86. 赤い石の指輪
「素敵な婚約指輪ね。ローランドは、さすがにセンスがいいわ」
ヘザーの左手の薬指には、明らかに上質のルビーの指輪がはめられていた。光に反射して明るい赤がキラキラと輝いている。これだけ大きなスクエアカット。よほどの透明度がなければ作れない。
「私も驚いてます。まさか、こんな上等の指輪をくれるなんて」
「ノロケ? 大切にされてる証拠よね」
「あ、いえ、そういうつもりでは……」
いつもは自信たっぷりのヘザーも、好きな相手に対しては非常にしおらしい。
これほど美しい婚約指輪をもらったら、普通の娘は一日中でも眺めてニヤニヤしているはずなのに。
「そういうことよ。わざわざ、あなたの好きなルビーを贈ってくるなんて」
「いえ、それは、私がリクエストしたんです」
「ああ、そうなのね。ルビーの指輪はみんなの憧れですものね」
赤い色の宝石。小説『真実の恋』に使われている小道具。ルビーは確かに赤い宝石だけれど、なぜか私の想像とは一致しなかった。
私がガーネットを好むから? 柘榴石は血の色。真紅の薔薇の花びらの色。ルビーはそれよりもっとピンクが強い。
侍女長が私の部屋の近くに、秘書室を設置してくれた。今日の午後からは、あと二人の侍女が秘書として業務に戻る。私とヘザーは一足先に、そこで仕事に取り掛かっていた。
「明後日の婚約式。これが参加者と式次第よ」
書類を受け取って、ヘザーはざっと目を通す。案の定、クララの婚約者のところを突っ込んできた。
「クララはカイル……、アンダーソン子爵と?」
「ええ。今も身柄を保護してもらっているの」
「なぜ、彼なんですか?どうして……」
「ローランドじゃないって?だって、彼はあなたの婚約者でしょう」
「あ、いえ、ローランドのことじゃなくて……」
ヘザーも、アレクの気持ちに気がついていたのね。だから、クララは後宮に入ると思っていたんだわ。
そうよね、じゃなきゃ、ローランドと婚約するはずない。ヘザーは、傷心の彼を慰めるつもりで、婚約を承知したのかもしれない。
だから、相手がアレクじゃなく、カイルだということに違和感がある。
「クララは、後宮には入らないわ。アレクが拒否したの」
「殿下が……。そうですか。それなら、クララの相手はローランドじゃ?」
不思議なことを言う。ローランドは自分と婚約しているのに。
「だから、ローランドはあなたと婚約しているじゃないの。売約済み」
「ローランドは、このことを知らないんです。クララが側室になると思って……」
「そうだとしても、もう関係ないわ。ローランドは、あなたを愛しているって言うんだもの」
私はちゃんと、そのことをローランドに問い質した。だから、間違いない。そう言ったのに、ヘザーは静かに首を横に振った。
「私たちの婚約は、便宜上です。ローランドはまだクララを」
「ローランドは、あなたを幸せにするって誓ったわ。嘘には聞こえなかったけど」
「それは、クララが後宮に入ると思ってて。そうじゃなければ、クララを諦めたりしない」
「気の回しすぎよ。そんなに素敵な指輪までもらっておいて」
「公爵家の象徴はエメラルド。正式な婚約指輪はルビーじゃないんです」
「そうは言っても、クララの気持ちはどう?ローランドよりも、カイルが好きかもしれないわ」
「そんなことは……」
ヘザーは考え込んでいる。全然納得していない。それはそうだ。クララが好きなのはアレクだもの。
カイルに対しては、好意はあっても恋愛感情はないというところだろう。
「いやあね、ヘザー。人の好みは、自分と同じじゃないのよ。誰も彼もが、ローランドを好きになっちゃうわけじゃないの」
「もちろん、それは、そうなんですけど……」
「クララは、誰が好きだって言ってたの?」
「それが、聞いたことないんです。でも、私の見立てでは……」
ヘザーは言葉を濁した。私に向かって、『クララはあなたの婚約者を好いていた』とは言えないだろう。そんなこと、気にしなくていいのに。
ヘザーには、言いたいことをはっきり言ってほしい。これからずっと、私の片腕になるのだから。
「遠慮しなくてもいいわ。ズバズバと意見を言ってくれたほうが、第一秘書としては有益よ。クララはアレクが好きだと思っていたんでしょう。私もよ!でも、アレクは、クララはいらないんですって」
「じゃあ、クララの片思いだったんですか?」
「さあ?クララのことは、学園の後輩だって言ってたけど」
「それだけですか?」
「そうよ。後宮に入れなかったことが、何よりの証拠でしょ」
白々しい嘘をつくのは気が引ける。でも、クララをアレクから引き離して、危険を回避するのがこの婚約の目的。ヘザーを騙せてこそ、安心できるというもの。
「殿下は、ローランドに遠慮したんじゃないんでしょうか。そんな事情とは知らず、私、早まったことを……」
「だから、気にしすぎよ。クララはローランドと一緒にいて北方の襲撃に巻き込まれたのよ。もうあんな怖い思いはごめんだと、そう思っているんじゃないかしら」
誰にとっても、もうあんなことは嫌だ。二度とクララを、あんな目には合わせたくない。
だから、カイルに守らせる。それが正しいと信じて、突き進むしかない。
でも、私がどう言っても、ヘザーは納得できないようだった。やはり、カイルに一芝居打ってもらうしかなさそうだ。私は密かに、台本を練り始めた。




