父さんのタイムマシン
布をそっと剥がすと、スマホのライトに照らされた、鈍い光を放つ金属の箱が静かに佇んでいた。無骨で冷たいその姿は、まるでこの屋根裏の闇に溶け込むように存在感を放っている。
「……なんだ、これ? 金庫? 時計? まさか、これが宝?」
箱の中央には、古びた電卓のようなパネルが無造作に取り付けられている。チープなのに、なぜか目を離せない。不思議な威圧感がある。
側面に目を凝らすと、細かい文字が彫られている。震える手でライトを当て、読み進める。
『これはタイムマシン。未来にも過去にも行ける』
「タイムマシン……?」
一瞬、息が止まる。本物なら、確かに宝だ。だが、こんなものが本当に? 父さんが残したものだとしたら、何を企んでいたんだ? 胸の奥で、期待と恐怖がせめぎ合う。
さらに目を落とすと、取扱説明書らしき文が続く。
『1. 未来へは「+」、過去へは「-」を押せ。
2. 時間を入力。
3. 確定は「×」ボタンで。
4. 「×」を押すと起動するが、体の一部が触れていないとエラーになる。
5. 身体情報の読み取り後、即座に時間を飛ぶ。覚悟しろ。
P.S. 最初に「+」か「-」を押さなければ、普通の電卓として使える。』
「……いや、ふざけすぎだろ、この取説! P.S.ってなんだよ! 誰が電卓として使うか! 怖すぎるわ!」
ツッコミが止まらない。けど、もしこれが本物のタイムマシンなら……俺の選択肢は過去一択だ。父さんが死んだあの日に戻って、何か変えられるかもしれない。
「でもさ、普通タイムマシンって日付で選ぶもんじゃない? なんで時間単位なんだよ。計算めんどくせーな……」
電卓パネルをチラ見。いや、さすがにこの怪しすぎる電卓で計算するのはビビる。スマホでやろう、スマホで。
父さんが死んだのは5年前、8月31日。8月25日あたりに戻れれば、きっと何か分かるはず。365日×24時間で8760時間、5年分だから……あ、閏年か。めんどくさ!スマホで計算を終え、電卓に目を落とす。
「-43,824時間で……5年前の8月20日くらい? これでいいよな」
念のため、少し余裕を持たせた。荷物は必要か? けど持っていけるのかも分からない。ふと、冷静になると馬鹿らしくなる。こんなオモチャみたいな箱で、時間が飛べるわけないだろ。父さんのイタズラだ。きっとそうだ。
「……まぁ。試してみるかー」
半信半疑で、箱に手を添え、「×」を押す。
――バチッ!
部屋が、眩い白光に包まれた。
「お、おい……!?」
意識が一瞬、途切れる。
目を開けると、闇一色。スマホのライトは消え、屋根裏の埃っぽい匂いだけが鼻をつく。心臓が締め付けられるように脈打つ。
「何だ……今の光は? どうなった?」
スマホで明かりを……と手を伸ばすも、どこにもない。まさか、本当に時間が……!?
不安が胸を締め付ける。未来に戻れるのか? 父さんに会えるのか? 頭がぐちゃぐちゃだ。まずは、ここが本当に5年前の8月20日なのか、確認しないと。
押入れを降り、父さんの部屋へ。だが、足を踏み入れた瞬間、異様な違和感に襲われる。あの巨大な本棚がない。いや、部屋全体がガランとしている。物がほとんど消えているのだ。
「何だ……これ?」
リビングに駆け込む。配置は同じなのに、すべてが違う。テーブルも椅子も、俺の知るものじゃない。壁の絵画も消え、冷たい空気が漂う。嫌な予感が全身を支配する。
「一体今、何年なんだ……?」
急いで自室へ。ドアを開けると、そこはまるで他人の部屋。生活感はあるが、俺のものじゃない。机の上には、卓上カレンダーがポツンと置かれている。
震える手で手に取る。そこに刻まれた数字を見て、息が止まった。
<1975年8月>
「1975年……!?」
50年前!? 5年前のはずが、50年も過去に!? 頭が真っ白になり、膝がガクガク震える。パニックが全身を飲み込む。
「落ち着け……一旦、未来に戻らないと。父さんを救うどころか……父さん、まだ赤ちゃんじゃん!」
父さんの生年は1975年2月2日。今が8月なら、父さんは生後半年。こんな状況で、どうしろって言うんだ?
懐中電灯を手に、急いで屋根裏へ戻る。箱をもう一度確認。側面の取説以外に何か――と、箱の底に新たな文字を見つけた。
『※タイムマシンは10時間単位。0が1つ省略されている。一度使用後、時間エネルギーはリセット。エネルギーは2時間で10時間分充電される。』
「……何!?」
愕然とする。10時間単位!? 俺の計算、1桁間違えてたってこと!? -43,824時間だと思ったのが、-438,240時間で、50年近く過去に飛ばされたわけだ。
箱のディスプレイには、薄気味悪い緑色の文字で “success” と表示されている。
「successじゃねえよ! 大失敗だ!P.S.より大事なことこっちに書くなよ!」
箱をひっくり返しても、他に手がかりなし。絶望が胸を締め付ける。
「絶対、作ったやつこの展開予想してただろ! ムカつく! 使ってやるよ!」
イラつきながら電卓を叩く。
「2時間で10時間分……24時間で120時間か。そうすると1年待っても、5年分しか充電されないじゃん! 1年待って5年分だから未来に戻るには……8年4ヶ月!?」
絶望が重くのしかかる。50年前のこの世界で、8年以上も生きなきゃいけないなんて。非現実すぎる状況に、頭がクラクラする。父さん、これは何だ? 俺に何をさせたいんだ?