61. レイの嫉妬
「湯浴みをするわ。支度をして」
アレクとの遅い朝食の後で、私はようやく自分の部屋にたどり着いた。
「少し、眠りますか」
「そうね。夕方から謁見とパーティーがあるの。その前に横になりたいわ」
侍女やメイドたちは断って、レイに世話をしてもらう。敵か味方か分からないのに、うかつに部屋に人を呼び入れることはできない。誰が刺客であってもおかしくない。
「湯殿の準備が整いました」
広い部屋の真ん中に、ぽつんと置かれた陶器の大きなバスタブ。カーペットに直接つかないように、四つの足で支えられている。
蛇口も付いているけれど、今日はレイが魔法でお湯を張ってくれた。どこから引いたのか分からないような水は、まだ使うべきじゃない。
「ありがとう。服を脱がせて!体を洗ってちょうだい」
「承知いたしました」
レイに背中のボタンを外してもらうと、私はコルセットを蛹のようの脱ぎ捨てた。レイの手で支えられて、お湯の中に入る。
温かいお湯には、薔薇の香油がたらしてあった。いい匂い。いい気持ち。身を横たえると、そのまま眠ってしまいそうだった。
「髪をお洗いしましょう」
レイが洗いやすいよう、私はバスタブの縁に頭を預けるようにした。髪から滴るお湯や泡は、カーペットの上の陶器のたらいに流れ落ちる。
「気持ちがいいわ。ありがとう」
「王女様の御為なら、いつでもよろこんで」
レイの結界なら、シャザードでも破れないかもしれない。それでも、念には念を入れるべき。人のいないところでも、レイと私は従者と主として振る舞う。
頭上から私を覗き込むように髪を洗うレイに、私はそっと腕を伸ばした。指をレイの後頭部に差し入れて、レイの唇が私の唇に触れるかの位置まで、ぐっと引き寄せる。
「王女様、お戯れを」
レイは無表情のままそう言った。吐く息に、アルコールが混じっている。普段はあまり飲まないのに、珍しいこともある。
もしかして、夕べはお楽しみだったの?私がいない隙に!娼館だったら許さないわよ!
「ワインの匂いがするわ。どこで飲んだの?」
「私の部屋で。古い友人との再会を祝して」
私が腕の力をゆるめると、レイは何ごともなかったかのように、洗い終わった私の髪を梳き始める。
「カイルっていう騎士?」
レイの部屋は隣。安全を確認したときに、かすかにカイルの気配を感じた。
「はい。もう十年くらい前の話ですが」
「ああ、複雑な家庭に引き取られたって言う?」
「彼は貴族です。その話は……」
孤児院にいたことは汚点かもしれない。でも、あのカイルという男は、そういうことを気にする風には見えなかった。
「劇作家じゃなくて、騎士になったのね」
「この国にいるとは知りませんでした」
大叔父様の落し胤が、なぜ他国の貴族に引き取られたのか。宰相様なら、きっと事情を知っている。お父様に気づかれる前に、素性を調べておくべきだ。
「向こうは?お前のことを覚えていたの?」
「はい。ずっと音信不通だったののですが……」
カイルは相当の魔力の持ち主。傍流とはいえ王族の末裔だ。一族の男子は例外なく魔力が高い。あの病弱な弟だって、量だけなら私と互角。
なのに、魔術師にならなかったのは、きっとその身を一族から隠すため。何か事情があるのかもしれない。
「ふうん。じゃあ、好きな子は?もう、あの村に連れて行ったのかしら」
「まだですね。意中の相手はいるようですが」
「そう。その子もきっと、あそこが気にいるわ。とても美しい場所ですもの」
それに、お父様の手も届かない。カイルが静かに暮らしたいなら、あの西の最果て以上に都合がいい場所はない。
「気が付いていましたか?」
レイが声を落としてそう言った。聞いているものなどいないのに。
「ええ。レイも?」
「はい。初めて王女様に会ったとき、彼との魔力の類似が気になって」
なんだ、そういうことだったんだ。レイは親友と同じ波長を、私の魔力に感じた。だから、私に目を止めたんだ。カイルにとって私が害にならないか、それを確かめようと。
「つまらないわ。私に一目惚れしたんだと思ってたのに!」
私が口を尖らせて身を起こすと、レイは私の肩に顎を乗せた。そして、後ろから覆い被さるようにして、スポンジで私の体を洗い始める。
「今更そんなことを。私の気持ちは、よくご存知でしょう」
胸やお腹に、円を描くようなマッサージ。つい色っぽい声が出てしまう。レイはわざとやっている。これは……お仕置き?
レイは私のひざをぐっと持ち上げて、太ももの内側にスポンジを走らせる。
レイの頭が私の顔のすぐ横にある。レイの胸に背中を押し付けられているので、身動きが取れない。透き通ったお湯では、体を隠すこともできない。こんな格好、いくらなんでも恥ずかしい!
「そ、そこは……、洗わなくていいわ!」
「アレクシス殿下が触れた場所は、全て清めさせていただきます」
「ばかっ!そんなところ、アレクには許さないわよっ」
私がそう言うと、レイの指が動きを止めた。よかった!こんなことをされたら、くらくらにのぼせてしまう。
「失礼いたしました。ずいぶん長い夜を、共に過ごされていましたので」
「会議をしていただけよ。寝てないわ」
「そうでしょうね。王女様からは、殿下の気配は感じられない」
やっぱりだ。知ってて意地悪をしている。とんだ悪戯者だ。従者が聞いてあきれるわ。
でも、嫉妬してくれたなら、ちょっとだけ嬉しい。
「もう出るわ。バスローブを」
ざばっとお湯を波立てて上げて立ち上がると、後ろからレイがバスローブをかけてくれた。
そして、レイはそのまま、私の濡れた首筋に唇を寄せ、舌を這わせたのだった。




