飯を食いにきただけだったのに異世界転移に巻き込まれました。
私はある田舎の小学校の勤める教諭……ではなくて。ただの事務員。子供の休みの電話の取次だとか、書類の発送だとか、地味な仕事をして生きている。別に嫌だとは思ったことはない。児童の成長を観れるのは楽しいし、遊んで欲しいと懐いてくれる児童もいる。それなりに満足している人生だった。
そのはずだったんだ。
「どうか! どうか慈悲をくださりませんか! 娘をお救いください!」
こんなことに巻き込まれるだなんて。
残業後、私は大層腹を空かせていた。今日は減量のために弁当を少なめにして持っていったこともあり、やはり腹は空く。帰路につきながら夕飯はどうしようかと考える。どこか、定食でも食べたい気分だ。
そう言えば、帰り道に新しくできた飲食店があった。あそこに入ってみようか。そう決めてしまえば足は自ずと早くなり、多少いつもの時間よりも早くその店のある通りにやってきた。確かこの辺りに、と歩みを進めれば、あった。
大衆食堂、はるみ屋。営業時間は、と店の前にあったボードで確かめれば、もう少しでラストオーダーの時間だ。危なかった。とからからと引き戸を開ければ、いい香りが鼻をつく。
「いらっしゃいませ〜!」
「あ、すみません。まだラストオーダー大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ! おひとり様ですね? お好きなお席にどうぞ〜」
もう二十一時半ほどだ。店内も客足が落ち着いたのか、ひとグループ残すのみらしい。端の方の席に座りメニューを開く。和食中心の定食屋らしく、そうそうこういうの食べたかったんだよ。と腹の虫が暴れ出しそうだ。
こと、とお冷を置いた店員の女性に、注文はいいか。と聞く。
「はいどうぞ」
「この鯖の味噌煮定食と、唐揚げ単品でいただけますか。あと中ジョッキで生」
「はい。鯖の味噌煮定食に唐揚げ単品、中ジョッキ生ビールでよろしかったですね?」
「はい、大丈夫です」
「少々お待ちくださいませ〜」
空きっ腹にビールを流し込むのを想像し、うわ〜わくわくするなあ。なんて考える。定食よりも先にジョッキのビールが届き、ぐびぐびと流し込めば、仕事の疲れが吹っ飛びそうだった。まあ本当に吹っ飛んでくれるのならばそれがいいのだが、実際気持ちだけである。
スマホを弄りつつ待っていると、お待たせしました〜。と盆に乗った定食と唐揚げがやってきた。
「ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
ごゆっくりとは言うが、店内にはもう客は私一人だ。早く食べて片付けの邪魔にならないようにしなければ。といただきます。と手を合わせ食べ始める。
鯖の味噌煮、家で作ると骨の抜きそびれがあったり思ったような柔らかさにならなかったりだが、この鯖の味噌煮はほろほろして噛まずともとろける。唐揚げもがしゅ、と噛めば肉汁が溢れ出す。早く次を、と白米と共に食べ進めれば、あっという間に食べ終えてしまった。
「ふう……ご馳走様でした」
ビールを飲み終えると、スマホをポケットにしまい、荷物と伝票を持ってレジの方へと向かう。
「お会計お願いします」
「はーい」
女性がレジで注文品の入力をしようとしたその時、低い地鳴りが聞こえてきた。地震かと思ったが地震速報は鳴らない。が、次第に店がカタカタと揺れ始め、立っていられないほどのものになった。
「うわ、わ!」
「お姉さん! 机の下隠れて! ここはいいから!」
「は、はい!」
大きな揺れだ。急いで近くの椅子を退かして机の下に体を入れ込む。女性が調理場の方に向かって調理の方に何かを叫んでいたが、揺れが大きくてよく聞き取れない。
次第に揺れがおさまってゆくと、そろりと机の下から頭を出す。ところどころお冷用のコップが散乱していたり、お冷のピッチャーもぶちまけられている。調理場は大丈夫かと覗きに行くと、皿の破片などが散乱している。
「ああ、お姉さん。大丈夫!?」
「あ、自分は大丈夫です。お店の方は?」
「ガスの元栓とかは止められたんだけれど、皿がねえ。集めたばかりだって言うのに。停電はしていないみたいだけど……あ、お会計だけいい? 家の様子も早く観たいでしょ」
「はい、お願いします」
そう言ってレジに移動しようとすると、ガラ、と店の入り口の引き戸が開いた。顔を覗かせたのは、人間ではなかった。
ひゅ、とか細く喉が鳴る。向こうの見目は、人間の体に獣の顔が乗っている、所謂獣人というやつかと思い至ったが、獣、狼のように鋭い瞳が私を射抜いた。瞬間、目を見開いてこう言った。
「異界の方よ! どうか、どうか慈悲をくださりませんか! 娘をお救いください!」
「え、え、え?」
がっし、と私の手を抱いた大きな体躯の獣人は、そう言いながら涙を流していた。狼って泣くものなのだなあとぼんやりと思いつつ、店の店員さんが割って入って引き剥がしてくれた。
「ちょ、ちょっとちょっと! 何? あんた誰!? この店はフルフェイスのヘルメットとか、顔がわからないものは禁止だよ!」
「私の顔はこれですが、と、とにかく、何か食べ物をくださりませんか」
「腹減ってるのかい?」
「下賤なものが王になんたる物言いか!」
