77. アレクの寵妃
「クララと一緒に、公爵家領地の果樹園にいました。突然、周囲に殺気を感じて」
ローランドは、そのときの様子を淡々と話し始めた。
『誰の手のものだ!名を名乗れ!』
訓練された兵士が三、四人ほど。ローランドとクララを囲んでいたという。
『欲しいものがあるならくれてやる!俺の命でもだ!だが、女には手を出すな』
クララをかばって戦うのは難しいと判断し、ローランドはクララを逃がそうとした。身代金目当てか、父宰相への揺さぶりか。どちらにしても狙いは自分だから、クララは関係ないと。
ローランドは通信魔法に優れている。すぐに救援信号を飛ばして、周辺の魔術師に加勢を依頼した。
『お前の命などいらない。そちらのご寵妃様をお渡し願おう』
ローランドの目の前に姿を表したのは、北方の黒い軍服を着た男が一人。白昼堂々と敵国に乗り込むなど、正気の沙汰ではないと思ったという。
『北方か。こんなところまでご苦労なことだ。だが、人違いのようだ。彼女は王女ではない』
寵妃という言葉に、ローランドは私とクララが間違われたと思った。それなのに、軍服の男は無表情でこう言ったのだ。
『我が代表が所望するのは、お飾りの正妃ではない。王太子ご寵愛の令嬢。閨に呼ばれたのは、そこにいる男爵令嬢のみ。王太子のただ一人の愛妾』
聞き違いじゃない。クララも真っ青になって震えている。何か事情があると、ローランドはそう察したそうだ。
『クララ、抜け道を覚えているだろう。合図をしたら全力で走れ。ここは俺が止める』
『無理よ! 危ないわ。今はおとなしく従って……』
クララを逃さなければ、ここで二人とも殺される。そう思って、ローランドは覚悟を決めた。
『頼む。俺のために、いや、国のために走ってくれ』
すぐに、どこかから現れた兵士が切りかかってくる。ローランドはクララを突き飛ばして応戦した。
『走れ!』
その声に反応して、クララはそのまま後方へ走り去った。そして、ブラックベリーの茂みの向こうにいたレイに、助けを求めたのだった。
私が見たのは、このときの映像。レイが魔法で、私に連絡してきた情景だった。そうして、ローランドとクララは私の部屋へ飛び込んできた。レイが魔法で、二人を避難させてきたのだ。
レイの連絡を受け取ってすぐ、私は自分の部屋に駆けつけた。そして、二人を確認すると、その足で執務室にいるアレクを呼びに走った。
アレクと一緒に部屋に戻ると、ボロボロになったクララが私のベッドに寝かされていた。
素足には切り傷が、四肢や頬にはかすり傷が無数にある。乱暴はされてはいないはずなのに、耳元に鬱血痕のような内出血がある。胸元のボタンも、引きちぎられていた。クララの側に佇むローランドは血だらけで、二人が九死に一生を得たことがわかる。
「私は無傷です。クララは気を失っているだけです」
ローランドはそう証言した。でも、素人には正確な判断はできない。とにかく医者に診せなくてはいけない。アレクが王室付きの典医と大聖女を呼んで、クララとローランドの診察にあたらせた。
そして、私たちはローランドから、急いで事情を聞いたのだった。その内容は、レイの空間投影と合致した。実際、ほぼ予想通りの展開だった。
「事情は把握した。その軍服の男は、最近入ったという軍師。おそらく、シャザードだな」
私が観た映像でも、あれは確かにシャザードだった。間違えるわけがない。
「これは偶然じゃないわね。レイはシャザードの侵入に気がついた。だから、魔力の痕跡を追っていたのよ」
シャザードが姿を現わした。軍師として、北方の軍部に加担しているんだ。レイをおびき出すための作戦かもしれない。
「王宮の事情が筒抜けだなんて……」
クララをアレクの部屋に送ったのは、一昨日の夜。それを知るものは限られている。私とアレク、そしてレイとカイル。あとは侍女長だけ。情報を漏洩するような者はいない。
可能性としてはシャザードの使い魔。結界の小さな綻びから、すり抜けるように入ってくる輩。
「セシル、至急、魔術師たちを集めて、結界を検分してくれないか」
レイの結界に穴が? まさか、そんなことあるわけがない。これほど強固な魔法に、そんな不備が生じるなんて!
とにかく調べてみなければ、何も分からない。私はアレクの命令を伝えるため、執務室へと向かった。そして、そこにいた側近たちに、アレクの命令を魔術師たちに伝えてもらうよう頼んでから、私はすぐに部屋に引き返した。
結界を壊さずに中に入るには、結界を張った者の魔力が必要。シャザードなら自分の魔力をレイの魔力に変えて、使い魔に付与できる?そんなことが可能なの?
部屋に戻る途中で、侍女長に出くわした。クララの診察は無事終了し、今はアレクとローランドがついているらしい。
首元の痣は怪我ではなく、敵が触れた痕跡もない。靴を履かずに藪の中を走ったので、足に怪我をしてしまったということだった。
つまり、胸元の着衣の乱れとキスマークは、ローランドの仕業だ。思ったよりも、手が早い。アレクにローランドの爪の垢を飲ませてやりたいくらいに!
でも、これでよかったのかもしれない。クララがローランドを受け入れたならば、これで乙女の選択はなされたということ。この世界の宿命は決まった。クララはもう、シャザードの標的にはならない。
それに、これであの二人の婚約も結婚もすんなりと運ぶ。クララがローランドの魔力をその体に宿せば、シャザードがそれを見逃すはずはない。愛妾疑惑も早々に解消できるだろう。
私はそんな風に楽観視していた。もちろん、現実はそんなに甘くなかった。




