表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

教祖様、また寝言が聖典になってます。

作者: 八衛門

 雨上がりの夜、湿気を吸ったアスファルトがべったりと体温を奪っていく。星野晴ほしの・はる(23歳)はコンビニの脇でしゃがみこみ、冷えた焼きそばに箸を突っ込んでいた。

「……神になりてぇなあ……」

 それは、呟きだったのか、寝言だったのか。生きることに疲れ、夢と現の境界が曖昧になった彼のぼやきは、誰にも届かない夜空へと昇っていった。

 ゴロォォォォォォン……!!

 夜空を引き裂く雷鳴。自販機が一瞬虹色に光り、次の瞬間には意識が白く染まった。


 目覚めると、世界は変わっていた。

 頭上には逆さまに浮かぶ城。空気は鉄錆と香草、時折、獣の血の匂いがする。周囲では、妙な祈りの言葉と爆発音が交錯していた。

「……どこだ、ここ」

 石畳の広場、焦げた屋台。焼きパンが宙を舞い、彼の頭の上にぽとりと落ちた。

「……あっつ!? え、パン……? しかもあのパン、コンビニのやつに似てる……」

 混乱する彼の目の前で、一人の少女が膝をついた。

「……神……神が……パンを……!」

「え、俺!?」

 少女ミーナは震えながらノートを開き、震える手で記録を取り始める。

「『パンは、寛容の象徴なり』……神がそう仰せになった……!」

「ちょ、違うから! 俺、ただの通りすがりの寝落ちマンで……!」

「教祖様!!」

 周囲の人々がぞろぞろと集まり、晴の足元にひざまずいていく。混沌とした都市――ドレジールでは、新たな神の降臨こそが娯楽であり、商機であり、信仰だった。

 喧騒の中、毛むくじゃらの小動物が晴の肩をとんとんと叩いた。

「おい、お前。寝てただけで教祖になった気分はどうだ?」

「えっ、タヌキ!? しゃべった!? タヌキがしゃべった!!」

「タヌキ言うな。俺は神獣ドロック様だ。で、どうする、教祖さん?」

 こうして、神でも救世主でもないただの青年が――寝言ひとつで信仰の頂点に立たされる物語が、静かに、しかし確実に始まった。


 ドレジールに朝が来た。

 だが、青空はない。空は重たく曇り、広場の隅では焼け焦げた祭壇がまだ煙を上げている。香草、血、石油、金属、そして祈り。そんな匂いと音の混ざりあった、異様な朝。晴は粗末な天幕の中、藁布団の上で寝息を立てていた。

 その脇で、少女ミーナが正座している。手には一冊の分厚い手帳と、羽根ペン。彼女の表情は真剣そのものだった。

「……神様、今朝もお言葉を……」

 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえる。

「……うーん……あっちい……」

 ミーナの手が一気に動き出す。

「“灼熱の試練”……これは、教祖様が異教徒に与える熱の啓示……」

 傍らの焚き火で干し肉を炙っていたドロックが小さく笑った。

「朝からよくやるぜ、ったく。まあ、本人はただ暑いだけなんだろうがな」

「……プリン……」

「“甘美なる円環”! ああ……甘き救い……!」

 ミーナの声が震える。外では、数人の信者たちがその声を聞きつけて門前に集まり、うやうやしく膝をつく。こうしてまた一つ、寝言が都市に刻まれる。

 午前、街の広場にて。

 青いローブをまとった人々が列をなして行進していた。その中心には、先日晴が呟いた言葉が刻まれた幟が掲げられていた――『青い空って、いいよな』。それを目にした仕立て屋では、青布の価格が三倍に跳ね上がる騒ぎになっていた。

