75. 道化師たちの業
レイのことは、考えないようにしよう。今までだって、レイは一人で遠くに行っていた。そして、私は無事を祈りながら、彼の帰りを待っていたのだ。
今回だって同じこと。何も変わらない。
そう思うのに、どうしても嫌な胸騒ぎがする。レイは死ぬ気なんじゃないか。戻る気がないんじゃないかと。どうしても、そう思えて。
「婚約を前倒しにしよう。秘密裏にことを進める」
「同盟調印式は、後回しでいいわ。婚約の事実さえ公になれば」
婚約が成立すれば、両国に姻戚関係が生まれる。辺境に援軍を出しても、不適切な干渉にはならない。
二大国が揃って動けば、様子見をしている列国も態度を決めるはずだ。
お父様が国外逃亡する前に、なんとしてもこの国が味方であることを知らしめたい。それだけでも、国民はどれほど安心するか。
王族に見捨てられていないと分かれば、逃げ出すものも減る。踏みとどまってくれる。
「宰相様に連絡するわ。彼ならうまくやってくれる」
「そうか。任せるよ」
我が国がこちらについたと知れば、北方はどう出るか。フローレスお姉様と姪のへカティア、駐在大使の命は保証できない。
いいえ、大丈夫。殺しては意味がない。殺戮が見せしめになるほど、あの国にはまだ他の国からの人質はいない。
きっと、取引に利用しようとする。まだ、奪還できるチャンスはある。そう思いたい。そう信じたい。
「セシル、顔色が悪い。もう休んだらどうだ」
そういえば、なんだか頭痛がする。昨夜、飲みすぎたせいかしら。それとも、礼拝堂で泣いたせい?
「ありがとう。部屋に戻るわ」
「では、護衛を」
「そうね。カイル、付いてきて」
アレクの言葉に甘えて、護衛にはカイルを使命した。クララがいないので、カイルは円卓の騎士として執務室に詰めている。
ちょうどいい機会だ。レイのことを話しておこう。
回廊に人目がないことを確かめてから、私はカイルに話しかけた。
「レイは発ったわ。しばらく、戻らないかもしれない」
「存じております」
「どうして……。レイに会ったの?」
「今朝、偶然ここで。魔道士のなりで旅支度をしておりました」
よかった。レイはカイルにも会えたんだ。
「私には、引き止められませんでした」
「そうでしょうね。何か言っていた?」
「自分は消えると。王女様の憂いを断ち切るために」
そんなことを。カイルにだけは、レイは本音を言えるのね。
レイは私の弱点。彼の命を守るためになら、私はなんでもしてしまう。それが敵に突かれる隙となる。
レイは本気で、自分がいなくなれば、私がアレクと幸せになれると思ったのかもしれない。そんなわけはないのに。
「勝手なものね。ばかな男」
「そう言ってやりました。たかが女のために、お前は根っからの道化だと」
「ふふふ。そんなこと、お前に言われてもね」
「同じことを、レイにも言われました」
カイルが愛するクララは、アレクから離れてローランドの元に渡った。それでも、カイルはただ彼女を見守っている。彼女の幸せだけを願って、見守り続けている。
「死ぬなと言ったら、レイは、また会おうと答えました」
「そう」
「孤児院を出るときも、同じセリフを。また会おうと」
「ええ」
「そして、また会えた。だから、今度も必ずまた再会する」
カイルの優しさが、心の中に流れてくる。私を元気づけてくれている。
「お前は悪くないわ。クララは見る目がないのね」
「……恐れ入ります」
従弟だからだろうか。カイルには不思議な懐かしさを感じる。会ったこともない叔父様の落し胤。
一族に流れる呪われた血に、強すぎる魔力が共鳴するせい?まるで息子……って、変ね、まだ子供を生んだこともないのに。
「王女には、前世の記憶がありますか」
カイルが唐突にそう質問してきた。前世の記憶?
「さあ。生まれる前のことは、覚えていないわ」
「そうですか」
明らかに落胆した声だった。前世の存在は信じている。でも、私は何も記憶にない。
「お前にはあるの?」
「どうでしょう。前世など夢物語ですから」
たしかに、物語の世界に多い話。でも、おそらくそれは賢者の秘事。時空を超える賢者には、きっと普通の人間とは違うものが見える。
「気になるのなら、西の賢者に聞くといいわ」
「西の賢者ですか。ご高名だけは、聞き及んでいます」
おばば様を知らない人はいない。この世界に残る最後の賢者。この世の神秘を解き明かし、その秘密は彼女と共に、永遠に葬られることになる。
「私の恩師なの。お前が望むなら、紹介するわ」
「いつか。そのときが来ましたら」
クララの幸せを確信するまで、カイルはここを動かない。他の男を愛して、別の男の許婚となっている女のために、命をかけるつもりなんだろう。
「お前は、本当に道化なのね」
「あなたには、言われたくはないですね」
その通り。愛するレイを死地に赴かせ、クララを愛するアレクと婚約する。運命のマリオネット。道化師は誰でもない私だ。
「ご無礼を」
カイルが急いで謝罪したので、私はなんだかおかしくなった。思わず笑みが漏れる。
「お前は面白いわ。気に入りました」
「ありがたき幸せ」
カイルと別れた後も、私は前世のことを考えていた。輪廻転生。同じ業を持って生まれ変わる魂。
宿命の乙女も、そうなのかもしれない。シャザードが望む道を選択できる魂。過去世で失敗したなら、今世で捕らえようとしてもおかしくない。
レイのベッドに横になると睡魔が襲ってきた。眠れるときに眠っておくほうがいい。この先、何がおこるか分からない。眠れない夜をレイを想って過ごすより、夢でレイに会えたほうがいい。
目が覚めたときの言いようのない寂しさ。それを考えないようにして、私はつかの間の夢の世界に、慰めを求めたのだった。




