心霊写真図書館
(これが心霊写真図書館か……)
緑のツタに覆われた二階建ての建物を真人は見上げた。
敷地内にはイチョウの木が植えられ、閑静な住宅街に溶け込むように、図書館はひっそりと佇んでいた。
仰々しい両開きの玄関扉を開け、少年は恐る恐る施設に足を踏み入れる。館内には人の姿がなく、空気はひんやりとしていた。
正面のカウンターに眼鏡を掛けた若い女性が座り、パソコンで作業をしていた。
(週末なのに誰もいないなんて……あんまり人気がないのかな……)
てっきりオカルトファンでにぎわっていると思っていたので拍子抜けだった。
入り口近くのロッカーにデイパックをしまい、ノートと筆記具を手に書架のあるエリアに入る。壁に掛かった白いプレートの館内案内図を見る。
(図書と写真でコーナーが分けられているのか……)
真人は迷わず写真資料がある場所へ向かった。
書架には分厚いファイルが敷き詰めるように並べてあった。そのうちの一冊を真人は手にとり、閲覧用の机に持っていく。
椅子に座り、ファイルを開いた。
黒装束の中年女性の背後に白い男性の影が映り、女性の肩に手を置いていた。
(これは世界初の心霊写真と言われる、ウィリアム・マムラーの心霊写真……)
写真に写る霊体は暗殺されたアメリカ合衆国の初代大統領リンカーン。1865年頃、未亡人がボストンのマムラーのスタジオを訪れ、撮られたと言われている。
(でもこれ、捏造だったんだよね……)
昔の心霊写真と言われるものの多くは、現像時の液ムラ、露光速度の不正、二重露出……などによって生み出されたものである。
偽物であっても、マムラーは心霊写真の歴史を語る上では外せない人物なので、あえて展示しているのだろう。
他にも日本初の心霊写真と言われる、西南戦争の翌年、明治十一年に熊本鎮台の兵卒が撮った写真もあった。亡くなった兵士の霊らしきものが写っている。
魅入られたように少年はファイルをめくる。
(すごい……僕も見たことがない写真がいっぱいある……)
真人はオカルトマニアだった。県下一の進学校に在籍し、さして勉強もせず成績は常にトップクラス。だが、子供の頃から彼の興味の対象は、科学では解明できない謎や超常現象だった。
(これは……)
オフィスのような場所で会社の同僚らしい五人の男女が撮った写真だった。後列の若い男性の顔に〝白いモヤ〟がかかっていた。
写真の横にある解説文に目を通す。
『顔にモヤのかかった男性は、撮影の一週間後、社内の同僚女性を殺害した容疑で逮捕された。一方的に好意を寄せる女性が、別の男性と付き合いはじめたことに激高して犯行に及んだと後に自供している』
男の顔を覆う白いモヤを真人は見つめた。
(これがホワイトフォッグか……)
白いモヤは心霊写真用語でホワイトフォグ(white fog)と呼ばれ、霊が何かを伝えようとしているサインと言われている。
(殺された女性が、この男が犯人だと教えようとしたんだ……)
実際、警察の鑑識課員はこのような写真をよく目にするという(証拠能力はないため、スルーするしかないのだが)。
(……ここは宝の山だ……)
少年は時間も忘れ、資料を見続けた。やがて背のラベルに「取扱厳重注意」と貼られた黒いファイルを閲覧机に持っていく。
期待に目を輝かせ、ファイルをめくる。
(え?……)
写真がアクリルの透明なケースに挟まれ、くり抜かれたウレタンにはめ込まれていた。
セピア色のかなり古い写真だった。10人ぐらいの男女が集合写真のように写っていて、背後には木造の校舎のような建物が見えた。
なぜかこの写真にだけ「解説」が付いていない。「当館所蔵の写真の中でもっとも危険な写真のため、取扱には厳重な注意をお願いします」と記されていた。
(写真が〝危険〟って、どういう意味なんだろう?……)
奇妙なのは、どれだけ注意深く見ても、〝霊〟らしきものが写っていないことだった。間違い探しのような気持ちで注意深く見たが、やっぱりわからない。
(どこに霊がいるんだろう? それとも写っている人たちの誰かが霊体なのかな? でも、それならちゃんと解説してくれないと……)
これだけはっきり普通の人間として写っていたら、心霊写真と言われてもわからない。
(でも、この人たち何の集まりなんだろう?……)
