64. アレクの秘宝
「あの子、クララをどう思った?アレクの女神よ」
夜会用ドレスに着替えながら、私はレイに意見を求めた。レイはコルセットの腰リボンを結んでいる。
「厄介な女だ」
レイの口調が、元に戻っている。クララが気に入らないの?
「綺麗な子じゃないの。優しそうだし」
「あれは、普通の女じゃない」
私はレイのほうを向いて、その両頬を手で包んだ。
「どういうこと?刺客なの?」
「そうじゃない。秘宝だ」
「え、やだ。レイもあの子が?」
嘘でしょう? 私以外の女を、レイが崇拝するなんて!
私の顔色が変わったのを見て、レイは慌てて言い添えた。
「そういう意味じゃない。あの娘は巫女。宿命を紡ぐ乙女だ」
宿命の巫女? 異次元でシャザードが狙っていた。おばば様は、先代の乙女は死んだって。
次代の乙女は、まだ選ぶべき道の分岐点に到達してないはず。それがクララなの?
詳しいことは、夜会の後で。そう思っていたのに、アレクの部屋に足止めされた。
そして、思いっきり怒られた。想定以上の剣幕。アレクでも怒鳴るんだ。
「一体どういうつもりなんだ!」
侍女の選定は、すでに宣言済み。同盟国の王女の意向を無視できるわけがない。要するに決定事項。
「侍女を選びたいって言ったでしょう?」
「愛妾候補だと聞いた」
自然とため息が漏れる。どうやって言いくるめよう。私との婚約は形式だけだから、アレクの恋を応援したい……なんて、言えないか。
北方問題が片付かない限り、私たちの婚約同盟は必須。解消の見込みもない。でも、そのせいでクララに逃げられたら、アレクが不憫すぎる。
「女性には大出世コースよ」
クララは男爵家の出。それほど裕福ではないと、調べはついている。しかも、相思相愛で結ばれるんだから、いい事づくめ。我ながら隙のない理論。天才!
なのに、アレクは納得しない。側室や異母兄弟の弊害を説いてくる。仕方がない。嘘も方便だ。
「私は子が産めないの。最初から産むつもりもないけれどね。人質は一人で十分よ。でも、貴方には後継者が必要でしょう」
正確には産めないわけじゃない。魔力が反発しないように、訓練を受ければ可能性はある。
でも、私にアレクの子を産む気はない。この国の後継者に、父王の血を入れてはいけない。じゃなければ、この国までも、お父様の思い通りにされてしまう。
「本気で言っているのか?私が君を人質だと?」
「貴方のことじゃないわ。北方よ。そして私の父」
アレクは最後の詰めが甘い。それを自覚できなければ、必ず足を掬われる。
「この婚約が整えば、北方への抑止になるはずだ」
私はアレクのシャツの襟を掴んで、グッと自分に引き寄せた。
「北方は容赦ないわ。父もよ。知っているでしょう?」
「分かってる。だから、こうして策を練っているんだろう」
励まそうとしたのか、アレクは私の手を握った。
これだから、アレクは嫌なのよ。いつもは腹黒いくせに、変なときに誠実で!アレクに良かれと思っているのに、私が悪いみたいじゃないの。
いたたまれなくなって、私はアレクから目をそらした。
「とにかく、まずは北方だ。子供のことは、後々考えればいい」
アレクの言葉を否定して、私は彼の手を振り払う。今は恨まれても、いつかきっと感謝される。そう信じて。
「貴方は優しすぎる。あのクララって子が好きなんでしょう?」
「そう思ったことはある。だが、妻に望んだことはない」
嘘はつかない模範解答。お堅い王子は鉄壁。これじゃ、クララも困るはず。男がある程度ガンガン行ってあげないと、女は受け身なんだから!
これは先が思いやられる。アレクの恋の成就は、思った以上の大仕事だ。ため息しか出ない。
「貴方が望まなくても、北方は望むわね。政敵の唯一の泣きどころよ。放っておくわけないでしょう」
これだけは理解しておいてもらわなくちゃ。その無垢な恋心を利用するのが北方。
「まさか、クララが狙われるとでも?」
アレクの顔色が変わった。まさか、本当に今の今まで気がついてなかったの?
どうしよう。怜悧な王子も恋の罠には全く疎い!
「本当に甘いのね。侍女として王宮に入れば、彼女を守りやすくなるわ」
「それは……、考えが及ばなかった。だが、彼女を側室にする気はない」
ここまで言ってもダメなんて! 荒療治が必要だ。プレッシャーをかけないと、この男はもたもたするばかり。
「それなら、いますぐローランド、あの宰相の子息と結婚させなさい。彼の子を産めば、もうあの子の心配はいらない」
アレクの顔が、さらに険しくなった。ようやく、実感が湧いたってとこ?
貴方が手折らなければ、別の男に摘まれてしまう。それがあの子の未来。それを受け入れられないなら、さっさと自分のものにするしかない。
「無理でしょう。クララは私の侍女に上げる。もう、それしか彼女を守る方法はないの」
このぐらい言えば分かったはず。この先の後押しはクララが来てからでいい。
「あの子は、王族を理解して支えられる器がある。あまり見くびらないほうがいいわよ」
クララの『真実の愛』の感想。あれは王族の目線だった。王族の悲哀は、素敵なメロドラマじゃない。その人生は、苦難と苦悩の連続だ。
彼女はそれを理解できる。きっとアレクのいい伴侶になる。
「セシル。君だって、叶わぬ恋をしているだろう」
アレクから反撃が来た。予想はしていたけど、やはり来たか。
「ええ。しているわ」
「これでいいのか?王女なら他にも……」
「アレクは、本当にお人好しね」
相手がアレクじゃなかったら、私はひどい目にあっていた。この国で私が尊重されるのは、アレクが私を丁重に扱ってくれるから。
だから、アレクには幸せになってほしい。そのためには手段を選ばない。私はそう固く決意していた。