がしゃあ、と鎧を纏った獣人が現れ、あーなんかややこしいことになりそう。と思い店員の女性とのやり取りを見守ることとする。
「いい、リズリナ下がれ」
「ですが」
「ご婦人、異界の食材をくださりませぬか。娘が異食病と言う、異界のものを食わねば死に至る病にかかっているのです。どうか、どうか慈悲を」
「はあ、なんか、よくはわからないけれど、……バナナでもいいかい?」
「甘き果実ですな。それをください」
「ちょっと待っててねえ」
女性が引っ込むと入れ替わりで厨房に居たらしい男性が姿を現した。どうも、と会釈するとあちらも会釈したが、獣人を見ると目をかっぴらいて口を一文字にしていた。
「あの、この店の店主なのですが」
「おお、あなたが」
「裏口を見たら、その、森だったのですが、ここは一体?」
「ここは我ら獣人が住まう国、イーニリィ。失礼ながら、我らがあなた方を召喚させていただきました」
「はあ」
「はいバナナ」
「おお、ご婦人ありがとうございます。私は一度城へ戻ります故、この者たちから説明をどうかお聞きください」
バナナを受け取ると王とか呼ばれていた獣人は店の外へと去っていった。残されたのは、リズリナと呼ばれていた兜を被った獣人と、同じく鎧を着た、兜は外しているので顔は見える虎の獣人だった。
「我々の勝手に付き合わせていただき申し訳ありません。どうかお席へお座りください」
「……お会計ちょっと待ってね?」
「はい……」
騎士二人から説明を聞くこととなり、店主の方と女性の店員さん、私は倒れていた椅子を起こして三人揃って椅子に座る。
「私の名はハンバルと、こちらはリズリナ」
「店主の三好屋健介です」
「妻の三好屋はるみです」
「県エミ……です」
「まず、ここはあなた方のいらっしゃった世界ではございません」
「へぇ?」
私が間抜けな声を出すと、虎の獣人、ハンバルはごほんと咳払いをした。笑いを誤魔化したのかもしれない。
「我々はあなた方の言葉で言えば獣人と呼ばれる種族です。ここは異世界、別の世界なのです」
「そんな話信じられ……いやでも裏口森になってたしな……」
「そうして、この度王の御息女が異食病という病におかされていました。異界の食材を食べねば死に至る病なのです」
「今まではどうしていたの?」
「あなた方の世界の方にもこちらに通じている商人がいらっしゃったので、そちらの方から。しかしいつしか姿が見えなくなってしまい、異食病が広がるように」
「日々弱っていく王女のために今回異界から召喚の儀を賜った。お前たちは選ばれたのだ」
「ちょっと待ってください。それって、戻れるんですか?」
「残念ながら、戻ることは叶いません。店は」
「……店は?」
「こちらをお渡しいたします」
店主の男性は何か鍵のようなものを渡された。なんでもその鍵を使えば元の世界に帰ることは可能だそうが、店はこちらに固定されてしまったのだとか。
「あ、私、一応帰れるんですね?」
「ごめんねえ巻き込んじゃって」
「いえ、あなたは例外的に居合わせたので帰ることはできませんね」
「え」
な、なんだと? と立ちあがろうとしたが、いやちゃんと話を聞いてから殴ろうと止まった。
「こちらの店の方は召喚対象になっていましたが、あなた、アガタさんは店の存在と同じと固定されてしまい、帰ることは叶いません」
「ちょ、ちょっと待ってください。私にだって仕事とかあるんですけど」
「申し訳ない。諦めていただくほかなく」
嘘だろ〜! と頭を抱えた。ちょっと大丈夫? とはるみさんが肩に手を置いてくれたが、混乱していることには変わりはない。
「……ふざけないでください」
「……」
「勝手にそっちの都合で呼んでおいて、私だけ帰れないってなんなんですか! 警察……じゃなくて王に言いつけますよ」
「王も承知の上だ。ギャアギャア喚くんじゃない」
「んだとォ!」
がたん、と立ち上がってリズリナに向かってゆく。店主の止める声がしたが無視して兜を上に引っ張って取り去った。狼のような顔をした獣人。そうして恐らく声色からして女性。私は兜を放り投げて、ばちん、と頬を張った。頭に血が昇っていたのもあり、やっちまったと思うと同時に血の気が引いていった。
「はあ……はあ……」
「お、おお、やっちまいましたね」
「はあ!?」
「お前、お前……」
「いやー、俺も〜止めようかとは思ったんですが〜、あはははははは!」
「ちょっと! 笑ってないで説明なさいよ。県さんは落ち着いて、ね?」
「すみません、はるみさん……」
落ち着こうと思うのと同時に、頬を張った獣人が初めてだったのに、と呟いた。見ると頬に手を当ててふるふると震えているし、涙目になっている。そんなに痛かっただろうか。そうしてその疑問にハンバルが答えた。
「この国では左の頬を触ると言うのは、求婚の時だけしていいものなのです」
「え」
「お前……責任を取れ!」
「え、え」
「知らなかったでは済まされないことなのですよ」
「え、え、え」
「やっちゃったねえ県さん……」
そうして私は、リズリナに求婚をしたと言うことになり、住み込みでこの店で働くこととなり、……リズリナの婚約者となってしまったのだった。
私、ただ飯を食いにきただけだったのに……。
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