82. それぞれの道
夜半から舞い始めた雪が、いつのまにか本降りになっている。こっそり手配させた馬車に乗って、クララとカイルはすでに王宮を出た。
つまり、アレクは大失恋中。立ち直るまで、それなりの時間が必要だろう。今は少しだけ、そっとしておいてあげよう。
もちろん、明日からは落ち込んでいる暇なんてないくらい、馬車馬のように働かせるつもりだけど!
仕事、仕事! 王族には、感傷に浸っている時間なんて、全然ないんだから! 失恋くらいで甘やかされると思ったら、大間違いですからね!
そう自分を鼓舞して、私は侍女長が詰めている事務所を訪ねた。
「ご苦労さま。何か連絡は入った?」
「ヘザーから、連絡がありました」
ヘザーの伯爵家領地は、ローランドの公爵家とは隣同士。大規模な魔法戦の痕跡を隠すために、近隣にお抱えの魔術師を派遣するように要請してある。
「現場を見たのかしら?」
「はい。彼女は魔術師ではありませんが、魔力がある娘ですので」
そうだった。ヘザーは魔法科で学んでいたと聞いている。アレクがこの国の学園に新設した学科。それならば、他の者たちの足手まといにはならない。
むしろ、彼女なら上手く監督役をうまくこなせただろう。あの気弱そうな兄の伯爵よりも、そういう点ではヘザーのほうが役に立ちそうだ。
「幸い犠牲者はいなかったようね。被害は果樹園だけ。でも、ヘザーに直接、話を聞きたいわ」
「実は、ヘザーからも、すぐに王宮に戻りたいとの希望が出ておりまして」
「後宮に入る……わけはないわね、私の秘書になるつもりかしら?」
「本人はそのつもりでしょう。あの子はキャリア志向です」
たしかに、あの聡明さは私の助けになる。それに、彼女はアレクの側室になったりしない。ローランドに思いを寄せているんだもの。
「助かるわ。戻ってきたら、すぐに私のところに寄越して」
「朝一番で、屋敷を出ると言っておりました。友人が心配らしく」
ああ、そうか。ローランドが心配なのね。彼が王宮にいるのは、執務室に問い合わせれば分かる。クララの所在は知らないはずだけれど、一緒にいたということくらいお見通しだろう。
あの娘の情報網は侮れない。多少の偏りはあるけれど、あれはヘザーの強みだ。
「じゃあ、先にその……友人? 彼の状況を確かめてからでいいわ。とにかく、一旦は私のところに来るように伝えて」
「かしこまりました」
侍女長はそう言ったきり、黙ってしまった。何を言えばいいのか、迷っているように見えた。
「馬車の手配をありがとう。クララは安全なところに移動させたわ」
「そうですか。安心いたしました」
口ではそう言っているけれど、侍女長の気持ちが晴れたようには見えなかった。私が長居をすれば、気を抜くこともできないだろう。そう思って、私は退出しようと立ち上がった。
「王女様、殿下のことをよろしくお願いいたします」
その思いがけない言葉に、侍女長は王妃亡き後、ずっとアレクの母親代わりだったということを思い出した。クララだけじゃなくて、アレクのことも心配していたんだ。
「アレクには私が付いているわ。心配しないで」
私がそう答えると、今度は少しだけ侍女長の表情が明るくなった気がした。未婚で子供がいない彼女にとって、アレクは実の息子のように可愛いのかもしれない。
ま、もう子供じゃないんだから、母親役に泣きついて慰めてもらうこともない。私がビシバシとしごく!
アレクの傷は誰にも癒せない。でも、仲間として共に戦うことはできる。それが私たちの絆。ときには愛より強いこともある。
自分の部屋に戻ると、アレクは窓辺に立って外を見ていた。降りしきる雪で、視界が遮られていることなんて、全く気にもかけていない。
「クララは、行ったのか?」
私の気配を感知したのか、アレクはこちらを振り向かずにそう言った。
「雪が、ひどくならないといいわね」
私は直接の言及を避けた。アレクはクララが去ったのを知っている。答えを求めたわけじゃない。
側で窓の外を眺めたとき、窓枠に置かれたアレクの手が、寒さで真っ白になっているのが見えた。私はアレクの手を、自分の手でとんとんとたたいた。
「心配しないでちょうだい。悪いようにはしないから」
「すまない」
さすがの私も、アレクが不憫になった。今はちょっとくらい甘やかしてもいいかもしれない。なんと言っても、私はアレクの姉貴分。今は戦友でもある。彼を慰められるのは、私しかいないんだ。
私はアレクの手をやさしくさすった。思った通り、冷え切っていた。
「言ったでしょう。これは、私のせいなんだから」
「いや、私のせいだ」
ばかアレク。こんなところでカッコつけたって、クララには伝わらない。昔からええカッコしい。人前では平気なフリをする。でも、こうやって影で、クヨクヨもするのね。本当にプライドばっかり高くて、始末に負えない。
こういうときは、誰かがぎゅっと抱きしめると落ち着く。だから、これは恋愛じゃなくて家族愛。
私はなぜかそんな言い訳をしながら、アレクの体を抱きしめた。可愛い弟分は、いつの間にか逞しい男性に成長した。もう昔みたいに、抱きかかえることはできない。
「私たちには、やるべきことがあるわ。落ち込んでいる場合じゃないのよ」
弱虫アレクは、こうやって少し追い立てたほうがいい。辛気臭いのはかなわない。
私の言葉を聞いて、アレクは笑顔を見せた。大丈夫、私たちは立ち直れる。だって、私たちは一人じゃない。お互いが支え合える立場だから。
積もっていく雪を見ながら、レイも誰かの元で暖を取れていることを、私は切に願っていた。