大人もいれば子供もいる。性別、年齢、服装もバラバラで、写っている人たちの共通点が見えない。あえて言えば、みな奇妙に表情がなかった。
カウンターの方をちらっと見た。司書の女性は相変わらず黙々と作業をしていた。真人はファイルを手に持ち、カウンターに行った。
「あのう……」
声を掛けると、女性がディスプレイから顔を向けた。
背中まで届く長い黒髪、透きとおるような肌、冴え冴えとした眼差し……黒縁の眼鏡が女性の理知的な顔立ちを際立たせていた。
「この写真なんですけど……」
やや気後れしながら真人はファイルを開き、例の集合写真を見せた。
「貸し出しをご希望ですか?」
女性が訊ねた。胸に「青野」という白いネームプレートがついていた。
「あ、貸し出しができるんですか?」
「はい、お一人様一枚限りですが……期限は二週間で延長はできません」
貴重な写真ばかりなので、てっきり館内閲覧のみだと思い込んでいた。
「じゃあ、この写真の貸し出しをお願いします」
家でじっくりと見てみよう。どこかに霊が写っているはずだ。
「お客様は当館は初めてのご利用でしょうか? 会員証を作りますので、学生証など、身分を証明できるものをお願いします」
真人が学生証をテーブルに置くと、女性が「お預かりします」と言ってコピーをとった。やがて新しい会員証を渡され、貸し出しの手続きに移った。
「あの……貸し出し料っておいくらでしょうか?」
すっかり失念していた。貴重な写真が多いので、一枚五千円ぐらいとられるかもしれない。高校生の財布にはきつい。
「利用料はいりません」
「え? そうなんですか?」
「当館を設立したオーナーは、学術的にも貴重な心霊写真を保存し、学生の方や研究者の方に資料としてご活用していただくため、当館を運営されていますので……」
驚いたが、タダで借りられるならとても助かる。
司書の女性が顔にマスクをし、白い手袋をはめた。ファイルから透明なアクリルケースに挟まれた写真を慎重に取り出す。
(えらく仰々しいな……)
カウンターに透明なアクリルのケースに挟まれた写真が置かれた。
「このケースの外には写真を出さないようにしてください。非常な貴重な資料ですので、取り扱いにはくれぐれもご注意ください」
「わかりました」
「返還の期限は二週間後で、延滞はできません。日にちをお間違えないようお願いいたします」
真人は写真を受け取ると、図書館を後にした。
◇
(やっぱり霊なんてどこにも写ってないよなぁ……)
学校の昼休み、真人はアクリルのケースに収められた写真を教科書の間に挟み、周囲に気づかれないように見ていた。
(それとも〝視える〟人が見たら〝視える〟のかなぁ……)
大のオカルト好きであったが、哀しいかな、真人は霊感がまったくなかった。子供の頃から幽霊のたぐいを見たことがない。
「なーに、思いつめた顔をしてるの?」
そばに制服姿の女子が立っていた。ポニーテールの髪型が童顔を包み、目がいたずらっぽく笑っている。クラスメイトの森山杏奈だった。
「別に」
真人はさっと教科書を閉じて写真を隠した。
「あー、怪しい。スマホでエッチな画像でも見てたんじゃないの?」
「そんなんじゃないよ」
森山杏奈とは小学校でクラスメイトだった。他の女子よりも軽口を叩ける関係で、何かといえば、杏奈はからかい半分に真人に絡んでくる。
「相変わらずオカルト好き? でも早川って霊感ゼロなんでしょ」
「いいだろ。霊感がゼロの人間がオカルト好きでも……」
自分には見えないものだからこそ知りたくなる。真人は県下有数の進学校でトップクラスの成績をとる秀才だったが、心霊や超常現象以上にワクワクするものはない。
「死後の世界とか信じてるんでしょ? じゃあ、私がもし死ぬようなことがあったら、ちゃんとメッセージを受け取ってね」
「死ぬって……縁起でもないことを言うなよ」
真人はあきれたように言ったが、杏奈は仲良しの女子グループに呼ばれ、さっさと行ってしまった。
(これだから女子ってやつは……)
真人は苦笑した。邪魔者が消えたので、再び教科書を開き、図書館から借りてきた写真に目を落とした。
それが本当に森山彩奈と交わした最後の会話になるとは、そのときの真人は思いもしなかった。
