85. ローランドの婚約
「私情は禁物よ。人目があるわ」
「わかっている」
アレクは深いため息をついた。どうやら、私の忠告の意味に気がついたようだ。クララのことになると、アレクは冷静を欠く。用心が必要だ。
私達が執務室に入ると、アレクの部下たちが一斉に席を立った。いつもの表敬行動。その中を通り抜け、私たちはまっすぐにカイルのいる応接室に入った。
「言いたいことはあるか」
早々にアレクがそう切り出し、カイルが淡々とした口調で返答する。
「ありません。ただ、処罰をいただきたく」
「理由も聞かずに、罰することはできない」
「すべて私の責任です。ローランドに落ち度はありません」
「それなら尚更、理由は言えるだろう」
「ご処分を」
カイルは理由を語らない。つまり、それはクララが原因だから。この人たち、暇なのかしら?
「側近と騎士が対立したとなると、軽い沙汰ではすまないが」
「心得ております」
「わかった。それでは謹慎を言い渡す。許しがあるまで出仕しないように」
「ありがとうございます」
国の非常時に、私情で喧嘩をなんて。臣下としては大失態。謹慎で済んだのは、奇跡みたいなものだ。
カイルが退室した直後に、執務室から少しざわついた空気が流れた。ローランドが来たのかもしれない。
ドアを開けて確認すると、やはりローランドだった。目立った怪我はないようで、ホッとした。
顔にアザなんて作ったら、ヘザーがすごく心配してしまう。婚約式を控えてるんだし、綺麗な顔は死守しなくちゃ!
中に入るようにと、私はローランドに目で合図をした。
「怪我はどうだ。大丈夫か」
「申し訳ございません」
「カイルには、謹慎を申し付けた」
「お待ち下さい!カイルに非はありません」
アレクの言葉に、ローランドは驚いたように声を張りあげた。カイルと同じような反応だ。やっぱりね。
「心配しなくていい。あくまで表面的な措置だ。目撃者がいる以上、こちらとしても何らかの措置をとらなくてはならない。婚約式までには謹慎を解く」
「申し訳ございません。ご配慮、感謝いたします」
アレクがソファーに座ったので、ローランドに対面に座るように促した。
「お前も、理由を言う気はないようだな。カイルも一切、理由を話さなかった。自分が悪いの一点張りだ。これでは埒が明かない」
「申し訳ございません」
ローランドは、ただただ頭を下げた。クララのことで、アレクはまだ、ローランドにわだかまりがあるんだわ。
ローランドは被害者なのだから、そんなに詰め寄るべきじゃない。不当な扱いよ!
私はローランドの後ろに回り、彼をかばうように両手をその肩に置いた。
「アレク、もういいでしょう。ローランドは婚約ホヤホヤよ。さっき報告があったの。プロポーズは見事に成功したらしいわ」
アレクは一瞬だけ困惑したようだったけれど、すぐにローランドに祝いの言葉をかけた。
「そうだったのか。それは、めでたいな」
「ありがとうございます」
あら。アレクはヘザーのことを知っていたのかしら。昨夜の今朝でもう違う女と婚約なんて、普通は変に思うところだけれど。相手がクララじゃなきゃ、興味もないってこと? 冷たいものね。
「今日はもう、ローランドを帰してあげましょう。急に決まったことで、まだ指輪もないそうよ。婚約にはいろいろ準備が必要だし、昨日はそのまま徹夜をしたみたいだもの。少しは休ませてあげましょうよ」
「そうだな。もう下がっていい」
「ありがとうございます」
アレクが立ち上がったので、ローランドも席を立った。彼が出ていってしまう前に、これだけは聞いておきたい。
「ちゃんと、愛してるの?」
「はい」
「幸せにできる?」
「はい、必ず幸せにします」
「約束よ」
ヘザーを愛している。本心はどうであれ、私にこう宣言するのだから、その決心は堅いのだろう。
いいわ。ローランドの良心に賭けよう。ヘザーはこの男に託す。
「ですって!よかったわね、アレク。私のせいで、みなに迷惑をかけたけど、とにかくうまく纏まってくれてホッとしたわ」
「そうだな。おめでとう」
「ありがとうございます」
結局、この二人は恋の敗者。どちらもクララを手放して、別の女と婚約する道を選んだ。それが運命だった。
「では、この話はもう終わりだ。これからはプライベートについては報告しなくていい。明日からは政務に力を尽くしてくれ」
「承知しました」
二人はそれで話を打ち切った。クララを諦めた者同士、傷を舐め合う気はないらしい。
「あとは私に任せて。素敵なルビーを買ってきてあげてね。『真実の愛』を読んでから、みながルビーの指輪に憧れているの。彼女、本当に好きだから」
私が小声でそう言うと、ローランドは黙って頭を下げた。
「お世話になります」
「いいのよ。結婚してからも私の秘書を勤めてくれるって聞いて、とてもうれしかったわ」
ローランドが出て行ったので、私はクララの処遇について切り出した。もう、カイルとの婚約に障害はない。
「クララの婚約は、予定通りに私たちの婚約式で正式に公表するわ」
「わかった。悪いがその話はここまでにしてくれないか」
アレクは怒ったようにそう言って、応接室を出ていってしまった。今日は機嫌が悪い。触らぬ神に祟りなし。
今日はサロンで過ごすと言い残して、私は執務室から逃げ出したのだった。