「アルマ様の啓示は、色彩までも支配なさる……!」

 そうつぶやくのは、信者の一人、ルナリエ。彼女の目は完全に陶酔していた。その様子を、遠巻きに見ていた一人の男がいた。年老いた神父、グラッツ。

「……あの男の寝言が、ここまで人々を動かすか」

 かつて旧神教の柱石だった男は、世の変転を目の当たりにしながらも、自らの信仰を試すように唇をかんだ。

「……だが、これは本当に神の導きなのか?」

 その夜。

 グラッツは静かに、晴の天幕の外で祈りを捧げていた。

「偽りであるならば、我が魂が見抜く……」

 その時。

「……カレーは……飲み物……」

 グラッツの目が見開かれた。

「飲み物か……いや、確かに、あれは……飲み物……」

 彼の中で、何かが崩れ、そして再構築される音がした。


 その朝、ドレジール中央市場にて。

 香辛料の匂いと焦げたパンの香りが風に乗って漂う中、広場では妙な賑わいが起きていた。

「寝言水晶、再入荷しました! こちら、神の寝言を封じた霊具でございますよ〜!」

 ブク=バズという小太りの商人が、荷車に山積みにした水晶玉を売り歩いていた。

「これは昨夜、教祖様が発した“神言”を記録した最新型です! しかも今回は──なんと二文節! ダブル寝言仕様ですぞ!」

 女性信者たちが歓声を上げ、水晶に群がる。再生魔法を起動すると、水晶からくぐもった声が聞こえた。

「……目玉焼きには、しょうゆ派……異議あり、マヨ派……」

「わああ……感情がこもってる……!」

「しょうゆは否定され、マヨが受容されている……すごい、これは包摂の象徴よ!」

 周囲では「マヨ派」と「しょうゆ派」が自然発生的に対立し、説法合戦が始まっていた。

「しょうゆは伝統! 神はそのうえで革新を選ばれたのです!」

「いや、否定されても我々は残る。それが真の信仰というものだ!」

 市場の一角はすでに教義論争の舞台と化していた。その様子を屋台の陰から見つめながら、晴は顔を覆っていた。

「なんで俺の寝言でこんな派閥抗争が……」

 ドロックが丸焼きの魚をくわえながら笑う。

「いいじゃねぇか。お前の寝言で経済が回って、宗教が動いて、命が救われる。これ以上の信仰の形はねえよ」

 ミーナは真顔でうなずいた。

「神様の寝言は、民の心を動かし、世界の仕組みを変える……尊いです」

「いや、変わっちゃまずいって。俺ただのしょうゆ派だし……」

 そのとき、青衣派の代表格ルナリエが壇上に立った。

「本日をもって、“寝息礼拝”を開始します!」

 市場が静まりかえる。

「神が寝息を発するたびに、それを感じて祈る──それが最も清き信仰であると私は信じています!」

「ちょ、待て、それもう信仰じゃなくて変態じゃん!?」

 晴の叫びは、また一つ新たな教義として書き記されることになった。

 『神は変態をも受け入れられる』──信仰の自由とは、果てしない。


 ドレジールの中心区──白塔城の玉座室。

 その主、パルセ王子は祭壇風の椅子に腰かけ、部下からの報告を聞いていた。

「青衣派だけでなく、“マヨ派”と“しょうゆ派”まで? 今や市場の半分が、教祖・晴の教義で動いていると?」

 報告官は汗だくでうなずいた。

「民は寝言を崇め、寝息を聞くために列を成しております。都市の八割が教団影響下にあります」

 パルセは目を細め、口元を拭った。

「神なき都市を保つために、このドレジールを治めてきた。だが──寝言でその牙城を崩されるとは」

 隣に立つのは密偵、シャヴィン。影のような身のこなしの女。

「命じてください。教団に潜入し、真の意図を見極めましょう」

「行け、シャヴィン。あの教祖を“見る”のだ」


 その日の午後、アルマ教団の天幕。

 晴は昼寝中。

「……焼き芋……しっとり派……」

 信者たちは静かにノートを取り、礼拝を行っていた。その中に、ひとりだけ異様に背筋の伸びた“新参信者”がいた。シャヴィンである。

 (これが……神の言葉? ただの……芋じゃない)

