84. 第一秘書
レイの部屋では、よく眠れなかったのか。アレクはいつもの時間に起きては来なかった。
リネンは洗濯されて清潔だし、レイが出ていってからは私が寝ているベッド。でも、やっぱり男臭かった?
同じ寝るなら、女子のベッドがいい。アレクじゃなくても、それは普通の感覚だ。私だって、クララが寝ていたベッドの方が、アレクの寝室を使うよりドキドキした。
アレクを起こさないように、私はサロンで朝食を取った。侍女長を話し相手にして。
「秘書室が必要だわ」
「そうですね。侍女兼秘書になりますから」
「後宮はもう諦めるわ。アレクがその気になるまで」
侍女たちは、誰も側室を希望しなかった。アレクって意外と人気がない?そう思うと、自然に笑いがこみ上げた。侍女長が、不思議そうに尋ねる。
「何か、楽しいことがおありですか?」
「アレクって、全然モテないわよね。美貌の王太子も、万能じゃないわ」
私が大袈裟にため息をつくと、侍女長も負けじと応戦する。
「王女様に張り合う者は、この国にはおりません」
「私のせいなの?」
本当はクララのせい。侍女長もそこは心得ている。
あの二人は学園でも有名な恋仲だったらしい。なんでも、パートナーのローランドを退けて、ファーストダンスを踊ったとか。
アレクは隠してるけど、ずっと前から許婚の目を盗んでこっそり逢引してたらしい。泥棒猫アレクめ! 恥を知れ!
「ローランドは、大丈夫かしら?」
「ヘザーが様子を見にいっております」
侍女長は、ヘザーの気持ちに気がついている。さすが熟練の勘は半端ない。
「そう。顔を見れば安心するでしょ」
「クララのことは……」
「ヘザーに様子を見に行ってもらいましょう。私の名代として」
しばらくして、ヘザーがサロンに現れた。友人たちの災難に心を痛めているかと思ったのに。その瞳はキラキラ輝いて、頬はピンクに上気している。
「王女様、ご機嫌うるわしく」
ヘザーはいつものように、美しい所作で私に挨拶をした。私の第一秘書は、やはりこの娘を置いて他にはない。
入れ替わりに侍女長が退出したので、私はヘザーにお茶をすすめた。
「ローランドに会ったんでしょう。様子はどうだった」
「思ったより元気そうでした」
「なら、よかったけど」
「あの、それで、王女様にお話が……」
ヘザーは割と冷たい感じのする美人。でも、今日はなんだか雰囲気が柔らかい。何かあったのだろうとは思っていたけれど、ヘザーの話を聞いて納得した。
「じゃあ、ローランドと正式に婚約を?」
「そのほうが、お互いに何かと便利だということになって」
アレクへの忠誠の証か。クララを諦めたと、こういう形で示すわけね。でも、ヘザーにとってはチャンスかもしれない。
「ちょうどよかったわ。私の婚約式で、侍女たちの婚約も一緒にお披露目しましょう」
「侍女たち……ですか?」
「ええ、秘書たちには婚約者が必要よ。すぐに結婚させたいくらい」
「既婚者のほうが、職業婦人に相応しいということでしょうか」
「王宮はね、危険な情事がいっぱいなの」
「ああ、そういうことですか」
アレクに代が替われば、王宮全体が若返る。血気盛んな男性が増えれば、どうしても風紀が乱れがちになる。
未婚の令嬢が、不適切な関係にはまったりしたら大変だ。
「あなたを、私の第一秘書に任命するわ。結婚しても続けてもらえる?」
「もちろんですわ。お役に立てるよう、精一杯頑張ります」
筆頭公爵家の夫人なら、王妃の第一秘書として申し分はない。存分に働ける。今後の方針が決まったので、私はサロンを出て執務室に向かった。
でも、なんとなく、今朝はいつもと様子が違う気がする。執務室に近づくにつれて、空気がザワザワと落ち着かなくなってくる。
アレクの部下がこちらに向かって走ってきた。まさか、北方に何か動きが?レイに何かあったの?
「王女様。殿下はお目覚めでしょうか」
「どうかしたの?」
「カイルが、ローランドを殴ったようです」
「カイル?カイルが来ているの?」
「はい。ローランドに返すものがあるとかで、執務室に顔を出した後に……」
クララから離れないように、あれほど言っておいたのに!返すものって何よ。そんなに重要なもの? まさか、クララのことじゃないでしょうね! カイルまで、冗談はいいかげんにしてほしい。
「怪我は?二人はどこに?」
「大事はありません。ただ、騒ぎが大きくなってしまい。ローランドは医務室に。カイルは執務室で足止めしています」
「分かったわ。アレクを連れてくるから、カイルを引き止めておいて」
アレクの部下は頭を下げると、もと来た道を執務室に戻っていった。私はすぐに踵を返して、アレクの元に急ぐ。
喧嘩の原因は、どう考えてもクララ絡み。今は内輪で揉めている場合じゃないのに。あの二人が仲違いをしたら、ヘザーとクララにも悪影響が出る。アレクにとって、いいことは一つもない。
こちらに歩いてくるアレクを見つけて、私は更に足を早めた。すぐにこの揉め事を収めてもらう必要がある。
「アレク、執務室に来て!カイルが待っているわ」
「カイル?何かあったのか?」
「詳しいことは分からないんだけど、ローランドを殴ったらしいの。メイドと衛兵が見ていたから、ちょっとした騒ぎになっていて」
私は聞いたばかりの事実を、オウムのように繰り返した。それ以上の情報は持っていない。
「ローランド?大丈夫なのか?」
「ええ。でも、一応、医務室に連れていったわ」
「そうか。わかった」
アレクの顔色が変わった。クララの護衛にカイルをつけたのは、アレクも知っている。騒動の理由にも、すぐに思い至ったらしい。
なんとも単純で分かりやすい男たち。非常にめんどくさい。クララが鈍感じゃなかったら、この重苦しい愛に潰れていたかも。
「私、モテなくて本当に良かったわ」
クララのことで頭がいっぱいのアレクは、私の大きなつぶやきにも気付くことはなかった。




