90. レイの望み
アレクの部屋に着いたときには、すでに深夜を回っていた。私の戦友は、本当に私のことを信用しているのだろうか。
いつものように、アレクがドアを開ける。私はシンプルな部屋着のままだったけれど、アレクは特に気にする風もない。アレクも白いシャツにスラックスというラフな姿。暖炉の側のソファーに書類の束が見えるから、きっとまだ仕事中だったんだ。
「お茶を、淹れるわね」
侍女長を帰すと、私は暖炉にかかっているお湯で、魔法茶を作る。
魔法茶。葉茶にいろいろな魔法が付与されたもの。これはおばば様の特別製で、安全性には自信がある。でも、アレクはそんなことは知らない。
テーブルに魔法茶を置くと、アレクはためらうことなく口を付けた。香ばしい香りが立ち上り、それだけでもリラックスできる。眠気を誘うというのは分かっているはずなのに、アレクは無防備だ。これが毒だったら、アレクはもうこの世にはいない。
絶対の信頼。アレクと私にはそれがある。お互いにお互いを裏切ることはない。彼なら、信頼してすべてを話していいんだ。
「レイから連絡があったの。ごめんなさい、知らせが遅れてしまって」
アレクはその言葉に反応して、こちらを見上げた。たぶん、泣いたのはバレているけれど、何も言われなかった。それはアレクの気遣い。
「レイは無事なのか?」
無事だと思いたい。でも、それなら、あんな方法で連絡してこない。私が黙っているからか、アレクは側にきて、私の肩に手を置いた。その手に、思わず自分の手を重ねた。
大きくて温かい手。アレクの優しさが伝わってくる。たぶん私は一生、この人の側にいることになるだろう。クララを失ったアレクに、寄り添って生きる。そういう運命を受け入れる。
だから、どうかお願い。私の話を信じて!私にしか解けない鍵をつけて、レイはあの手紙を送ってきた。私がアレクにうまく伝えられなければ、レイが危険を冒したことが無駄になる。
「分からない。でも、手紙が来たの。私宛じゃなかったから、届くまで時間がかかってしまって。でも、あれはレイだわ。私には分かる」
アレクは黙って頷いた。なんの証拠もない話を、真実だと受けとめてくれている。
「内容は普通の手紙。でも、私しか分からないように、レイは危険を知らせてきたの。自分だって危ないのに。そんな方法でしか、連絡が取れない状況なのに」
知らずに涙がにじむ。アレクは私の肩を抱き寄せた。愛ではなく友情が彼をそうさせている。逃れられない運命を、私たちは分け合っていく。
泣いてなんていられない。危険なのはレイだけじゃない。私たちが失敗すれば、なんの罪もない民が犠牲になる。
「王族暗殺計画があるらしいの。婚約式にテロが」
アレクは特に驚いた風もなかった。想定内ということ?
「婚約式まで時間がない。失敗すれば、辺境にいる父上たちが危ない。国境が崩れれば、北方は一気に王都に押し寄せるだろう。それを回避するために、なんとしても援軍が必要だ。迷う余地はない」
たとえ何があっても、アレクは婚約式を中止にはしないつもりだ。その身の危険を省みることなく。
「分かっているわ!でも、ターゲットは王族よ。あなたに何かあったら……」
「それは君も同じだろう。君に何かあったら、レイに申し訳が立たない」
アレクはそう言って、私の手を握った。アレクは私を守るとレイに誓ってくれている。
「大丈夫だ。私たちはこんなところで挫けるために、今まで戦ってきたわけじゃない。だが、当日は私の側を離れないでほしい。レイの代わりに、君を守ってみせる。何が何でも生き抜くんだ。それがレイの望みだろう」
お人好しね、アレク。私はその手をぎゅっと握り返す。身を引いてくれたクララのためにも、この人は私が守る。
「ありがとう。そうね。やり遂げてみせるわ。何があっても」
アレクは黙って頷いた。私達はもう道を選んでしまった。このまま一緒に進むしかない。
「信頼できるものだけには、このことを知らせたいの。式の警護は万全だと思うけど、計画があると分かれば、対策も取りやすくなるわ」
「そうだな。みなには申し訳ないが、このまま続行でいく」
これでいい。狙われているのは王族。そして、計画が本当なら、式までは私たちが狙われることはない。
アレクのために、私は魔法茶を淹れ直した。いつ何があるか分からないのだから、今夜きちんと眠っておくべきだ。
アレクは私を部屋まで送ると言ったけれど、今夜はここを離れるべきじゃない。魔法茶で眠っている彼を、一人にしてはおけないから。
「今夜は私が、隣室に待機するわ。だから、少しは眠ってちょうだい。そんなフラフラでは、私を守れないわよ」
私がそう言うと、アレクは苦笑いをした。クララが去ってから、アレクはずっとまともに眠っていない。寝不足だという自覚はあるようだ。
私はアレクの結界に自分の結界を重ねる。念には念を入れて。そして、暖炉の前に座って、これからのことを考えた。
アレクのために、クララを巻き込んではいけない。彼女の警護だけは、なんとしても強化しなくちゃいけない。
「カイルだけじゃなく、ローランドにも……」
破談となったとはいえ、クララは幼馴染。ローランドに協力を要請したところで、大きな問題になるとは思えない。ヘザーにとっては親友だし、身の安全を望む気持ちはあるだろう。
それでも、真実を隠して頼むことはできない。明日、ヘザーには危険があることを打ち明けよう。私の片腕として生きてもらうなら、私もそういう扱いをすべきだ。
私は別の魔法茶をそっと飲んだ。これもおばば様のもの。寝ずの番をするために、眠気を取るために。
「色気がないわね」
婚約を控えているのに、美容に良くない徹夜をするなんて。いかにも、花嫁じゃなく戦友っぽい行動。私に与えられた立場にふさわしい。そう思って、私は魔法茶をゆっくりと飲み干した。




