92. 国家の華
準備はすべて整った。会場には細工された痕跡もなく、王宮内には不審物も見つかっていない。魔術師たちが結界を張り巡らし、暗殺者みたいなものは入り込むことができない。内通者がいるという証拠もつかめない。
アレクが信じてくれなければ、すべてはレイの思い過ごしだと流されていたかもしれない。
シャザードの力は侮れない。彼は世界を破壊することができる。もし、当代の宿命の巫女を手に入れてしまったら。
クララを守りきる。それが、シャザードの暴挙を食い止める最後の手段。人が神に歯向かえば、この世界全体の存在が危うくなる。
「王女様。殿下がすぐにお部屋に来ていただきたいと」
「こんな朝早くから?たった一晩、別々だっただけなのに、アレクも堪え性がないわね」
侍女長の言葉を聞いて、そばに控えていた古参の侍女たちがすぐに支度を始めた。私の軽口に誰も反応しない。さすが精鋭の侍女たち。鉄仮面。
「王女様、お急ぎください。殿下がお待ちです」
本当に急ぎ? まさか、何か見つかったの?急いで部屋を尋ねると、アレクは真剣な顔で書類を見つめていた。
「アレク、何かあったの?無事?」
「これはどういうことなんだ?」
アレクが持っていたのは、婚約式次第だった。クララの名前が載っている。
「クララのこと?正式に婚約を発表させると言ったじゃない」
「それは聞いた。だが、なぜカイルなんだ」
「婚約者がいなかったものは、専属騎士と婚約させたのよ。最初からそのつもりで、人選をしてたの」
侍女として王宮に召し出すとき、変な虫がつかないように護衛の騎士をつけた。感情を伝え合うように、魔術式も施した。互いに愛情が芽生えても、なんの不思議もない。
もちろん、ヘザーとクララは騎士とは恋に落ちなかった。人の心は魔法では操れない。シャザードがどんなに望んでも、フローレスお姉さまを得られないように。お姉さまは教官の崇高な魂を、今も愛している。
「ヘザーもその予定だったんだけど、先にローランドと正式に婚約したから」
「なぜそんなことに……」
「知らないわ。本人たちの希望よ」
ローランドを牽制したのはアレク。あそこまで言われたら、クララを諦めて違う幸せを求めてもおかしくない。ローランドはヘザーと生きる決意をした。人生を賭けてアレクへの忠誠を示した。
「ローランドは、いつヘザーと?」
「襲撃の翌日だったかしら?アレクもローランドはだめだと言ったし、ちょうどいいタイミングだったわ」
それが人の縁。誰もが相思相愛で結ばれるわけじゃない。つまり、そういう運命だったということ。
「私のせいなのか?」
アレクはどこかズレている。クララはローランドを愛したことはない。ローランドはそれを知っていたんだと思う。恋愛については、彼はそれなりに場数を踏んでいる男だ。
「ローランドが、ヘザーを選んだのよ。あの二人なら幸せになれるわ。クララも、幼馴染二人の婚約を喜んでるはずよ」
「クララは優しい子だ。友人の幸福を願わないはずはない。だが、本人の気持ちは……」
「彼女の気持ちは、アレクが一番よく知っているでしょ?」
なんでもそつなくこなすのに、アレクは恋の初心者。誰の目にも二人は熱烈に愛し合っていた。私の存在に遠慮して、皆が見えないフリをしているだけ。
「それに、命令じゃなければ、クララは誰とも結婚しなかったと思うわ」
「どういうことだ?」
「何を言ってるの?クララは、相思相愛の相手と、無理矢理引き裂かれたのよ?アレクのことが好きなのに、他の男と婚約したりしないわよ」
「クララが私を……?」
まさか、今まで気が付いてなかったの?鈍いにもほどがある。でも、もう後戻りはできない。私たちは王族として生きる決意をした。このまま突き進むしかない。
「もういいじゃない。どうにもならないことは、どうにもならないわ。カイルはクララを好いている。政略結婚が当たり前の貴族社会で、一方だけからでも愛があるなら、その結婚は幸運よ」
「カイルがクララを……」
不遇な従弟。クララを幸せにできるのは、もう彼しかいない。女神に選ばれた運命の一人。彼を選ぶなら、巫女の道は保証されている。シャザードに悪用されることもない。
「ええ。たぶんずっと前から。ずいぶんと恋心を拗らせてはいたようだけど、思いがけない幸運だと受けとってくれているはずよ」
カイルとなら、クララは背伸びせずに生きていける。あの村で、きっと二人は穏やかな人生を過ごしていく。私が望んだ生き方を、クララが歩んでくれる。
「クララも、相手がカイルで安心したと思うわ。彼なら無体な真似はしないでしょうしね」
いつかカイルの真心がクララに通じる日がくる。愛情というよりも友情。でも、それは絆であることに変わりない。ともに人生を生きていく友がいるなら、その道は明るいものになる。
「そうか。事情は分かった。取り乱してすまなかった」
「カイルにはもちろん、クララを守るように頼んであるわ。ローランドにも気を配ってもらえるよう、ヘザーから伝えてある。大丈夫。今夜はきっとうまくいくわ」
「そうだな。ありがとう」
今夜の式が失敗すれば、北方を止める手立てはなくなってしまう。それを回避するために、もう個人の感情を気にしていることはできない。それが、愛するものを守るために、私たちができるただ一つのこと。
誰よりも気高く美しく華やかに。この国の未来の王妃にふさわしい王女を演じきってみせる。私はそのとき、そう心に誓った。




