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私の幸福  作者: 本田ゆき
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幸せになった時

 私は専門学生になった。少し特殊な専門学校で、実は大学並みにお金がかかる事を後から知った。


 本来なら奨学金を借りれば良いだけの話だが、養父は稼ぎが良い為奨学金を借りれないとの事。


 私は資格の試験のプレッシャーや親との不仲から逃げるべくとあるゲームにハマった。その当時とても人気だったゲームである。そしてそのゲームを通じてSNSでとある男と知り合った。


 最初はゲームの話をお互いしているだけだったが、段々話が弾み、遠距離ではあるが付き合う様になっていった。


 ……いや、そんな綺麗な付き合い方じゃない。


 本当は私は死にたかったのだ。死ぬ理由が欲しかった。


 それと同時に、死ぬ前に今までした事ない事をしてみようと思った。

 今まで嫌悪していた恋愛をする事にしたのだ。


 そこでネットの素知らぬ男性と付き合い始めた。上手くいくはずがないと思った。

 上手くいかなければ、死ねば良いだけ。失うものは何も無かった。


 しかし男は私が思っていた以上にしっかりと恋愛をしようとしていた。


 私から見て、男は普通だった。

 私の憧れの「普通」だった。


 私は最初の頃こそ自分に彼氏が出来たというショックで吐いたりした事もあったが、段々自分を取り戻す事が出来た。


 専門学校を卒業した後、資格を取れたは良いものの養父からは学費を返せと言われる様になった。


 そんな中、私は資格を活かして就職した。

 だが、そこはブラック企業だった。


 残業代はなし。週休1日。朝の8時から夜の0時まで。その上それから上司との飲み会……。正直、すぐにでも辞めたかった。


 彼氏からは「仕事辞めて家に来たら?」と勧められた。

 是非ともそうしたいが、社長直々に仕事を辞めるのを止められる。


「ここで出来なかったらお前はどこに行っても出来ないぞ」

「これはお前の為をもって言ってるんだ」


 そんな事が1年半ほど続いたが、ようやく仕事を辞める事が出来た。


 貯金は残念ながら彼氏のところへ引っ越す時にほぼ使ってしまった。


 その為、しばらく彼氏の実家で居候として過ごす事となった。


 勿論、家賃代と言うほど高くはないが、毎月お金も入れていた。


 正直、この時の私には「普通」の家庭が分からなかった。


 いや、世の中の家庭は全て「普通」であり、そして全て「異常」かもしれない。


 家の中の事など、外から見て分かる訳がないのだ。自分のものさしで自分の価値観と比べて「普通」か「普通じゃない」と比べてるだけなのだから。


 まあ何が言いたいのかと言うと、自分の家が異常だと気付いた私には、他の家は「普通」に見えたのだ。


 彼の家も多少のいざこざはあったが、それは私の家に比べれば全然小さな物だと思っていた。

 感覚が鈍感になっていたのだ。

 だから自分の家とはまた違った異常さに気付けなかった。


 彼の家は見るからに普通そうだった。


 しかし、本来家主でもある彼の父親は家の別室で他の家族と一言も喋らずに過ごしていた。


 ……この時点で何かあるなと思ったが、他人の私が口出しする事ではないので特に私から聞く事はなかった。


 彼の母や祖母とは手探りながらも普通に話したり少しずつ親睦を深めていた。


 ある日、なんて事ない日常。


 たまたまテレビで痴漢の話が取り上げられた時、彼の兄が話した。


「痴漢される様な格好をしている女も女だ」と。


 その言葉に彼も彼の母も同意したので、私もモヤモヤとした気持ちを感じつつも同意した。


(どんな理由であれ痴漢した人が1番悪いんじゃないの?)


 それから更に痴漢冤罪で女は得してる。ハニートラップなんて卑怯などという会話も出て来た。


(痴漢冤罪する女は確かに悪いけど、それをまるで全部の女性に当てはめてるみたい。本当の被害に遭ってる人までそんな風に言われると思うと余計「痴漢に遭った」なんて言えなくなるんじゃない?)


