クロノスが動いたなら意味はあるんだろ」

 「情報屋か?」

 「気になる。誰か依頼してみてくれ」


 ——始まった。


 噂が広がり始めている。まだ小さい。掲示板の隅の、過疎スレ。レス数は十。でもクロノスの名前が出ている。トップギルドの名前が出れば、見る人間が増える。見る人間が増えれば、試しに依頼する人間が出る。


 スクロールした。最後のレス。


 「情報屋か? ヴァルドがわざわざ動くってことは、相当な腕だぞ。あの男は無駄なことをしない」

 「鑑定士って戦えないんだろ? 何が強みなんだ」

 「情報だよ。戦闘力じゃなくて情報力。このゲームで一番価値があるのは——」

 「レアドロップだろ」

 「情報だ。レアドロップの『本当の価値』がわかることが、ドロップ自体より重い」

 「哲学かよ」

 「来週までに覚えとけ。鑑定士の時代が来るぞ」

 「来ねーよwww」


 最後のレスで笑った。声が出た。現実の部屋で。一人で。


 来るかもしれない。本当に。


 無駄なことをしない男が、わざわざカフェまで来た。俺の鑑定結果を聞いて顔色を変えた。「気をつけろ」と言った。忠告か。脅しか。あるいは——先に味方につけたいという意思表示か。


 冷蔵庫から麦茶を出した。一口飲んだ。現実の味。苦い。冷たい。確かにここにある。


 明日ログインしたら何が待っているだろう。依頼が増えるかもしれない。ヴァルドから連絡が来るかもしれない。あるいは——クロノスとは別のギルドが来るかもしれない。情報を欲しがる人間は、一人じゃない。


 ベッドに横になった。天井のシミ。三年間変わらない犬の形。


 二年間、誰にも見向きされなかった。最弱職。レベル99。掲示板では「取る意味なし」。


 それが——今日、トップギルドの副マスターに「面白い」と言われた。


 面白い。


 怖い。


 情報は、持っているだけで敵を作る。


 ——でも、やめられない。


 明日もログインする。三十個の鑑定依頼が待っている。三十個のhidden_param。三十個の「世界の裏側」。


 スマホの画面を消した。暗い部屋。窓の外のコンビニの看板だけが光っている。


 二十万回の鑑定の先に——こんな景色が待っているとは思わなかった。


 大学を中退したとき、母親に電話した。「何がしたいかわからない」と言った。母親は「わからなくてもいいから、一つだけ続けなさい」と言った。


 一つだけ続けた。鑑定。二年間。


 その先に——hidden_flagがあった。ヴァルドがいた。匿名掲示板の「鑑定士の時代が来る」があった。


 母親に電話しようか。「やりたいこと見つかったかも」と。


 ——やめた。まだ早い。データが十一件しかない。三十件追加されたら、もう少し見えてくる。そのあとで。


 目を閉じた。明日は早い。コンビニのバイトが朝七時からだ。


 現実とゲーム。どちらが「本当の世界」なのか、最近よくわからなくなる。


 でも一つだけ確かなことがある。


 現実の俺は——コンビニのバイトで、六畳一間で、天井のシミが犬に見える男だ。


 ゲームの俺は——二億人が知らない世界を見ている、レベル99の鑑定士だ。


 どっちが本当の俺かは知らない。でも——どっちの俺も、明日が来るのを待っている。大学を中退してからの三年間で、それは初めてのことだった。


 目覚ましを六時半にセットした。コンビニは七時から。エタフロは——バイトが終わってからだ。

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