72. 乙女の信奉者たち
クララは王宮を出て、予定通りに休暇に入った。あんなことがあったのだから、もう戻ってこないかもしれない。
昨夜はいつの間にか、レイのベッドで眠っていた。でも、目覚めたら一人だった。夜中のうちに、レイはどこかに出かけてしまったようだ。
婚約式まであと十日。シャザードは相変わらず姿を見せず、辺境は膠着状態。そろそろ北方が動いてもおかしくない。
朝食を運んできた侍女長から、最新のニュースがもたらされた。
「お父様が?この国に来るの?」
「はい。婚約式に列席されるそうです」
この時期に王宮を空けるなんて! まさか、この国に逃げ込むつもり?国王が消えた王都を、一体誰が守ると思っているの?
「分かったわ。詳しいことはアレクと話します」
朝食もそこそこに、私は急いでアレクを訪ねた。昨夜のことがあるので、顔を合わせづらい。でも、そんなことを言ってはいられない。アレクの協力がなければ、我が国は北方に飲み込まれてしまう。
「そろそろ来ると思っていたよ。聞いたんだな」
アレクは私の顔を見ると、いつもよりもずっと優しい笑顔を浮かべた。たぶん、私に気を使って。
「お父様が来るなら、婚約なんてしなくていいわ。同盟に調印するたけで」
「だが、王が国を空けたら、北方が入り込む。友好国の治安維持のためと言えば聞こえがいいが、要は占領だ」
「分かっているわ。なんとしてでも阻止しないと」
「私と婚約してでも?」
「あたり前だわ。民の命がかかっているのよ。逃げ出した王族の代わりに、国と運命を共にさせるわけにはいかない」
彼らには逃げるところがない。戦う術もない。王都に残った臣下たちが、国王がいない状態でどこまで持ちこたられるのか。宰相様が苦境に立たされる。
「君は、王族の中でずっと冷遇されていた。それなのに、誰よりも王族なんだな」
「見直した?」
「ああ。惚れ直したよ」
「ばかね」
アレクは生まれながらの王族。民のために国のために、己の人生を捧げる。その覚悟を持って、生きてきた。私と婚約するのは、その場しのぎの嘘じゃない。心から国を思っているアレクらしい決断。
「心配しなくていい。君の国は、同盟国となるんだ。私が全力で守る」
「私の国のことは、私がなんとかするわ」
「そうはいかない。こっちは辺境への援軍を用意してもらってるんだ」
「宰相様の采配よ。北方を抑えるには、この国は兵力が足りない」
「そのせいで、君の国は王都の守りが手薄になる。国王陛下を逃がすのは、そのせいだろう」
宰相様は、自分が王都と共に落ちても、お父様を生き延びさせようと。そのために、自分の命を捨てるつもりなんだ。
「北方がどこを突いてくるのか分かれば。向こうだって、辺境と我が国を一気に攻めることはできないわ。情報さえ手に入れば……」
「無理だ。この国の諜報部員は、誰一人として戻らない。君の国だって、おそらく結果は同じだろう」
シャザードの結界をくぐり抜けて、北方の情報を得る。そんなことができるのは……。
「レイなら、北方に潜り込めるかも」
「セシル、今は考えなくていい。まだ時間はある。策を練ろう」
レイを行かせたくない。死なせたくない。今まで、それしか考えてなかった。でも、それでいいの? レイが生き残れば、後は誰がどうなっても?宰相様を犠牲にして、国民が殺されて、アレクを一人にして。
「レイと話し合うわ。彼の考えを聞きたい」
「よさないか。君たちを引き離したくない。いずれ婚約は解消する。それまで堪えてくれ。悪いようにはしない」
自分はクララを手放したのに、私にはレイを離すなと?お人好しのばかアレク! あなただけを一人にはしない。クララがいないなら、私がそばで支える。
「先のことは、そのときが来たら考えればいいわ。今は現状打破を目指しましょう」
アレクのために、クララだけは守り抜く。彼が表立って何もできないのなら、私が彼女の守りを固めてみせる。
アレクと一緒に執務室に入ると、ローランドとカイルが目に入った。クララを守れる男たち。どちらであっても、クララをシャザードの標的から外せられればいい。
まずは、ローランドから。魔力では劣っているけれど、クララに命を賭けられる男だ。信頼して任せられる。
毎朝、ローランドから報告を受けるのに、今日はアレクは会議に入ってこなかった。絶好のチャンス!
「今日は気もそぞろね。ああ、そうね。クララが里帰りしたから?」
ローランドは思った通りの反応をした。クララのことで頭の中がいっぱいだ。単純で分かりやすい男は悪くない。
「クララは、愛されていて羨ましいわね。休暇中だし、会いにいったら?アレクには、私から言っておくわ」
ヘザーには可哀想だけれど、この男がクララを保護してくれるなら。シャザードの目論見を阻止してくれるなら。
「休暇をあげましょう。せっかくだから、遠出でもしてきなさいな」
「今、王都を離れるのは、危険ですので……」
許婚のあなたと一緒にいれば、クララの隠れ蓑になる。それなら、王宮から遠いほうがいい。アレクと無関係だと思われれば、シャザードに目をつけられることもない。
そのとき、応接室に突然アレクが入ってきた。
「レイが待っている。礼拝堂に来てくれ」
礼拝堂?なんで、そんなところに……。胸がどきどきする。嫌な予感がする。
「今、行きます。ローランド、じゃあ、もうこのまま、帰って。休暇をあげるから、クララと気分転換をしたらいいわ」
私の言葉を聞いて、アレクは嫉妬丸出しでローランドに牽制した。
「休暇中も我が側近として、節度を持った行動をしてくれ」
ええカッコしいアレク。全然クララを諦めてないじゃないの!男ってこれだから。
アレクの様子に苦笑しつつ、私はレイの待つ礼拝堂に向かう足を速めたのだった。