 モヤモヤしたまま、私はなるべく適当に相槌をうちながら考え込まない様にした。


 育った環境の悪い私の考え方がきっと間違ってて、彼の一家が世間一般的に正しい。そう思ったのだ。


 彼の兄は根っからの昭和気質の様な人で、正直苦手だった。


 私はこれ以上世話になるのも良くないと思い早く彼の家を出ようとお金を貯める様頑張った。


 しかし、一緒にお金を貯めると言っていた彼は、実家の方が居心地が良いと全然お金を貯めていなかった。


 私がアパートを探している時も、彼も彼の母親も無理してお金使ってまで引っ越さなくても良いのにと言われた。


 その言葉は嬉しくもあったが、しかし他人の家に嫁でもないのにいつまでも厄介になるのも良くないと彼の家の近くのアパートを借りて住む事にした。


 因みに引越し代はほぼ全て私が出していた。


 彼は大学卒業後すぐ就職したがそこが合わずすぐに退職しており、前にいたバイト先に戻ってバイトしながら就活を繰り返していた。


 私は資格があるのですぐに正社員になれたが、彼はなかなか良い職場が見つからずその為給料も私より低かった。


 その為、アパートに私が引っ越した時彼も一緒に住む様になったのだが、彼はほぼ光熱費や家賃も払える時だけ払うというスタンスだった。


 彼は私と結婚したいとも言っており、お互い彼が安定した職に就けば結婚……と意識していた。


 ただ、彼には職以外でも問題があった。


 アパートを借りてすぐの頃、彼は出会い系を使って他の女の子と連絡を取っていたのだ。

 本人曰く、相手とは会っていない、女の友達を作りたかっただけだと。


 ただ、女友達を作りたいのなら何故付き合ってる事を隠して1人暮らしだと嘘をついたのか。


 彼は私が責めると謝ってくれた。ただ、本気で反省している様には見えなかった。


 本来、ここで別れてしまえば良かったのかもしれない。しかし恋愛経験の無い私は彼以外で私と付き合ってくれる男の人など居ないと思っていた。



 最初は結婚に興味なかった。私が幸せになれるなんて思っていなかったから。


 ただ、彼と付き合って、私も幸せな家庭を持つ事が出来るのでは? と思えてきたのだ。


 もし赤ちゃんを産めるのなら、私が貰えなかった愛情分全て我が子に注ごう。


 最悪な親の元に生まれて、最悪な家庭環境を過ごした私でも、幸せな家庭を築いて子供を育てられるかもしれない。


 そしたら、私自身が私の生きる意味を、幸せになれると証明出来る。


 それから彼は何度か浮気未遂の様なものを見ても、最終的に謝ってくれるし、彼と別れたところで戻るところのない私は結局最後には彼を許してしまった。


 その後、彼の職は4年、5年経っても中々見当たらなかった。


 そこで私は彼が元々夢見ていたとある公務員をもう一度目指したらどうかと勧めた。


 彼も迷いながらもその公務員を目指し、そして無事彼は公務員になれた。


 正直、公務員になればもっとしっかりとしてくれると思っていた。


 しかし、それでも浮気未遂が起こる。


 なので、結婚したら彼も変わってくれると信じた。


 しかし、結婚しても彼は変わらなかった。


 いや、正確には悪い方へと変わった。


 彼の家の考えを押し付けられる様になっていった。


 それなら、私が妊娠したら彼も良くなるのではと思った。


 結婚もしてるし、職も安定している。妊娠しても問題ないだろうと妊活に踏み切った。


 結果、1年もかからず子供を授かる事が出来た。


 とても幸せに感じた。


 しかし、それでも彼の女癖の悪さは治らなかった。


 私は心療内科へとかかった。妊娠中の彼の浮気未遂を告げると、先生からは簡単に「離婚したら? シングルマザーなら助成金も出るしお金に困らないよ」と言われた。


 妊娠前に離婚を勧める先生なんて、なんて人だと思いそこの病院にはそれきり行かなかった。


 ただ、今思えば先生の言葉は正論だったと思う。


 それから問題なく私は出産し、小柄だが無事元気な子供を産む事が出来た。


 この瞬間が、私にとって人生で1番幸せな時だったと思う。決して色褪せないだろう。


 それから慣れない育児だが、息子はおっぱいもミルクも良く飲み、うんちも毎日快便で何の問題もなくすくすくと育っていった。


 育児に大分慣れた5ヶ月目。


 私の誕生日の1週間、わざわざ我が家に彼の母親が遊びに来ていた。


 私が妊娠中も彼の母や彼の兄が遊びに来ていたのだが、正直こちらは自分の家でゆっくり休みたいのに気を遣わなければならず憂鬱だった。


 しかし彼の一家は好意で我が家に来ている。


 しかも、彼が定職に就いて彼の実家からは飛行機の距離になったにも関わらずやってくるのだ。


 そして子供が産まれた後も、私の誕生日にまで遊びに来られるのは正直迷惑だった。


 勿論口ではそんな事言いはしないが。


 そんな時、事件が起きた。


 夫が同僚と話してくると、私と彼の母親と子供を残して別室で長話を始めた。


 同僚が上司の愚痴をずっと話していたらしい。


 おかしいとすぐに感じとった。


 数日前から同僚と話す様になったが、男の同僚と毎日そんなに長話をするものなのだろうか?


 私はたまらず彼の携帯を見た。


 黒だった。それはもう真っ黒だった。


 わざわざLINEの名前を同僚の名前に変えてまで、別の女と付き合っていたのだ。


 夜中彼に問いただした。そして離婚してくれと頼んだ。


 彼は拒んだ。彼の母親は何事かとやって来たので事情を話す。


 彼の母親も最初は彼を怒った。怒ったというよりは「何でそんな馬鹿な事したの?」みたいな感じだった。


 そこからは地獄だった。


 翌日、私は悲しみのあまり泣いていた。


 すると、彼の母親に「母親がいつまでメソメソ泣いてるんだ」と言われたのだ。


 耳を疑った。こっちは子育てしてる最中、彼は他の女と付き合っていたのだ。それを怒ったり悲しむのは普通の事ではないのか?