◇
翌朝、登校すると校舎のそばにパトカーや救急車が停まっていた。正面玄関の前に生徒の人だかりができていた。
「何かあったの?」
真人はそばにいた顔見知りの男子生徒に訊ねた。
「2組の森山が校舎の屋上から飛び降りたって――」
潜めた声で言われ、少年の顔に動揺が走る。
「え?……」
「朝、用務員の人が見つけたらしい」
刑事らしき男性が、作業着姿の用務員さんに事情を訊いていた。
そばのコンクリートの地面には白いチョークで人型の模様が描かれていた。あそこに森山杏奈が倒れていたのだろうか。
(昨日あんなに明るく話していた森山が自殺?……)
校舎に入れ、と教師に促され、生徒たちがぞろぞろと建物の正面玄関に入っていく。真人はスマホをポケットから出すと、森山の亡くなった現場を撮った。
朝のホームルームでは、担任の柴田が教壇から難しい顔で告げた。
「森山のことは警察が捜査中で、詳しいことはまだわかっていない。ただ、みんなも悩み事があったら、先生ではなく友達でもいいので、一人で抱え込まずに相談してほしい」
真人の表情が重苦しく沈む。
(森山も明るく見えて、何か悩みがあったのかな……僕じゃ相談相手にならなかっただろうけど……)
若い男性教師が出て行くと、真人はスマホを出し、さっき校舎の前で撮った写真を見た。
(?…………)
警察官の隣にグレーの作業服を着た用務員が立っていた。男の顔に白いモヤがかかっていた。
(これはホワイトフォッグ? なわけないよな……)
霊感がゼロに加えて心霊現象とも無縁だった。夏休みにわざわざ有名な心霊スポットを訪ね、何百枚も撮ったが、霊はまったく写っていなかった。
特に考えもなくシャッターを切ったので、意外な現象に真人は戸惑った。逆光や露光不足かとは思ったが、見れば見るほどホワイトフォッグに似ている。
(でも、なんで用務員さんの顔に?)
ホワイトフォッグは死者からの伝言と言われる。
(死んだ森山が僕に何かを伝えようとしている? まさか――)
自殺ではなかった? 森山は殺された? そして犯人はこの用務員だというのだろうか。
登下校をする生徒をマスコミが取材などしたこともあり、しばらく学校には重苦しい空気があった。
どうも森山杏奈は妊娠していたらしいという噂が入ってきた。それが事実なら、少女の死にかかわりがあると考えるのが自然だ。
(相手はまさかあいつ?……)
用務員の井筒智之は42歳。校長の遠縁で、コネで雇われているらしい。脚立を担いで校内をウロウロする猫背の男は真人も以前から知っていた。
(でも、森山があのおっさんと付き合っていたなんて……ないと思うけどな)
とは思ったが、井筒の顔にかかったホワイトフォッグが気になり、真人は用務員を調べることにした。
仕事を終え、帰宅する井筒の後を尾行して自宅アパートを突き止めた。週末は張り込んで井筒のプライベートの行動を調べた。
(別に怪しいところはない……パチンコ好きのただのおっさんだ)
結局、一週間で〝捜査〟は中止した。高校生が探偵気取りのことをやっても、できることなどたかがしれている。
ところがその数日後、驚くべきニュースが飛び込んできた。用務員の井筒が自宅アパートで首を吊って自殺をしたのだ。
遺書が残っていて、生徒の森山杏奈と付き合っていたこと。17歳の少女を妊娠させてしまい、発覚して仕事を失うことを恐れて屋上から突き落としたと綴られていたらしい。
(やっぱり井筒が犯人だったのか……あの顔の白いモヤは、死んだ森山からのメッセージだったんだ……)
森山を救えなかったことは残念だったが、彼女の無念は晴らされたのではないか。
何よりホワイトフォッグを実際に目にして、真人は超常現象の存在を今まで以上に確信するようになった。
◇
昼休み、真人は教室で本を読んでいた。近くの席に女子たちが集まり、スマホで撮った画像にエフェクトをかけて遊んでいた。
女子の一人がスマホを見ながらつぶやいた。
「この写真、消せないんだよね……最後に杏奈と撮ったやつだから……」
別の女子が画像を覗き込む。
「でもそれブレブレじゃん。顔に変なモヤみたいのがかかってるし……もっといい写真を残してあげたら?」
やりとりを耳にした真人が本から顔を上げた。今なんと言った?