 夜、天幕の外。シャヴィンは焚き火越しにミーナと語り合っていた。

「なぜ、あなたは彼を信じる?」

 ミーナは微笑んだ。

「……信じる、なんて言葉は違うかもしれません。私は……彼の言葉で、笑えた。それがすべてです」

 その言葉が、シャヴィンの胸に静かに刺さった。


 その頃、パルセ王子の宮廷では、軍部が教団排除の作戦案を練っていた。

「全域封鎖し、寝所を焼き払う。信仰の象徴を滅ぼせば、信者は散る」

 だが、そこにシャヴィンの報告が届く。

「教祖、晴は危険なし。彼は“意図的に崇められていない”。ただ、そこにいるだけだ」

 王子はしばし沈黙し、手にした葡萄を潰した。

「ならば……信仰とは、果たしてどこから生まれるのだ?」


 夜が深まる。天幕の中、晴は深く眠っていた。その表情は、いつになく疲弊していた。連日の啓示騒ぎ、過剰な信仰と“寝言中継”による精神的疲弊。寝言が──止まっていた。

「……神が、沈黙を……?」

 ミーナは愕然とし、ノートを見つめた。それは、初めて空白で始まる一頁だった。


 都市中に衝撃が走る。

「寝言が……出ない!?」「神が……沈黙を守られた!」

 各派信者たちは混乱に陥った。ルナリエ率いる“寝息礼拝派”は、即座に声明を出す。

「神は沈黙の中で我らを試しておられる! だから、神の寝息を穢すな! 外出禁止だ!」

 その勢いに乗じて、ドレジール市街は戒厳状態に入った。

 “静寂令”と称して夜間移動は禁止され、寝息を感じ取るために全市民が天幕を中心に集まり、じっと耳を澄ませる。

 ドロックは呆れていた。

「おいおい……寝てるだけで都市が止まるって、マジか」

 ミーナは不安そうに寝顔を見つめる。

「……もう、無理をしていたんですね……神様」

 その夜、城の上階ではパルセ王子が最終決定を下そうとしていた。

「教団は内部から瓦解しつつある。沈黙は恐怖だ……今こそ、焼き払う」

 その言葉を耳にしたシャヴィンは、彼の前に立ち塞がった。

「やめてください。彼は、無垢です。……民が、信じる理由を、私は……見ました」

「寝言にか?」

「……はい」

 王子の目が細められる。

「お前が信じるというのか、密偵が」

「民にとって、彼の言葉は……救いでした」

 その瞬間、白塔の外から歓声が上がった。

  ──「……トイレ……」

 晴が、寝言を呟いた。

 群衆が一斉に膝をつき、泣き、笑い、叫んだ。

「神は、目覚められた!」

 そして新たに刻まれた一節は、こう記されることになる。

 『神、解放を望む──トイレのように』


 その翌朝、晴は目を覚ました。

 重たいまぶたを上げたその先に、ミーナの泣き腫らした瞳と、ドロックの気まずそうな横顔があった。

「……あれ? なんで……泣いてるんだ?」

 ミーナが声を震わせる。

「……おはようございます……神様……」

 寝言が戻った。それだけで都市は歓喜に包まれた。だが、晴の胸には言いようのない疲れが残っていた。


 その日、グラッツ神父は一冊のノートを持って、晴の元を訪れた。

「これは……あなたの“教義”です。あなたが無自覚に発した言葉が、ここまで人々を支えている」

 晴はノートを読みながら呆れたように笑う。

「なんだよこれ……“パスタはフォークより箸”……?」

「くだらない、とあなたは思うかもしれない。だが、人々はそこに温もりを見出している。嘘や飾りじゃない、日常の、息遣いの言葉だ」

 グラッツは跪いた。

「私は、これをもって認める。あなたの言葉は──人を救う」


 その後、シャヴィンが王子に報告を上げる。

「民の心は既にあなたに背いております。都市を救うには、教祖と共に歩む道を模索すべきです」

 パルセ王子は黙って空を仰ぎ、深いため息をついた。

「……信仰とは、こんなにも柔らかく、強いものなのか」

 その言葉が、都市の空気を変え始める。晴の中にも、静かな変化が芽生えていた。

「この世界で、俺の言葉が、誰かの明日を照らすなら──それって、ちょっと……悪くないかもな」

 自覚的に信仰を背負う、その第一歩が静かに刻まれた。


 ドレジールの空に、朝の光が差し込む。市場にはいつもの喧騒が戻り、人々は笑いながら「昨夜の寝言談義」に花を咲かせていた。晴は天幕の外に椅子を出し、湯気の立つハーブティーをすする。

「……“風呂はぬるめがいい”……ねぇ」

 ドロックが笑いながら横に座る。

「立派な教義だぜ。俺も熱いのは苦手だ」

 ミーナがノートを手に駆け寄ってくる。

「昨夜の寝言、七つでした! “ネギ抜きで”、っていうのが特に好評で──」

 晴は笑って手を振った。

「いいよもう、それ。……好きに、信じればいい」

 遠くで鐘の音が鳴る。白塔城では、パルセ王子が「対話の扉」を正式に開き、教団と都市政が手を取り合う体制が整った。

 王子は語る。

「我々は、神の声を聞く者と、神の声を記す者の同居を許す。信仰と無信仰が争わぬ都市を築こう」

 ドレジールは今、歴史の転換点に立っていた。その中心にいる男は──ただ、今日も寝言を呟くだけだった。

「……あと五分……」

 人々はそれを聞き、うなずき、またそれぞれの日常へと戻っていく。そして、また新たな一節が記される。

 『怠惰こそ、祝祭なり』

 そうして、“神の寝言”は、今日も変わらず、都市を支え続けるのだった。

■作者コメント

日常の何気ない言葉が、誰かにとっては救いになる──そんなテーマを、ギャグと信仰の皮をかぶせて描いてみました。肩肘張らずに笑って読んで、ふと自分の「寝言」も大事に思っていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