96. 乙女の選択
「殿下!」
クララはそう叫んでから、両手でナイフを構えた。そのまま体ごと、シャザードに突進していく。
違う。あれはナイフじゃない。髪に飾る簪だ。
クララから漂う、微細なアレクの気配。魔力が付与された輝石。普通なら、あの刀の殺傷力を増すために、アレクの魔力付与がされていると思い込む!
素人の物理攻撃が、シャザードに届くわけもない。なのに、シャザードは輝石の魔力に反応して、防御魔法を強化した。その一瞬の動きが隙を作る。
クララが防御魔法にあたって跳ね飛ばされ、アレクが付与した護符が発動する。アメジストは、クララの身代わりとなって粉々に砕け散った。
「くそっ!身の程知らずが邪魔を」
「今だ!」
言われなくても分かる。攻撃のチャンス!
シャザードは攻撃中に不意をつかれて、精神にわずかな乱れを生じさせた。その微細な動揺が、魔法の制御に一瞬の隙を作る。
魔石を握り、全魔力をこめて攻撃魔法を放つ。
殺してはいけない!仮死状態にして、シャザードの中の黒魔術師が、体を捨てるように仕向ける。ギリギリのところで急所を外す!
そう思ったのに、シャザードは思った以上の早業で身を翻した。私の攻撃は、彼の肩を貫いただけ。
読みが甘かった。私の失敗だ。
左肩から血を流すシャザードの目は、怒りに燃えて私を捉える。攻撃魔法の照準に入った。動けない!
「きさまら、女の分際で、よくも…」
攻撃魔法が一直線に私に向かってくる。撃たれる!そう思ったとき、アレクが私に防御魔法を張った。
アレクのバカ!ここは攻撃するところだったのに。どうして私をかばうのよ!
防御に加勢したくても、残り魔力は少ない。アレクの魔力も体力も、限界が近づいている。
「クララっ!逃げろっ!」
アレクの声に反応して、シャザードがクララを見た。クララは狙われた獲物のように、身動きができなくなっていた。
クララが捕まる!間に合わない!
その瞬間、後方から一直線の青白い閃光が走った。強力な攻撃魔法がシャザードに向けて発射される。
私たちとクララ、二方向への魔法を出すために、シャザードの注意力が一瞬散漫になった、その隙を狙った攻撃。
氷の刃のような鋭い光が、後方からシャザードの心臓を貫いた。この魔法、この魔力。この気配は!
シャザードは胸を抑えて膝をつき、口から大量の血を吐いた。そして、不気味な笑みを浮かべて言った。
「生きていたのか」
「ああ。待たせたな」
シャザードは嬉しそうにくくっと笑うと、さらに血を吐いてそのままその場に倒れた。後方から黒い魔道士のマントを着た人影が現れる。
「レイ!」
アレクを押しのけて、私はレイに駆け寄った。
レイが、レイが帰ってきた! 衣服はボロボロで、体中に傷を負っていたけれど、生きたレイだ。
温かい胸。私を抱きしめる逞しい腕。レイが戻ってきてくれた!
「セシル、遅くなった」
「無事ならいいの!それより、シャザードが!」
「ああ、力を貸してくれ」
シャザードの周囲には、血溜まりができていた。レイはその側にしゃがむと、シャザードの胸に手を置いた。
「瞳孔が開いているわ。死んでしまったの?」
「黒魔術師が離れた。幽世に向かうやつの魂に、体が引きずられている」
「どうしたらいいの?教官が……」
レイから強い魔力が放たれる。これは……空間投影?
世界中の通信媒体に向けて、シャザードの最期の様子が飛ばされる。一定以上の魔力があれば、魔術師個人でも受け取れる映像。
「レイ……、何を?」
「シャザードは死んだ。それを世に広めるんだ」
繰り返し流される情景は、クララの捨て身の攻撃から、血溜まりの中からシャザードの体が消えたところで途切れる。見た人は、シャザードが消滅したと思うだろう。
「シャザードは……?」
「消滅したように見えたか?」
戦闘魔術師の最期。己の命を魔力に代えて、それを使い切って消滅する。
でも、この現代では、そんな風に命を賭けて戦う魔術師はいない。半分は伝説だと思われている話。
「消滅死……したの?」
「まさか。師匠を死なせたりはしない。部屋に飛ばした。急ぐぞ」
レイの転移魔法で消える瞬間、アレクがこちらを見た。私は黙って頷いて後を託す。
アレクはクララと一緒だ。寄り添う二人は、光に包まれているように見えた。
これが巫女の選択。クララは自分でアレクを選んで、一人でここまで来た。誰かから強要されたわけじゃない。
それが、私たちを救ってくれたんだ。
レイの部屋に瞬間移動すると、教官がベッドに横たわっていた。肌は真っ青でまぶたは閉じられている。けれど、触れた腕には、まだ微かに体温が残っている。
私は何重にも堅い結界を張った。ここで起こっていることは、誰にも知られてはいけない。
「異次元に連れていく。師匠の魂を呼び戻す」
「こんな状態で?死んでしまうわ!」
「これは器だ。魂が戻れば、治癒魔法が利く」
お姉様の屋敷で、おばば様の元で。教官は二度も仮死状態から蘇っている。今回も、そうなることに賭けるしかない。
「セシルは北方に行ってくれ。師匠には、フローレス様の力が必要だ」
「お姉様を?無理よ。そんなことできるわけが……」
そんなことが可能なら、とっくの昔に奪還している。なのに、それをやれというなんて。何か策があるの?
「北方に飛ばす。向こうにもシャザード死亡の報は届いている。他国に対する無差別テロを仕掛けたことも、世界中に知られた。今はすべてが混乱しているはずだ。それに乗じて……」
「でも、戻ってこれないわ。魔石を使ったとしても、私の力じゃ二人は……」
無理と言いかけたとき、部屋の隅に懐かしい魔力を感じた。
「ようやく、わしの出番じゃのう。待ちくたびれたわ」
黒い魔道士風のマントを着て表れたのは、西の賢者と呼ばれる人。私のおばば様だった。