「あの……ちょっと写真を見せてもらえないかな?」
普段は物静かな優等生に声をかけられ、女子たちが戸惑った顔になる。
「いいけど……」
持ち主の女子からスマホを渡され、真人は画像を見る。
ファーストフード店で女子たちで撮った写真だった。スマホを手にした森山杏奈の顔には白いモヤがかかっていた。
(ホワイトフォッグだ……でもなんで森山の顔に?……)
用務員の井筒の顔にモヤがかかっていたのは、彼が森山を殺害した犯人だったからだ。だが犯人でもない被害者の少女の顔になぜ白いモヤが?
真人は眉間を寄せ、画像を見つめた。
(僕に霊感はない……そこから考えるんじゃなくて、自分の得意な方向から考えるんだ……事実だけをつなぎ合わせろ……)
視線が森山が手に持つスマホでとまった。指でピンチアウトして画像を拡大すると、ストラップの先に小さなイルカのフィギュアがぶら下がっていた。
◇
放課後、夕陽で茜色に染まる校庭では、部活を終えたサッカー部員が用具の片付けをしていた。
真人は教室に一人で残り、文庫本を読んでいた。前方の戸がガラッと開く音がした。
少年が本から顔を上げ、近づいてくる担任の柴田を見つめる。
「おまえか――これを俺の机に置いたのは?」
教師が手にした黄色い紙片には「先生と森山杏奈の関係を知っています。18時に教室で待っています」と書かれていた。
「森山が付き合っていた相手は先生なんですね?」
真人は自分のスマホを見せた。女子たちからもらった森山杏奈が最後に撮った写真だ。少女が手にしたスマホにはイルカのストラップがぶら下がっている。
「イルカ好きの森山は、いつもイルカのグッズを身につけていました。先生が今しているネクタイ、柄がイルカですよね?」
柴田が自身の胸元に目を落とす。青地のネクタイに小さな水色のイルカの絵がちりばめられていた。
「女子は付き合っている相手を誰かに言いたがる。SNSで〝匂わせ〟をやるのも女子の方が多い」
「これはたまたま――」
柴田の言葉をを遮るように真人が続ける。
「先生は2組で数学の授業があるとき、いつもそのネクタイをしてましたよね? 森山から着けて欲しいって言われたんじゃないですか?」
若い男性教師がじっと少年を見返す。
「彼女が死んだのにまだそのネクタイを身に着けているのは罪滅ぼしですか? それとも急にしなくなったら怪しまれると思ったから?」
やれやれ、という感じで柴田が真人の隣の椅子に腰を落とした。
「……彼女は俺に好意を抱いていた。このネクタイは誕生日にプレゼントされた。だが、それだけだ。別に付き合っていたわけじゃない」
「なんで森山は先生の誕生日を知っていたんですか? それに好意もないのにプレゼントを身に着けたら相手は誤解するんじゃないんですか?」
「俺の誕生日を知ってたのは森山だけじゃない。ネクタイを着けたのは彼女を傷つけたくなかったからだ」
教師は言葉を慎重に選びながらしゃべっていた。真人は頭がキレる優等生だ。警戒しているのだろう。
「ご存知かと思いますが、僕と森山は小学校からの友達です。実は彼女から相談を受けていました。先生と付き合っていて妊娠したと……先生とやり取りしたLINEのスクショも見せてもらいました」
嘘だった。こんなハッタリに乗るとは思わなかったが、物証がない以上、自分と森山が小学校からの幼なじみという過去にすがるしかない。
「好きにしろ」
柴田はあきれたように言い、椅子から立ち上がった。
真人は落胆した。やっぱりこんな手にのるほど大人は馬鹿ではない。別の方法を考えなくては――
そう思ったとき、柴田が足を止め、振り返りざま、裏拳で真人の顔を殴り、少年は椅子から崩れ落ちた。
◇
真人のまぶたが持ち上がった。そこは校舎の屋上だった。空はもう真っ暗だった。
後ろ手に縛られていた。足首にも縄が食い込んでいる。油断をした。まさか学校の中で襲われるとは思わなかった。
「よけいな手間を掛けさせやがって」
柴田の声がした。屋上の柵のそばに真人の靴を並べている。
「……僕を殺すつもりですか?」
