60. 婚約者アレクシス
馬車が止まり、先導していたレイが馬から降りる気配がする。レイが馬車のノブに手をかけた瞬間に、ピリッと空気が破れるような音がした。
私は真っ黒なコートを羽織って、そのフードで顔を隠す。そして、レイの手を取って、ゆっくりと馬車を降りた。
隣国の王宮の門をくぐるとき、結界を越した感覚があった。強い魔力。この中なら、襲撃の心配はないだろう。それでも、不穏な妨害波長や不自然な視線を感じる。
どうせ筒抜けなら、堂々とするほうがいい。私が何も気づいていないと、そう思わせる方が得策だ。私はわざと大げさな仕草で、頭からフードを外す。
闇夜だというのに、アレクの美貌は異彩を放っている。引き連れている側近たちも美形揃い。
高位貴族の妻は美人で、息子はその母に面差しが似るから?どんだけ面食いなのよ、この国の貴族は!
「お久しぶりね、アレク。会いたかったわ!こんな時間に、ごめんなさいね」
最初が肝心。末席とはいえ私は王女。臣下に舐められてはいけない。よそ行きの笑顔を作ってから、私はさも親しそうにアレクの首に腕を回した。
この国で頼れるのは、アレクの威光だけ。それなら、派手なくらいに、仲の良さを見せつけておくべきだ。
アレクは腕を回して、私の背中をぽんぽんと軽くたたいた。抱きつかれて驚いたはずなのに、そんなことはおくびにも出さない。
さすがに生まれながらの王族。肝が座っている。
でも、やっぱり居心地が悪かったらしい。さっさと私の腕を振りほどいて、アレクはその場に跪いた。
気持ちは分かる。恋人のフリなんて、はっきり言ってコメディだ。
「セシル王女には、ご機嫌うるわしく」
私が右手を差し出すと、アレクはその手の甲にキスを落とした。
この光景には覚えがある。もう何年も前、アレクが学院に視察に来たときだ。
同じ茶番を繰り返していると思うと、成長してない自分たちについ笑いが漏れる。
「相変わらずね。とにかく中へ入れてちょうだい」
手をあげて合図をすると、馬車と警護のものたちを解放した。そばに残ったのはレイだけ。
アレクの側近たちが、さりげなくレイを値踏みしている。レイは高名な魔術師。その功績は他国にも広く知られている。
「レイのことは気にしないで。私の従者よ。部屋に通しておいて」
アレクはレイと面識がある。軽く目で挨拶をした。
「カイル、案内を頼む」
そのとき、レイが急に警戒を解いた。こんなことは初めてだった。カイルという騎士は、私と同じ一族の血を引く男。レイはそれに、気がついたのかもしれない。
アレクは疲れて見える。そのせいなのか、ずっと大人びた雰囲気を帯びていた。
政局の危機で、疲弊している? それとも、あの子との恋がうまくいってないのかしら?
「部屋で、少し横になりますか」
「貴方の部屋に行きたいわ。いいでしょう?」
疲れているアレクには悪いけど、のんびりしている余裕はない。
「まだ、夜中とも言える時間帯。淑女が男性の部屋を訪ねると、あるいは醜聞にもなりかねませんが」
「気にしないわ。いいじゃない。私たちは婚約者でしょう? 」
「……承知しました」
まだ非公式ではあっても、私はすでに婚約者。むしろ、捨て置かれるほうが体面を保てない。同盟を結びたいなら、愛し合うフリくらいして当然。
それなのに、アレクはあからさまに困った顔をした。この私を目の前にして、その態度!今に見てなさいよ、二人っきりになったらイジメてやるから!
アレクの部屋に入ると、私はソファーに腰を下ろした。さすがに疲れた。これからずっと猫かぶらなくちゃいけないなんて、気が重い。
「ずいぶんやってくれるじゃないか」
「しょうがないじゃない。どうせ王宮中には、父と北方の手のものが入ってる。貴方の部屋くらいでしか、気が抜けないわ」
「確かに、ここは強固な結界が張ってある。それにしたって、わざわざああいう態度は不要だろう」
アレクの文句には耳を貸さず、私はコートを脱いでから、テーブルの高坏にもられたチョコレートを口に入れた。
「わあ、このチョコレート大好き。これが用意してあるってことは、貴方も私の夜這いを期待していたんでしょう?」
小悪魔っぽくウィンクをしてみた。もちろん、そんな色気はアレクには通用しない。盛大なため息をつかれただけだった。
「私の部下は、北方のことは知っている。演技する必要はなかった」
「敵を騙すには、まず味方から。ここも完全ではないわ。だからこのままで聞いてちょうだい」
私はソファーから立ち上がって、アレクの首に抱きついた。このくらい近ければ、誰の目にも抱き合う婚約者に見える。
盗聴も透視も、シャザードならできる。敵を侮っては、私たちが危ない。偽装婚約というのが知れたら、この同盟には意味がない。
アレクはようやく理解したのか、私の腰に手を回した。それでいい。
そのままの格好で、私は近況を伝えた。すでに王宮はもぬけの空であることも。
そして、アレクが語るこの国の状況も、思った以上に深刻だった。
私たちは日が昇るまで、寄り添ったまま軍議を続けたのだった。
『鈍感男爵令嬢クララと運命の恋人 ~ 選ばれし者たちの愛の試練~』の30話「婚約者セシル」と交差します。
隣国の王太子アレクの恋物語。
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