表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

論理的欠陥の内在している努力と成長の教え…そして、無。

作者: 仁

今月から時給がこの地域の最低賃金まで上がったらしいという話を持病が有ったりしながら一人で暮らしてる同僚のお爺さんとしてから、ドラッグストアで買い物をすると、WAONポイントカードはありますか?と聞かれる。WAONの電子マネーで支払おうとしていたから「あります」というと、「いえそれではないんです。このクレジット機能付きのタイプの様な…」と説明を受ける。そういえばそのチェーンではやたらに新しいカードを作らせようとしていて、うちの両親なんかは「得だと言われたから作った」と言っていたっけ。WAONは電子マネーのみのものであってもポイントは付くので、該当するかどうかの説明は必然的に煩雑になり、レジの人の手間が増える。そういう下らないが彼ら(或いは彼らを象徴する企業)の利益の増大には役立つらしい施策を考えた連中は、少なくともレジの人達よりは高給取りだ。上層部のアイデアに因る変更を持続的に味わい続けるのが末端の接客をしている人々で、彼らは(それこそ倫理的に許され得る限りの)低賃金の上に、仕組みの解りにくさから来る客の苛立ちも受ける。


こういった事が何故許されているのか?と、考えるとそこには教育まで関わってきて、我々は低賃金を拒む為の努力をしなかった為、と自分自身に言い聞かせるのが敬虔な(何に対して?世間様に対して)姿勢なのだと自分に言い聞かせながら暮らす。のが真っ当だとされている。今までされてきた。


時給を最低賃金まで上げてもらえる、などという話も、嬉しいなどと素直に喜びを感じられる人がどの程度いるのだろうか。賃金の上で「社会最低」と称される労働者達は、上記の様な絶望を自覚は多かれ少なかれ持って暮らす。今は暮らせて行けるからそれでいいと。

小規模の一次産業従事者は雇用主と言えど、燃料や諸経費が上がる中で人件費も上げねばならぬという事で、この資本主義経済社会の中の大いなる「無限の成長の夢」を一次諦め、今まで考える必要がないとされていた「公共の福祉の為には個人の利益が制限される」という労働の公益的側面を不意打ちの様に思い知らされる。

その日の生産する物質的量の決まっている産業において時給で働くという事は、本当の話をすれば、例え事業に非協力的であっても拘束時間を長くする事が、己の賃金の増大に繋がってしまう。この側面は自然の制約の強い一次産業では顕著ではあるだろうが、本質的には、人が時給で働く事一般に通底した難点である話だと思う。雇い主に対して被雇用者は、サボるという事がいつでも、合法的に利益を簒奪する有力な方法ではある。雇用主に自由に解雇する権利が在するのであれば抑制できるだろうが、人手不足はこれを不全にする。まして現在、地方の労働力不足は、業種問わず深刻化してきている。

しかし実際に自分が経験している労働では、幸運にもその関係性と環境とが良好である故に、問題なく時間に対して効率的な労働が行われている。改めて考えてみても幸運以外の何物でもない。行政、国家の政治的能力が絶望的であっても、単なる幸運によって幸福な労働をしている人は、幾らかは居るものなのであろう。

収穫した野菜の梱包作業の際には、老齢の同僚に対して「疲れませんか?休む時間が欲しかったら僕が量りを邪魔しますよ?」などどその場のスピードを左右するサイズ分け作業を行う事業主を当て擦る冗談を言ったりして、お互いに笑い合ったりさえする。だから尚の事、この場における親愛の情に反した雇用・披雇用の賃金的に対立的である関係や、賃金を努力の産物であると詐称し一方が富む為にはどこかで大なり小なり犠牲が生まれる筈である事、その上でこの資本主義経済社会の中で成長の夢に邁進し続けられるだろうという未だにこびりついているビジョンの貧困や、また労働の現状を知らないものが労働者の命運と境遇を非人間的左右してきた歴史やら…等々、あらゆる雑多な歪みに思いを馳せずにいられない。


初めの方で触れたドラッグストアでは、実は「トリュフ味のカップラーメン」の処分品を買っていた。発売当初の値段は五百円を超える、馬鹿げた高価さの商品だったが、予想通り150円と半額以下にまで値下がりしたので、話の種にと購入してみたのだった。これば別のディスカウントストアでも同程度の値段で売られているのを後で知る。

カップラーメンを食うものが、トリュフ味に魅力を感じるだろうか?しかも五百円。五百円でトリュフ味を味わえるなら安い、と思うトリュフの味を知っているものが、カップラーメンなぞに期待し、視線を向けるのだろうか?

結果、三分の一以下で投げ売りされている。考案者は高給取りだろうが、値札のシールを貼り直す末端の労働者程の、確かな労働をしていると言えるものだろうか?

この馬鹿みたいな商品の企画者連中は、「トリュフなんか食った事も食う機会も無い連中に、トリュフを味合わせてやろうじゃないか。何、紛い物でも構うものか、トリュフなんぞ知らぬのだから」と、貴族的な根性から発想したのではないか?そんな妄想染みたヘイトも涌いてくる。

とは言え、値下がりすれば購入するという自分の側には、その妄想の中の貴族根性と鏡合わせのプロレタリアート的下劣さ、ルサンチマンが宿っている、と白状せざるを得ないが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