「しないよ。おまえは自殺するんだから」
「なぜ僕が自殺をするんですか?」
「おまえの死体が発見されるのは、明日の朝だ。それまでにゆっくり考えるさ。幼なじみが死んだのを苦にして……だめか」
「無理がありますよ」
「だよな。まあいい」
靴を置くと、こちらに戻ってくる。
「用務員の井筒を殺したのは先生ですか?」
「あのおっさんは、いい歳して森山にストーカーをしててな。俺と森山が付き合ってることも知ってたんだ」
森山の死亡後、アパートに呼び出され、二人の関係を警察に言われたくなければ金を出せ、と脅迫された。とっさにその場にあった電気コードで首を絞めたという。
「おまえのスマホを出せ。どこにある?」
真人が黙っていると、柴田が制服の上着をまさぐり、硬い感触に気づき、胸ポケットに手を入れた。抜き出した手には透明なアクリルのケースがあった。
「なんだこりゃ?」
セピア色の古ぼけた写真を柴田がうさんくさそうに見る。森山の転落死や井筒のこともあり、図書館から借りた写真のことをすっかり忘れていた。
「貴重な写真なんです。取り扱いには注意してください」
「自殺する人間がそんなこと気にするな」
ふん、と柴田が鼻先で笑い、アクリルのケースから写真を取り出した。改めて写真に目を向けた瞬間、まるで煙が吸い込まれるように教師の身体が消失した。
◇
緑のツタに覆われた二階建ての建物の前に再び真人は来ていた。両開きの玄関扉を開け、館内に足を踏み入れる。
相変わらず他の利用者の姿はない。カウンターには例の髪の長い司書の女性が座っていた。
「すいません。延滞をしてしまって……」
真人がアクリルのケースに収められた写真をカウンターに置いた。
司書の女性が少年をどこか不思議そうに見返す。なぜあなたがまだこの世にいるのか、という顔だ。
それで真人の疑惑は確信に変わった。
「……この写真は、見た人間を写真の中に吸い込むんですね?」
セピア色の集合写真の中に、以前はいなかった人間がいた――教師の柴田だ。奇妙に表情がないのが印象的だった。
「取り扱いには十分にご注意を、とお伝えしたはずです」
女性は写真を受け取り、事務的に返却処理を行なう。
「吸い込まれる条件は、貸出期限を延滞すること、ケースから出して写真をじかに見ること――この二つですか?」
「……どうしてそう思われるんですか?」
さして驚いた風もなく女性が訊ねてきた。
「延滞する前、僕はケースから写真を出して何度か見ましたが、特に何も起こりませんでした。延滞後、近所の野良猫に写真をじかに見せたら、柴田先生と同じように消えました」
セピア色の写真の片隅、柴田の足元に黒猫がうずくまっていた。
「写真に吸い込まれた人や動物はもう戻れないんですか?」
「この世の中には、まだ科学で説明のつかないことがたくさん存在します。お客様のご質問への答えになっているのかはわかりませんが……」
司書の女性はどこか哀しげに写真の中の人々を見つめた。
「……さっき、僕が写真を返却したとき、驚いた顔をされましたね? あれは僕が写真に吸い込まれずに、ここに来たことに驚かれたのですか?」
いえ、と司書の女性が静かに首を振る。
「当館には防犯カメラが備え付けられています。これは二週間前、お客様が当館にお見えになったときの映像です」
机上のディスプレイの角度を変え、真人が見やすくする。そこには図書館に入ってくる自分の姿が写っていた。そして――顔には白いモヤがかかっていた。
「ホワイトフォッグが霊体からのダイイングメッセージであることは知られていますが、霊体がこれから亡くなる方を教えてくれることもあるそうです」
真人は理解した。本来なら自分は柴田に殺されるはずだったのだ。教師が写真に吸い込まれたため、九死に一生を得たのだろう。
(用務員の井筒や森山杏奈の顔にモヤがかかったのは、彼らがこれから死ぬというメッセージだったんだ……)
司書の女性は写真をファイルにしまうと、初めて笑顔を見せた。
「当館のまたのご利用をお待ちしています。くれぐれも延滞にはお気をつけください」
(完)