74. 騎士の誓い
この短剣は、王族にだけに与えられる秘宝。正式な儀式で賜った本人にしか、手にとることができない。主のオーラに溶け込み、命令によってのみ姿を現す魔剣。
王女の身分を得たときに、その儀式でお父様から下賜された。王族として生き恥を晒すことがないように。潔く死を選べるようにと。
たぶん、お姉様はこれを使って死ぬつもりだった。教官と運命を共にするつもりで。
死を覚悟したお姉様は、今は北方で囚われの身。何がどうなっているのか、なんの手がかりもない。
「求める者よ。その名を告げよ」
「我が名はレイ。貴方の御名は」
「我は、セシル・アナリーゼ・バイルトラウト・フォン・ロキシアリフ。王の血を引く者なり」
儀式は契約。互いの名を縛るところから、すべてが始まる。
「与える者よ。我が願いを聞き入れたまえ」
「レイ、汝が望みを告げよ」
私は求めに応じて、レイの願いを問う。
「我を臣下に。騎士の叙任を」
「汝、我が騎士となることを望むか」
「それを望む」
私は短剣を鞘から抜いた。主の呼びかけに応えて、剣はピンっと澄んだ音を立てる。
レイの騎士の儀式をするときには、この剣を使う。ずっとそう決めていた。
「汝、このときを以って死す」
「御意」
私は短剣を天に高く掲げ、刃を横にしてから、レイの両肩に当てる。右肩、左肩と。
「汝、この剣を以って蘇る」
「わが主君に、永遠の忠誠を」
レイの誓いを受けて、その鼻先に私は短剣の切先を向けた。主に殺されてもいいと。その心意気を見せる儀礼。レイがその刃に接吻を落とす。
「我、汝を騎士に叙す」
正式な騎士爵の叙任。使用された剣は、騎士の証として下賜される。生涯の忠誠に対する報償として。
短剣を鞘に収めてから、レイに手渡すと。その意味を知って、レイが目を見開いた。
「セシル、この剣は!」
「私の代わりに、これを持っていって」
「王家の秘剣。こんなもの、受け取れるわけが……」
貴方は王婿。私のただ一人の夫。たとえ、この身が誰のものになろうとも、この心はレイだけのもの。生涯、それは変わらない。
だから、貴方は王家の一員。その剣を持つ資格は十分にある。
なにより、正式な儀式で下賜された魔剣は、もうレイを主と認めている。手放すことはできない。
その証拠に、短剣はレイのオーラに溶けるように、空に消えた。
「その剣を、貴方の守り刀に。私の騎士の証として」
「ありがたき幸せ。必ず、王女の御心に添いましょう」
儀式はこれで終わりだった。レイは行ってしまう。生死を分ける戦いに、その身を投じる。
立ち上がったレイは、私を優しく抱きしめた。レイに触れるのは、もうこれが最後かもしれない。今度こそ、二度と会えないのかもしれない。
「俺のわがままを、聞いてくれてありがとう」
レイは耳元でそう囁いた。わがままを聞いてもらったのは私。今日までずっと、レイを独り占めにしてきた。
他国に嫁ぐというときにまで、レイは私に従ってきてくれた。側にいてくれた。
私はとても幸せだった。レイと共に過ごした時間は、私の宝物。消えることのない記憶として、この心に刻みついている。
「ご武運を」
声が震えて、もうそれしか言えない。何を言えばいいのかも分からない。
「セシル、笑って。俺が惚れた笑顔を、ずっと覚えていたい」
レイはそう言うと、私の頬を伝う涙を親指でぬぐった。
そうだった。教官もお姉様に同じことを言った。だから、お姉様は最高の笑顔を見せて、教官を死地へ送り出したんだ。愛する人の旅の門出を祝うために。
レイは私を胸から離すと、アレクのほうに歩いていった。私たちに気を使ったのか、アレクは出口のほうを向いて、私たちに背を見せていた。
「殿下、お時間をいただき、感謝しております」
アレクが差し出した手を、レイは強く握る。共に戦う友として、私たちはみな同じ道を探していくんだ。平和へと続く長い道を。
「セシルのことは心配ない。私が必ず守ると誓おう」
アレクの言葉を聞いて、レイは安堵したように頷いた。
そう、私のことは心配しなくていい。レイは自分のことだけを、教官の魂を救うことだけを考えればいい。
そして、そのために私ができることは、レイを笑って送り出すことだけ。最高の笑みが、レイへの餞となる。
そして、レイが返してくれるその笑顔が、私を生かす糧となる。
最後に微笑み合えた私たちは、不幸せなんかじゃない。たとえ、死が二人を別つとも、それは肉体が滅びるだけのこと。この魂は、永遠に共にある。
「今は、これまで」
レイはマントを翻し、そのまま一度も振り返ることなく、礼拝堂から出ていった。
これでいい。ようやくレイを送り出せた。それでも、私はしばらく、その場を動くことができなかった。まるで、足が石になってしまったように。
ようやく動けるようになったとき、私は祭壇に向かってひざを折った。レイの無事を祈る。それだけはしておきたい。
アレクは何も言わずに、そんな私を見守ってくれた。
「アレク、ありがとう」
今までもこれからも、私たちは人生の戦友。王族としての使命を全うする。私はそのために生まれてきたんだから。
私が生きる意味。それをレイが教えてくれた。だから、私は生きる。生き延びてみせる。
「執務室に戻りましょう。私たちには、私たちの戦い方があるわ。あなたが戦友でよかった。レイは……いえ、民はみな、私たちが守る」
アレクはただ頷いただけだった。
もう逃げない。逃げたりしない。私は王族として生きる。レイが帰ってくる世界を守るために。
私の中に、ようやく根ざした王族としての覚悟。それが、レイのいない世界の喪失感を埋めるように、心の中に染み渡っていった。




