父さんの生家
「え……?」
彼女の言葉に、心臓が一瞬止まる。未来人? なぜ分かった? 彼女もタイムトラベラーなのか? 頭の中で疑問が渦巻く。聞きたいことは山ほどあるのに、正直に答えるべきか、迷いが胸を締め付ける。
「……どうして、そう思ったんですか?」
否定も肯定もせず、探るように言葉を返す。彼女の反応を見極めないと。
彼女は目をキラキラさせ、まるで子供のようにはしゃいだ。
「だって、お兄さんの服、明らかにこの時代のじゃないもん! 海外の人っぽくもないし……未来から来たってしか思えない!」
その無邪気な笑顔に、肩の力が少し抜ける。どうやら、ただの直感で言ったらしい。鋭い観察眼ではあるけど、核心には触れていない。ホッとしたような、拍子抜けしたような。
「はは……変なファッションで、すみませんでした」
安堵が胸を温める。この時代で、初めて人と話せた安心感。彼女が差し出してくれたコーヒーの湯気が、凍りついた心を溶かしていく。少しだけ、この時間を味わっていたかった。
「オカルトとか、好きなんですか?」
ふと、彼女に聞いてみる。彼女はカウンターを拭きながら、楽しそうに答えた。
「私の周り、みんな好きですよ! 常連さんに、向こうの森で宇宙人を見たって人もいるんですから!」
「へえ……そんな、身近にいるもんなんですね」
「ふーん、信じてないでしょ?」
彼女が少し拗ねたように唇を尖らせる。だが、
その目はどこか試すような光を帯びていた。
「いや、宇宙人は……いるかもしれないけど、そんないっぱいいるとは思えないかな。……でも、タイムスリップなら、信じますよ」
「やっぱり、未来人?」
彼女の声が、からかうように跳ねる。俺は苦笑いで誤魔化した。
「さあ、どうかな」
ふと、壁の時計に目が留まる。11時過ぎ。家を出てから、ちょうど2時間。タイムマシンのエネルギーが少し溜まった頃だ。
「雨も弱まったし、そろそろ帰ります。コーヒー、ありがとうございました。今度はちゃんと客として来ます」
「ふふ、待ってますね!」
彼女の笑顔に見送られ、喫茶店を後にする。一時の温もりが、胸にほのかな余韻を残す。だが、すぐに現実が重くのしかかる。あの家に戻らなきゃ。タイムマシンを回収して、隠さなきゃ。
家までの道を、慎重に歩く。朝は無人だったけど、今はどうだ? 見つかったら、どう言い訳する? ドアノブに手をかけ、息を潜める。鍵はかけてなかった。そっと回すと、静かに開いた。
「お邪魔……します」
小声で呟き、家の中へ。目指すは屋根裏。誰もいない今のうちに、タイムマシンを回収して隠さないと。階段を上り、父さんの部屋――いや、かつてそうだった部屋へ向かう。
その時。
ピンポーン
インターホンの音が、静寂を切り裂いた。
心臓が跳ね上がる。偶然の来客か? それとも……。出るわけにはいかない。しゃがみ込み、息を殺す。だが、音は止まらない。やがて、甲高い声が響いてきた。
「田中さあん! いるんでしょ! 今、入っていくの見たわよ! 隣の山田です! 伸之くん、そろそろ引き取ってくださいな! いつまでも預かれないわよ!」
伸之。父さんの名前だ。田中ってことは、この家は祖父母の家で、父さんが育った場所だったんだ。だが、なぜ父さんが隣人に預けられて、放置されてる? 頭が混乱する。
「田中さあん! そろそろ警察呼びますよ!」
マシンガンのような声が追い打ちをかける。警察はまずい。この状況で捕まったら、不法侵入で終わりだ。覚悟を決め、ドアを開ける。
「す、すみませんでした! 親戚の田中奏多です。甥がお世話になってて……」
「ああ、あなたがベビーシッターさんね? 2、30分で迎えに来るって話だったけど、聞いてないの?」
「いえ、なにも……。いつから預かってるんですか?」
「本当に何も知らないのね。朝9時頃に預けに来たわよ。田中さん夫婦、こんな小さい子置いて、どこ行ったのかしら?」
「すみません、僕も何も聞いてなくて……兄が僕を呼んだって言ってました?」
「『親戚が迎えに来る』ってだけよ。あなたでいいんでしょ? …違うの?」
「いえ、大丈夫です。ただ、僕も急に呼ばれただけで、伸之を預かる話は聞いてなくて……。もし他の親戚が来たら、教えてください。それまで、この家で責任持って預かります」
「ふうん、ひどい話ね。じゃあ、伸之くん、よろしくね」
山田さんは安堵の笑みを浮かべ、父さんを差し出してきた。受け取る俺の手は、震えていた。赤ちゃんを抱くなんて初めてだ。それも、自分の父さんだなんて。頭が追いつかない。嘘で切り抜けたものの、事が進みすぎて逆に怖い。本物のベビーシッターが来たら、どうするんだ?
「……父さん、なんでこんな時に寝てるんだよ」
赤子の父さんをそっと見つめる。祖父母が帰ってくるかもしれない。放置するわけにもいかない。父さんを殺すのは、自分自身になってしまう。
「よし、父さん。赤ちゃんの扱いなんて知らないけど、ちょっとだけ、俺が面倒見るからな」
父さんが、かすかに笑った気がした。錯覚だろうか。
「いつ誰が来てもいいように、タイムマシンは手元に置いておこう」
父さんを布団に寝かせ、屋根裏へ急ぐ。タイムマシンを回収し、隠さなきゃ。
「くそ、重いな……」
5キロ、いや10キロはあるか。取っ手もないこの箱、気軽に持ち運べる重さじゃない。屋根裏から引きずり出すと、突然、父さんの泣き声が響いた。
「うわ、起こしちゃった! 父さん、ごめん!」
この小さな命が、俺の知る父さんだなんて、どうしても受け入れられない。赤ちゃんという未知の存在。泣き声一つで心臓を締めつけ、抱き上げる手は震えを隠せない。タイムスリップって、こんなものなのか? 知るはずもない。でも、赤子の父さんの面倒を見るなんて、絶対に「普通」じゃない。
目を背けたくなる。逃げ出したくなる。だが――未来の父さんを救うため、今この瞬間を生き抜くしかない。
その覚悟だけが、今の俺を支えていた。




