最終試験(2)
「なあ師匠、本当に魔物はいるんだよな?」
珠洲は自身の周囲を浮遊している小さな土色の兎に話しかける。
『いるわ。もっとよく探して』
兎から、熊野の声が聞こえる。
「アヴニール」の隊員は皆、改変能力と呼ばれる、この世の万物の性質を書き換える力を持っている。
珠洲の目の前にいるこの兎もその一つだ。
「失った何か」
熊野が持つこの改変能力は自身が触れた泥を意のままの形に変化させ、自身の操り人形とすることができる。
一見便利な能力に思えるが、人形には視覚を始めとした五感が存在しない為、熊野の周囲から離れてしまうと、周囲の状況が把握できず操作が困難になってしまうという弱点も抱えている。
その為、今回のように遠距離の操作を行う場合には、人形のボディに状況把握用の小型カメラや通信機を埋め込む事で対応している。
珠洲が廃校に入って、既に二時間が経過していた。
その間、彼女は校内の隅から隅まで、それこそ草の根を分ける様に探した。
しかし、件の魔物の姿はいっこうに見つからない。
・・・・・・ただ、時間だけが過ぎていた。
(こんな所で無駄足踏んでる暇は無いってのに・・・・・・)
少しずつ、珠洲の胸中で焦燥感が募ってきていた。
珠洲に残された時間はあと一時間、決してのんびりとはしていられない。
「もう校内からは逃げちまったんじゃないか?」
『あり得ないわ、廃校の周囲は私の泥人形が完全に包囲している。外に出る事は不可能よ』
「だとしても、これだけ探して見つからないなんて事があるのか?」
『・・・・・・たしかに妙―』
突如、珠洲の背後から、彼女の頭程もある大きな瓦礫が飛んできた。
それは珠洲の右頬を掠め、まっすぐに泥兎を粉砕した。
頬にできた傷から、血液がじわりと滲み出る。
(―マジかよ)
珠洲はすぐさま振り返り、襲撃者の方を見据える。
全体のシルエットは直径1メートル程の卵のようであり、重力に逆らいまるで風船のようにふわふわとその場に浮遊している。
球体の中央部には大きな眼球が一つ、側面からは人のそれに似た腕が二本生えている。
この世の理から逸脱した異様な姿。
だがそれ以上に、珠洲は全身に悪寒が走る感覚を覚えていた。
例えるなら、身体の内と外を無数の虫が絶えず這い回るような気味の悪い感覚。
間違いなく、目の前の怪物は珠洲の手に負える相手ではなかった。
見習いである珠洲でも理解できる程の力の差。
しかし彼女の辞書に「撤退」の二文字は存在しない。
ここで引いてしまえば、彼女が彼女でなくなってしまう。
「この程度に負けるようじゃ、アイツは殺せないよな」
己に言い聞かせ、全身に巣食う悪寒を振り払う。
(―改変能力発動)
彼女の改変能力は自身の身体に干渉し、身体能力を向上させることができる。
全身に、力が満ちる。
稀人までの距離は5メートル弱。
珠洲は勢いよく床を蹴り、異形の怪物目掛けて突進する。