71. 戦友の資格
「お前はどうなんだ、レイ。セシルを愛しているのか」
私が大人しくなったので、アレクはレイに質問を投げた。レイは目を伏せて、静かに答える。
「命に代えましても」
レイのバカ!私が何よりも守りたい命を、どうして私のために捨てるのよ!なんでそうなの?どうして、大人しく守られてくれないのよ!
レイの言葉を聞いて、アレクは私から離れた。
「見事な覚悟だ。セシルを頼む」
「心得ました」
そんな覚悟いらない。私のために、レイに犠牲になってほしくない。私は何を間違えてしまったの?こんなことじゃ、いつの日か私がレイを破滅させてしまうかもしれない。怖い。
私と話し合いたいというアレクの希望で、レイはそのまま寝室を出ていった。ドアが閉まって静寂が訪れると、アレクは私の隣に座った。
「手荒なことをしてすまなかった」
「いえ」
この婚約は、アレクにはとんだとばっちりだった。クララにも。二人はきっと一生、私のことを恨み続ける。生涯、許されることはない。
それなのに、アレクはいつもと変わらず優しかった。ナイトガウンの上から、そっとブランケットをかけてくれる。
「もっと、私を信頼してくれないか? 私は何があっても、この国も君も裏切ることはない。だから、恐れずに私を信じてほしい」
「アレク、私は……」
アレクのことは誰よりも信頼している。いい友達だと。なのに、レイを危険な目に合わせたくなくて、アレクの幸せを犠牲にした。
正妃としてアレクを支える気なんて、これっぽっちもなかった。偽装婚約のつもりで。平和になったら、逃げるつもりでいた。
最初から、アレクの信頼を裏切っていたのは、私なのに。そんなことを言ってもらえる資格は、私にはない。
アレクにはきっと、何もかもお見通しなんだ。私の思惑にも気づいているのに、信じてくれと、怖がるなと言ってくれている。
「君はクララが、王宮に戻ってこないことを怖れたんだろう。だから、あんな強行手段に出た。私のために」
彼女の存在が、アレクの心の支えになる。生死を賭けた戦いになったとき、クララがいればきっと生に執着する。
共にシャザードと戦うために、アレクの力がどうしても必要だった。そして、勝つことに執念を持ってほしかった。
でも、それはレイのため。彼の命を守りたいだけのため。
ナイトガウンを握りしめると、その手にアレクが自分の手を重ねた。
「心配しなくていい。私はクララを、自分のものにするつもりはないんだ」
「アレク……」
「私たちは王族だ。使命がある。一個人としての幸福を求めてはならない。だが、君は同じ苦しみを理解し合える、唯一の友だ。私と一緒に戦ってくれないか」
レイを諦めることができない。だから、私はこんな風にあがいている。そして、それがレイを危険にさらしてしまう。
すべてを手に入れることはできないんだ。何かを諦めなくちゃ、大事なものを守れない。
アレクは泣いている私の肩を抱いて、優しく言った。
「もう無理はしなくていい。君は一人で頑張りすぎだ。こんなに酔うほど、罪悪感に苛まれる必要はない」
本当はずっと怖かった。クララを得られなかったら、アレクに見捨てられてしまうと思った。助けてもらえないと。お姉様も、私の国も、レイも。
「ごめんなさい」
部屋から出ていくアレクの後ろ姿は、さびしそうだった。たった一人で、アレクは戦う決意をしたんだ。アレクはクララがいるこの国のために、自分の恋心を捨てた。それが王族の覚悟。
レイの命を守りたいなら、私も命を賭けなくちゃいけないんだ。それこそ人生を賭けて。
「大丈夫か」
レイが戻ってきた。戻ってきてくれた。私は思わず、レイに向かって駆け出した。
「レイ、どこにも行かないで!お願い」
私を抱きしめたまま、レイは何も答えなかった。もうレイを引き止めるのは、無理なのかもしれない。
シャザードはレイの師匠。家族のいないレイには、共に時間に過ごしてきた兄か父のような存在。命を賭けるような局面で、何度も互いを守り頼って、共に生き抜いてきた。
誰よりもレイが教官を救いたいはずだ。私のことがなければ、レイはきっとシャザードと対峙する道を選ぶ。損なわれたまま、迷う魂を救うために。
たとえそれが、シャザードの死を意味するとしても。教官を闇から解き放つことが、救いとなることを信じて。
「セシル。よく聞いてほしい」
レイの指が、梳くように優しく髪をなでる。その声の柔らかさが、これから告げられる言葉がつらいものであることを予期させる。
「どんなことになっても、俺はセシルを……」
「レイ、やめて。それ以上、言わないで!」
私は手で両耳を塞いだ。レイはその手の上に、自分の手を重ねた。そして、声に出さずに、魔伝で先を続けた。
「俺はセシルを愛している。何があっても、一生愛し続ける。それだけは、忘れないでほしい」
聞きたくない。聞きたくないのに。これはまるで別れの言葉。レイが行ってしまう。
「いやよ、レイ!側にいてくれないなら、レイのことなんて忘れちゃうからっ」
こんな言葉、言いたくない。言いたくないのに、言わずにはいられない。どうしても、レイを失いたくない。たとえ結ばれなくてもいい。生きていてくれさえすれば、それだけでいい。
そのために、私はどうすればいいの?誰か教えて……。
『ねえ、セシル。男の方が自分で決めたことを、邪魔してはいけないわ』
お姉様の言葉が胸に蘇る。今の私は、あのときのお姉様と同じ立場。でも、お姉様のように笑って見送るなんてできない。だって、私はレイを……。
『愛しているからよ。望む道を歩んでほしいの』
レイが望むこと。それを受け入れられないのは、私の愛が足りないからなの?お姉様、私はどうしたらいいの?
レイはきっと、私の元を去る。その日はそう遠くないと、確信に近い予感がした。




