59. 既視感
それは不思議な物語だった。侍女のマリアが勧める異世界恋愛小説。隣国で若い令嬢たちに流行っているらしい。
魔法は伝説。神秘の存在は畏怖される。それでも神の信仰はあり、人々はその力を讃えている。
ヒロインは神殿の巫女。彼女を手に入れる者に、この世の栄光が約束されるという宿命を背負う。
そして、ヒロインを愛し守ろうとするのが、この物語の主人公。王朝に黄金期をもたらした最後の女王と、その永遠の恋人に隠し子がいたという設定。王家とそれを取り巻く諸侯の思惑に、二人の恋は悲劇へと追い込まれていく。
「これを読んでおけば、隣国のご令嬢とも、きっとすぐに仲良くなれますわ!」
連れていくのは、従者のレイだけ。マリアはここに置いていく。だって私は人質。婚約者とは名ばかりの囚われの身。マリアの安全を保証できない。
「そうなのね。そんなにおもしろいの?」
「はい。これを読んでいるなら、きっと王女様の気持ちを汲んでくれます。侍女に取り立てるなら、そういう方を!」
泣きながらそう訴えるマリアを、私はやさしく抱きしめた。もう会えないかもしれない。先が見えない今、これが今生の別れとなってもおかしくない。
「ありがとう。言う通りにするわ。大丈夫よ。きっといい娘が、私のお世話をしてくれるわ」
「約束ですよ!この物語の大ファンだって言ってくださいね。そうすれば、必ず王女様は人気者になれますから!」
「いやだわ。人気なんて……」
マリアにキッと睨まれて、私は大人しく口を噤んだ。
他国で一人っきり。どんな理由であっても、味方は多いほどいい。つまりマリアは、そう言いたいんだ。
「セシル様は、誤解されやすいんです。とにかく、わざとらしいくらいに猫を被ってください。そのくらいで丁度いいんですから」
「大丈夫よ。レイも一緒だし」
馬車を警護する騎士として、国境まではレイだけが私の供をする。そして、国境で隣国の護衛が合流する予定だった。
「どうして馬車でなんか。転移装置ではダメなんですか」
「魔力切れなのよ。王族が避難で使ってしまったから」
我先にと逃げてしまった正側妃や王女たち。でも、それは宰相様の采配だった。
私が隣国へ行くことを知れば、あの人たちが足を引っ張るだろうと。王太子の婚約者という立場は妬まれる。
「それにしたって、こんな時間に出発しなくても」
真夜中に国境を抜ければ、早朝には隣国の王都に着く。この時間なら、人に見られる心配はない。王宮から王族が目に見えて消えれば、民の不安が募ってしまう。
「もう時間だわ。マリア、元気でね。宰相様に、よくお仕えするのよ」
マリアの身柄は、宰相様が引き取ってくれた。それなら安心だった。
馬車のドアを開けたレイが、私のために手を差し出した。その手に支えにして、私は馬車の中に入る。
薄暗い室内には、私が好きな薔薇の花が飾ってあった。芳しい香りが頬を撫でる。
「セシル様、どうかご無事で。連絡、お待ちしています」
「ええ。手紙を書くわね」
レイが外からドアに手をかざし、魔物よけの護符を施す。邪悪なものは、触れることさえできないように。
「心配は無用です。この命に替えても、かならず王女をお守りします」
「頼みましたよ。何かあったら、すぐに連絡して!」
レイは頷くと、マントをひらりと翻して、颯爽と馬車を先導する馬にまたがった。
「門を出たら、ブラインドを下ろしてください。自動的に中の明かりが点きます」
「わかったわ。ありがとう、レイ」
みすぼらしい馬車が、王宮の裏門を出る。
たった一人だけで見送ってくれたマリアは、いつまでも手を振ってくれていた。思わず目頭が熱くなった。
ブラインドを閉めると、室内にやわらかい明かりが灯った。外には漏れない光。
馬車だというのに、一切揺れることもない。見た目はボロいけれど、馬車はレイの魔法で至れり尽くせり。御者すらも必要ない。
「国境まで三時間です。しばらくはおくつろぎください」
レイにそう言われたので、私は何気なくマリアから渡された本を取った。それが『真実の愛』というタイトルの、あの物語だったのだ。
異世界なのに、見たことがあるような風景。知っているような人々。
なぜか分からないけれど、それはとても懐かしい空気を紡ぎ出していた。既視感というのだろうか。
「王族の物語だからかしら?どこの世界でも、後継者の悲哀は一緒なのね」
王位継承権を持つ庶子。愛する恋人ではなく、国と運命をともにする運命。まるで、私みたい。そう思うと、頁をめくる指も早くなった。このペースなら、到着までに既刊分を読み切れるだろう。
国境に到着すると、アレクの部下がほんの数人、警護に加わった。北方勢力と臨戦態勢にある隣国のほうが、今は治安が悪いという理由で。
ほんの少しの休憩を挟んで、また私たちは先を急ぐ。
もう引き返せない。私はアレクと婚約するために国境を超える。祖国を守り、お姉様を取り戻すために。
夜が明けるまで、まだずいぶん間がある。こんな時間にこっそりと王宮に入るなんて、いかにも私にふさわしい。国に身を売った娼婦。それが私だ。
それなのに、アレクはわざわざ王宮の門まで迎えに出てくれていた。
国王陛下が辺境にある間は、王太子が国の代表。隣国の王女を迎えるのだから、立場上そうするしかない。
それでも、厄介者ではなく国賓として扱って貰えることに安堵した。アレク以外に、この国には頼れる者もいない。
まずは信頼できる味方を見つけること。それが私のこの国での最初の仕事だった。
次話「60.婚約者アレクシス」と、『鈍感男爵令嬢クララと運命の恋人 ~ 選ばれし者たちの愛の試練~』の「30.婚約者セシル(アレクの視点)」から、同時世界の別視点で物語が展開していきます。
それぞれには描かれない『裏ストーリー』も入ります。ご興味があれば、是非ここから同時に読んでみてください。




