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父さんのお世話

泣き叫ぶ父さん。恐る恐る脇の下に手を差し込む。

瞬間、首がガクンと後ろに落ち、体が大きくのけ反った。


「……!!これは首が座ってないってことか?!」


赤ちゃんの抱っこってこんな命がけなのか。


「えーなんだ。あーっと、こういう時はオムツなのか?ミルクなのか?どっちだろう…」


未知の生物すぎる。泣き声が耳を抉る。俺はどうすることもできなくて、ただ狼狽えることしかできなかった。


「父さんちょっと待ってて!すぐ助けを呼んでくるから!」


そっと離れようとした瞬間、まるで気配を察したように泣き声が一段と鋭くなる。


「くそ〜何もできないじゃんか〜」


もう一度覚悟を決めて抱き上げる。今度は首の後ろと腰をしっかり支え自分の体に密着させる形で掬い上げた。ぎこちない手つきで揺らしてやる。泣き声が少しだけ弱まった。でも完全には泣き止まない。


「父さんごめんよ。なんとかするから」


微妙な雨の中、父さんを抱えたまま山田さん宅へ急ぐ。腕がすでに悲鳴を上げている。


山田さん宅へ着きインターホンを押すも反応はない。留守のようだ。


「いないのか…。でも用事があったのに父さんを預かってくれていたってことだよな…」


山田さんの優しさに胸が熱くなりながら次の選択肢を考える。父さんの泣き声は止まらない。腕はもう限界だ。片手で父さんを抱えるのがかなりきつい。傘を持つ手と交互に入れ替えながら俺は走った。


行き先はあそこしかない。喫茶店のドアを開ける。


「すみません…また助けてください」


昼前で店内は客で賑わっている。タバコの煙がモクモクと立ち込めている。こんなところに赤ちゃんを連れてくるなんて最悪だ。でも他に頼れる人が思い当たらなかった。


「お兄さん?!その赤ちゃんどうしたの?!」


朝の女の子がカウンターから飛び出してきた。


「えーっと、甥っ子で、親が急にいなくなってしまって俺が預かることになったんですけど…赤ちゃんの世話全然分からなくて…ずっと泣き止まないし…」


言葉が上手く続かない。情けなくて声が震えた。


「抱っこ代わります!」


彼女は迷わず両手を差し出し、慣れた手つきで父さんを受け取った。泣きじゃくる父さんが彼女の腕の中で少し落ち着く。


「オムツかなー?ミルクかなー?両方かなー?お兄さん最後にオムツ変えた時間とか、ミルクあげた時間とか分かる?」


「本当にさっき預かったばかりで…自分が預かってからは何もしていないというか…できなくて…すみません」


「大丈夫!悪いのは親御さんよ!こんな可愛い子ほったらかしてどっかいなくなるなんて!とりあえずオムツとミルクの準備ね!」


彼女は忙しい昼時の店を抜け出し、2階へと上がっていった。


「お兄さん!オムツあった!替え方教えるから来て!」


泣き疲れた掠れた父さんの声が胸を抉る。


「オムツ替えるからね〜。お兄さん、よく見ててね」


優しい声で父さんに語りかけながら、彼女は手際よくオムツを替えてくれた。要所要所で俺に解説をしながら。


「はい、こんな感じ! 簡単でしょ? でもまだ機嫌悪いから、お腹空いてるかも。私、ミルク探してきますね!」


また駆け足で外へ。

……こんなに献身的に助けてくれるなんて、思ってもみなかった。

俺の知ってる「昭和の人」って、もっと冷たくて自分勝手なイメージだったのに。

腕が痺れてきた頃、彼女が息を切らして戻ってきた。


「ミルク買ってきたよ!」


「わざわざ…?!」


「喫茶店でも流石に赤ちゃん用のミルクは置いていないわよ。でもせっかく仕入れてきたし、今度メニューに加えてもらおうかな」


笑顔で答える彼女に言葉が詰まる。


湯煎の仕方、ミルクの温度、哺乳瓶の角度。一つ一つ丁寧に教えてくれた。


やっと用意できたミルクを俺は震える手で父さんに飲ませる。相当お腹が空いていたのか、勢いよく飲み始めた。

自分の腕の中で、小さな方がミルクを吸う姿。

…これがあの父さんだなんて、何度考えてもやはり実感が湧かない。ただの泣き虫の赤ちゃんにしか見えない。


「飲み終わったら最後ゲップ出させてあげてね」


彼女は父さんを抱き上げ背中をさすり始める。時折ポンポンと優しく背中を叩くと父さんは小さなゲップを吐いた。

俺はそれを見て、初めて気づいた。

俺は今、父さんの父親をやってるんだ。

子育ての大変さを、こんな形で知ることになるとは、夢にも思わなかった。



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