 母親になったら、自分の感情に嘘をついて笑っていなきゃいけないのか?


 私は、大人になってから少しずつ連絡を取る様になっていた実の父に頼る事にした。


 子供を連れて私は実の父の家へと逃げた。


 夫や夫の母親といるのが耐えられなかったからである。


 しかし、タイミングが悪かった。


 子供を4月から保育園に預けて私は早々に職場復帰する予定だった。


 その保育園の入園式まで、1週間となかったのだ。


 彼は彼で私が地元に帰った事に母親と共に激怒していた。


 反省ではなく、怒っていた。


 この場で逃げるとはどういう事かと。

 家に帰るという事は離婚する気なのかと。


 私はあくまでも彼が反省してくれたらと思い地元へ帰ったのに、火に油を注いでしまった様だった。


 彼が反省するまで帰りたくなかった。


 しかし、入園式がある。職場にも復帰したい。


 結局彼が反省する前に帰らなくてはいけなかった。


 帰って来てからもずっと地獄だった。


 事を大きくした私が悪いと責められた。


 耐えきれず、私は夜中家を飛び出して自殺未遂を図った。


 死にたかった。もうどうにもならなかった。


 何度か警察へも駆け込んだ。誰でも良いから助けて欲しかった。


 しかし、警察が出した答えは、「未成年の子の前で夫婦喧嘩を見せるのは子供の精神虐待に繋がる」と、児童相談所に通報され、子供は児相に連れられてしまったのだ。


 その事で私が警察へ行ったせいで子供が児相へ連れて行かれたと更に彼に責められ、彼の親や兄にまで罵倒された。


 それでも子供は取り返したい。なので私は心を殺して彼と今後上手くやっていく様努力する、と何とか本音を押し殺して懇願した。


 彼の兄や母まで児相に来て一緒に頼んだ。


 そして子供は無事帰ってきた。


 その事に彼と彼の家からはうちのおかげだと言われた。


 彼からはお前はうちに恩があるだろ、と言われた。


 元々は彼の浮気から始まったのに。


 何故か私がどんどん悪者へとされていった。


 そこで私は我慢ならず、子供を連れて家を飛び出した。


 また警察を呼ばれてしまったが、警察からは「子供と母親で逃げた方がいい。夫と居るのは良くない」と言われ私は子供を連れて再び実の父親の元へと頼った。


 それからまもなく、彼からは離婚調停を申し立てられた。


 私はまだ離婚をどうするか考えていた。彼のことははっきりと言えばもう好きではないが、このままただ離婚して果たして彼は苦しんでくれるのか?


 私と離婚出来ない方が他の人と付き合えない分長く苦しむのでは?


 そんな事をグルグル考えていたが、父は「離婚しろ。こんな奴変わらない」と。


 因みに彼は私が一度子供を連れて帰った時、私の父にまで逆ギレしたせいで私の父はかなり彼の事を嫌っていた。


 私はそれまで実の父とあまり接点がなかったが、頼っていくうちに父は私にどんどん自論を押し付ける様になってきた。


「これはこうしなさい」「これはこうじゃなきゃ駄目だ」


 子供もまだ小さく更に離婚調停まで申し立てられて苦しい中、私は父にまでどんどん精神的に追い詰められていった。


 そしてお金の話が出て来た。


 父はお金のやりくりがどれだけ大切かを伝えたかったのだろう。


 ただ、私と子供が来てから赤字になっている。このままでは生活出来ないと言われてしまった。


 私は昔養父から「金食い虫」と言われた事がある。良く食べる方だった私は、その言葉を聞いて拒食症になった。


 一種のトラウマレベルの話だった。


 父親に、私と子供の存在が迷惑をかけてしまっている。


 私はこれ以上父親に頼ってはいけないと子供と共に家を出た。


 向かったのは、母方の祖母の家。私が家族関係に苦しんでいた時に助けてもらった事がある。


 しかし、祖母は認知症になっていた。


 子育てと認知症の介護を同時でやっていた私は、正直気が狂いそうだった。というか、途中から狂っていた。


 夜子供を寝かしつけると、認知症の祖母が起き出してその声で子供が目を覚まし、祖母に今は夜だから寝てくれと促して子供を寝かしつける……正直夜に寝た記憶はあまりない。


 そんな中、子供の初めての1歳の誕生日が訪れようとしていた。

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― 新着の感想 ―
どうしても、実録としか思えず、たとえフィクションだとしても、その場にいた者しか知らない事実があります。私としては涙なしで読むことはできませんでした。本当にがんばってね。
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