58. 人生を賭けた恋
私が隣国に行けば、我が国の意図が世界中に知れる。北方の軍事勢力に、二つの大国が反対する。
その事実で、国際社会を味方につけられる。軍事国家の成立を、阻止することができる。
クーデターで、国を乗っ取った勢力。それを許せば、世界中の反体制がここぞとばかりに蜂起する。そんなことを、この世界の統治者は望まないから。
レイには最後の最後まで、何も言うことができなかった。
昨夜も王族が消えた王宮で、私たちは結界も張らずに抱きあった。もう誰も、聞いているものなんかいないから。
でも、もしかしたら、宰相様には聞かれていたのかもしれない。だから、心配してくれたんだ。
「レイには、おばば様の元に行ってほしいの」
「賢者になる気はない。ましてや、なれる資格もない」
「どうして?おばば様がそう言ったの?」
異次元から戻ってから、レイは一度も西の孤島を訪ねていない。今のレイの能力なら、転移魔法でそれほど時間はかからないはずなのに。
おばば様も、姿を見せてくれない。
「逃げてきた。シャザードと同じで、この世界での望みを諦められない。異次元の悠久の流れに、たゆたうことはできない」
「それなら、故郷に帰って。牧師様も喜ぶでしょう。あの野外劇場で、俳優になるのはどう?」
「セシルが観ないのに、俺が演じる意味なんてない」
「そんなことないわ。いつか必ず観に行くから」
そうね。たぶん、おばあちゃんになってから。
それならきっと、私はレイの家族の幸せな姿に、もう嫉妬するようなことはない。その頃には、全てが吹っ切れているはずだ。
羊とカモメ。海の碧と空の蒼。青い芝の香りと緑の葉の間から漏れる日差し。あそこなら、レイはきっと幸せな人生を送れる。
離れ離れになった友達と再会して。そしていつか、好きになった女の子とあの劇場に……。
「レイが、素敵なお嫁さんを見つけて、あそこで幸せになってくれると嬉しいわ」
「そんな顔で言われても、説得力ない」
レイの親指で頬を撫でられて、私は涙を流していることに気がついた。ダメだと思うのに、涙を止めることができない。
これでもうお別れなのに。笑顔を覚えていてほしかったのに!
レイに抱きしめられたまま、私は声を押し殺して泣いた。誰も聞いていないのに、声を出してはいけないと思った。
だって、泣きたい人は、きっと他にもいるはずだから。
「アレクシス殿のところに、行くんだな」
「ええ。自分でそう決めたの。アレクと結婚する。だから、レイは連れていけない」
「なぜ?従者はどこに行っても従者だ。殿下だって気にしないはずだ」
「私が気にするわ!他の男のものになるのよ?」
「殿下の妃になるだけだろう。セシルは永遠に俺の女だ」
「何を言ってるの?夜毎にアレクの腕で眠るの!正妃として、ずっとアレクのそばにいる。アレクの子を産んで、国母になるのよ?そんな私に付き従って、レイになんのいいことがあるのよ」
「ある。セシルと一緒にいられる。ずっとそばで、守ることができる」
「私は?レイに何ができるの?私はアレクと……」
「殿下はセシルにふさわしい方だ。愛されることを恐れる必要はない」
レイは私の長い髪を、手で梳くように撫でる。まるで、子供をあやすように。とても優しくゆっくりと。
そうしているうちに、私はだんだんと落ち着いて、いつの間にか涙も止まっていた。
「俺のために人生をかけてくれるなら、俺の人生も受け取ってほしい」
「レイ……」
「宰相殿から、事情は聞いている」
宰相様のおせっかい者!レイに余計なことをバラすなんて。
「それは誤解よ。宰相様は嘘を……」
「自白魔法をかけると脅した。宰相殿に咎はない」
「そんな……。なんでそんなことを?」
「他に方法がなかった。仔細を聞いて、ますますその判断が正しかったと確信した。セシルは俺には絶対に言わないだろう。一人で抱えて」
「だって、言ったら意味がない!レイを自由にする意味がなくなってしまう」
「意味はある。俺の自由意思を尊重するなら、従者に志願させてほしい」
「レイ、でもそれじゃ……」
レイは私を抱きしめていた腕を解くと、私の腕をつかんで額にキスを落とした。
「結ばれるだけが愛じゃない。たとえ何があっても、俺はセシルを愛することを止めない。一生、愛し続ける。二度とこの腕に抱けなくても、セシルの笑顔を見られるだけでいい」
「レイはひどいっ!そんなこと言うなんて。私は一体どうすれば……」
私の右手を握ったまま、レイはその場に跪いた。そうして、私の手の甲にキスを落とすと、私をそっと見上げた。
また涙が溢れてきて、私にはレイの顔がぼんやりとしか見えない。
「セシルに永遠の忠誠を。この誓いは、生涯破られることはない」
変わらぬ忠義を約束する誓い。これがレイの愛の形。それならば、私もそれに応える。
たとえ結ばれることはなくても、私たちは心で繋がっている。
「レイ、あなたは自由よ。どこにでも、望んだところに行ける。それが隣国であっても、差し支えないわ」
「ありがたき幸せ。きっとお役に立ってみせます」
もう引き返すことはできない。私たちは、共に未来に立ち向かう道を選んだのだ。
その夜遅くに、私たちは密かに国を脱出した。そして、二人で隣国を目指したのだった。




