70. 王族の覚悟
「アレク、血相を変えて、どうしたの? 」
理由は察せられるけれど、とぼけてみた。でも、そんなことは、当然アレクに通用しない。
「一体、何の真似だ?」
アレクが怒っている。かなり怒っている。私は覚悟を決めて、グラスのワインをぐっと煽った。
クララを行かせてから、まだ、それほど時間は経っていない。つまり、作戦は失敗してしまったということ。
自制心だけは人一倍強いと思っていたけれど、ここまでとは思わなかった。これじゃ、クララが逆に気の毒だ。それなりに、覚悟も期待もしていたろうに!
「プレゼント、気に入らなかった?」
「当たり前だろう!」
ばかアレク!せっかくのチャンスを逃すなんて。急がないと、クララは誰かに取られちゃうのに!
アレクが引き受けないのなら、別の男に任せるしかない。どうしても、クララを誰かに守らせる必要がある。
彼女は『宿命の乙女』。世界の道筋を決める、次代の巫女。シャザードが知ったら、どんなことになるか想像したくない。
「女に恥をかかせるなんて、ひどい人ね。彼女が不憫だわ」
愚痴の一つも言わせてよ。せっかく、私一人を悪者にして、二人が結ばれる絶好の機会だったのに! これでは、私が恨まれ損だ。
私の言葉に、さすがのアレクも怒りが爆発したようだった。私の手首を掴んで、寝室に引っ張って行く。
ワイングラスが床に落ちて割れて、血のような跡を残した。
「痛いわ!乱暴はやめて!」
ベッドに投げ倒されて、さすがに私も憤りを隠せなくなった。こういうことは、する相手が違う!
「殿下。お控えください」
いつの間にか、別室で控えていたレイが、アレクの後ろ手を押さえていた。誰であろうと、私に暴力を振るうものは殺す。そういう目をしている。
「無礼者が。控えろ!」
アレクは、レイの手を振り払う。
この国の王太子は、軍の指揮も任される。戦闘訓練を受けているアレクが、レイの殺意に気が付かないはずはない。
隣国の騎士が、王族を殺そうとしている。暗殺未遂と取られれば、レイの命が危ない!
「レイ、やめて」
思わず声が震えた。ダメよ、レイ。すぐにアレクから離れて!
私の命令で、レイはアレクの手を離して、その場に跪いた。
大丈夫。まだ大丈夫。まだ、うまくこの場を収められる。落ち着いて、落ち着いて。主人である私が、レイの代わりに丁重に謝罪すればいい。
「殿下。部下の非礼をお赦しください。レイ、下がっていて」
アレクのことは、私がなんとかする。だから、ここは引いて!
「私の役目は、王女様をお守りすることです」
「レイっ!」
どうなってるの?アレクだけじゃなく、レイまでも! 二人とも、どうして私の言うことを聞かないのよ。
アレクは私を押し倒したかと思うと、覆いかぶさるようにして両手首を掴む。
「アレク、悪ふざけはやめて!」
「なぜだ?これは君が、クララにしたことだろう」
全く違う。これは単なる懲罰。私たちの間に愛はないし、こういう行為にも意味はない。
でも、クララはアレクを好きなのよ。私のせいで、それを隠しているけど。そして、アレクも同じ。私のために、愛し合う二人が引き裂かれる。
レイを北方に行かせたくない。シャザードと戦わせたくない。だから、私はこの婚約をゴリ押しした。そのせいで、アレクとクララは別れることになってしまった!
レイが剣に手をかけたので、私は急いでそれを制止する。
「レイ、ダメよ。すぐに出ていって!」
剣を抜いたら、言い訳ができなくなる!あなたの命が危なくなる。そんなことくらい分かるでしょう?
「できません」
アレクがまるで見せつけるように、私の首筋に唇を這わせた。
「いい心がけだな、騎士よ。そこで一部始終を見ていろ」
アレクは歪んだ笑みを浮かべたまま、私の両手を片手で頭上に押さえる。そして、もう片方の手で、私の頬を撫でた。
アレクらしくない仕草。その瞳には、欲情の欠片もない。レイを挑発して、その忠誠心を試しているだけ。
もしも、アレクの期待を裏切れば、レイは処刑されてしまう。
「レイ、お願いよ。出ていって」
私がアレクを怒らせたせいで、レイが処刑されてしまうかもしれない。そんなことを考えただけで、恐ろしさに声が震える。
それなのに、レイは剣に手をかけたままで、私たちをじっと見据えている。
「命令よ!出ていきなさい!」
お願い。レイを危ない目に合わせたくないの!あなたの命を守るためなら、私なんてどうなってもいい。
いつの間にか、私は涙を流してレイに懇願していた。それなのに、レイは動かない。
「アレク、もういいわ! 貴方の好きにすればいい。でも、レイの前ではやめて」
なんとか、この場だけでも丸く収めなきゃいけない。アレクが私に罰を与えたいなら、与えればいい。アレクには、その権利がある。でも、レイは関係ないの!
「彼を愛しているからか」
アレクにそう問われて、私は答えに詰まった。私の望みは、全てがレイに向かっている。アレクはそれを見抜いて、私の偽善を責めている。
アレクやクララのためなんて大嘘だ。私は自分のことしか考えていない愚か者。恋を失う覚悟もなく、信頼してくれる友や部下、支持してくれる民も欺いて。
そんな人間が、誰を救えるというのか。私は国を危うくしている。判断を間違えば、レイだけじゃなくて、多くの命が犠牲になる。アレクはそう言っているのだ。
私は抵抗を止め、力を抜いた。王族として、完全に私の負けだった。
進度調整のため、本日「クララ」は投稿はありません。
連絡が遅くなってすみません。




