56. 都合のいい正妃
「同盟国なら共に戦ってくれます! アレクの魔力なら、シャザード討伐にも通用するわ」
「つくづくおめでたいな。隣国が単なる同盟で、我が国のために王太子を戦場に出すと思ってか。しかも、兄弟姉妹も後継もいない。シャザードに殺されたら、あの家系は断絶だ」
アレクは一人っ子。隣国の国王陛下は、王妃様を亡くされている。継妃は取っていないし、側室もいない。
アレクを失ったら、直系が途絶える。
「単なる同盟なら無理でしょう。ですが、婚姻によるものなら、王太子を動かせましょう。妃の実家、縁戚の危機を放置するわけにはいかない」
「王女を嫁がせるということか。悪くない案だが、婚約者を死地に赴かせる役目など、承知する王女がおるか?王太子が死んだら、将来は王妃どころか未亡人だ。欲深いあの女たちは嫁いだら最後、この国など見捨てて己の地位を守るだろう」
お父様の言っていることは正しい。姉王女たちだったら、何が何でも王妃になろうとする。それがダメでも母后に。
子を産まないうちは、絶対にアレクを囲い込む。それでは間に合わない。
「セシル王女はどうでしょう。これだけの魔力の持ち主。先方への人質としても、よい贈り物です」
「ほう?面白いな。宰相、お前はセシルの味方かと思っていたが」
「魔力が均衡すれば、子もできやすい。魔力の強い王孫も得られましょう。隣国にとっても得になる申し出かと」
慌てて反論しようと思ったとき、宰相様から合図された。『今は何も言うな。自分に任せておけ』と、宰相様の目はそう伝えていた。
「セシルは、レイに骨抜きだ。承知するまい。命令すれば、死ぬかもしれん」
「ですから、王女に断れない理由を提示するのです」
「ああ、レイの命か?断われば、あやつを殺すと」
「いいえ。それではレイのほうが、王女をかばって死にましょう」
「つくづく面白くないやつらだな。では、どうすればよい」
「ムチではなく、飴を用意する。懐柔策です」
「ほう。それはどのような?」
お父様が興味を示した。宰相様の話に耳を傾けている。
これが政治手腕。お父様を手の上で転がせるのは、世界中でこの人だけかもしれない。
「王女は、レイのためならなんでもしましょう。レイとの臣下隷属契約を解除するのと引き換えに、王女に隣国へ行っていただく。こちらが得るのは、王太子アレクシスと王孫。そして、隣国もいずれは我が国の属国になりましょう」
「確かにな。母后が裏で操れば、国の行く末までも左右できる。だが、レイを手放すのは惜しい」
「レイは王女に惚れ込んでいます。シャザードとの血戦で王太子が死ねば、王女の元に戻りましょう。替え駒として、十分に有用かと」
宰相様の策を聞き終わると、お父様は愉快そうな笑い声を立てた。そうして、蛇のような意地の悪い目を私に向けた。
「どうだな、セシル。この策に乗るか?レイの自由と引き換えに、その身をこの国の利益のために捧げる」
「少しだけ、考えさせてください。急な話で、冷静な判断ができません」
ここで食いついたら、お父様の気が変わってしまうかもしれない。ここは宰相様の意図を、もっと理解してからがいい。
「ふん。まあ、いいだろう。この件は宰相に任せよう」
「承知いたしました」
お父様が退出してしまうと、宰相様と私は別室に移動した。隣国との同盟は、今のところこの国の生命線。うかつな判断で動いてはいけない。
「よく耐えられましたな」
「宰相様を信頼しています。お父様を思うように動かせるのは、あなただけでしょう」
「恐れ入ります」
お茶とお菓子が運ばれてきたので、私たちは給仕が終わるまで話を中断した。
今は脳に糖分が必要だ。色とりどりのチョコレートがあるのが嬉しい。
「婚約といっても形だけです。だが、誰にもそれを悟られてはならない。特にお父上と北方には」
「ええ。でも、それで隣国が承知するかしら?アレクにとって、メリットがないわ」
「そうでもありませんよ。我が国との同盟で、隣国には魔石が伝わる。美味しい話でしょう」
そうか!辺境伯があんな高価な魔石を二つも持っていたのは、偶然じゃなかったんだ。宰相様が手を回してくれていた!
「でも、アレクにとっては?私でなくちゃいけない理由はないわ。王女なら誰だっていいし、むしろ従順な姉たちのほうが……」
「王太子には恋人がおいでです。身分が低くて結婚できない」
「ああ、そうなの? きっとあの男爵令嬢だわ」
知らなかった。いつの間に、あの子とそんな関係に? 部下の婚約者と略奪愛! アレクってば極悪非道ね!
でも、それならアレクにとっても、お飾り正妃は都合がいい。側室を寵愛しても、後宮ドロドロを避けられる。
「他の王女様なら、王太子に情人など許しませんな。だが、セシル様なら?」
「気にしないわ。だって形だけですもの」
「いかにも。婚約中にその令嬢に王子が生まれれば、国母として遇することができる」
「妙案ね。お互いに利があるってことだわ」
「その通り。そして、レイは自由です」
レイを臣下から外すことができれば、もう無茶な王命を受けさせずに済む。
今、シャザードに挑むなんて、むざむざ殺されるようなものだ。
「宰相様、感謝します。すぐに隣国に連絡をしてください。この話を進めて」
「承知いたしました」
その日のうちに、宰相から隣国へ婚約同盟の提案がなされた。
そして、アレクがそれを承知したと知ったのは、しばらくしてから。
力を伸ばした北方軍が、隣国の国境にまで進軍したときだった。




