53. 逢瀬
唇から流し込まれる魔力の変化に、私は夢から引き戻されたように身構えた。
「緊張してるのか?」
寝乱れた私の顔にかかった髪を、レイの長い指がサラサラとかき分ける。
この数ヶ月、ずっとこの日を待ち望んでいた。
「久しぶりだから」
レイを抱き寄せながら、どう言えばいいのか、私は頭をフル回転させる。
「そうだな。島で別れてから、何ヶ月だ? まだ時間の感覚が麻痺してる」
私に体重をかけないよう、レイは体を反転させて私を上にした。
レイの胸に耳をつけると、心臓の音が聞こえる。久しぶりの逢瀬に、レイの鼓動も早い。
「異次元には、どんな時間が流れているの?」
「時間という概念自体がない。一瞬だったり永遠だったり」
「怖かった?」
「どうかな。必死だったから」
異次元から戻ったその足で、レイは私たちを助けに来てくれた。すぐに教官を追ってきたのに、時間軸がずれて遅れをとったらしい。
「レイはすごいわ。教官を連れ戻せたんですもの」
レイが気まずそうに目をそらしたので、私は両手でレイの頬を包んで、むりやり自分のほうを向かせた。
そのまま、その唇にキスを落とす。
「異次元から、体は出せた。だが、魂は損なわれたままだ」
「レイのせいじゃないわ。教官が……」
「彼はもう教官じゃない。師匠でもない。別の人間だ」
「分かってる。でも、自分を責めないで。レイはよくやったわ」
「賢者殿に、顔向けできない」
「おばば様だって、きっとレイを誉めるわ」
「俺は失敗したんだ。師匠の魂は異次元に置き去りだ」
「それは教官の……、シャザードのせいよ」
異次元で、宿命を司る巫女は命を絶った。宿命を変えるという教官の望みは、彼女の死をもって潰えたのだった。
不完全な魂では、もう異次元には飛べない。訓練に耐えた完全な精神がなければ、賢者の術は使えない。
「シャザードは、この世界で宿命を変える気だ」
「だからって、あんな男と……」
「利害の一致だ。互いの望みを手に入れるために」
何を犠牲にしてでも、自分たちだけが幸せになればいい。教官だったら、お姉様がそんなことを受け入れないと知っている。
教官もお姉様も、そういう人間じゃない。
シャザードは、もう教官じゃない。レイの師匠でもなく、お姉様の恋人でもない。
私欲に憑かれた黒魔術師。教官の良き心は、今も異次元に彷徨っている。
「もう、この話は止めましょう。せっかく一緒にいるのに」
私がそう言うと、レイはもう一度体を反転させて、私の胸に頬を寄せた。
今度は、私の心臓が爆発する音が聞かれてしまう番だった。
「そうだな。朝まで時間がない」
「まだ夕方よ」
「足りない」
レイの体から私の魔力が流れ出したとき、私はそっとレイを押し返した。
それが不本意だったようで、レイは訝しげな目を向けてくる。直前でお預けをくったのだから、それは至極当然の反応だった。
「レイ。国が安定するまでは……」
私の言っている意図を汲み取ったレイは、すぐに自分の中から私の魔力を消した。
互いの魔力が反発すれば、子ができることはない。
「これでいいか?」
それに返答できるような余裕はなかった。痺れるような強い魔力に体が震え、思わず声を上げてレイの肩に爪を立てる。
そして、私はあっという間に、快楽の淵に落とされていった。
明け方になって、ようやくレイが寝息を立て始めた頃、私は一人で起き出して身を清めた。
レイの魔力は、思った以上に強くなっている。体に精を残したままでは、隠蔽できる自信がない。
自分の体から立ち上るレイの魔力を消すために、できるかぎりをお湯で流す。
そうしているうちに、少しだけ冷静になった私は、昨日のお父様の言葉を思い出していた。
「シャザードを取り逃がしたか。大失態だな」
「申し訳ございません」
共和国から戻った私の報告を聞いて、お父様は明らかに不機嫌な顔をした。
「レイを泳がせたのは、シャザードを連れ戻すためだ。あやつの失敗の代償は大きい」
「レイは、教官を見つけ出したんですよ!」
「だが、シャザードは敵に渡った」
「それは……」
教官を異次元から出せただけでも、レイは神の怒りから世界を救った。でも、天罰なんて、お父様が信じるわけがない。
「王太子に魔薬を盛った犯人も死んだ。全ては闇に葬られた」
私たちが共和国から戻る直前に、数名の王室付魔術師が、血を吐いて絶命した。
あれは臨床実験だった。魔薬の完成前に王族が死んでは意味が無い。彼らは解除魔法を渡されていたんだ。
だから、消された。証拠隠滅のために。
「私のミスです。全てが後手に回って……」
「お前の責任は重大だ」
「分かっています」
お姉様を取り返すどころか、人質としての立場をさらに強くしてしまった。
自害しないように、お姉様は魔薬を飲まされていた。お姉様の魔力とだけ反応する薬は、赤ちゃんには効果がない。妊娠中に好都合だったんだ。
そんなお姉様を、元首は庇っていた。将軍の実験台にしないために。
こうなる前に、母子を逃がそうとしたかもしれない。身内を呼んだのも、私が来ることを予見して。
あの屋敷は、元首が招いた者しか入れない。中では魔法も使えない。
命を削る血の契約で、強固な施錠と魔力封じを施したのは、お姉様を守るためだったのかもしれない。
それなのに、アレクの姿でその魔力を纏った教官を、私があの館に連れて行ってしまった。
与えられたチャンスをみすみす逃しただけでなく、私は敵を自陣に招き入れてしまったのだ。
「隣国からは、同盟の打診を受けた。お前が王太子と懇意なのが幸いしたな」
「アレクを危険に晒した件は?」
「不問とされた。思いがけない情報も手に入ったからと」
私が無理を言って、付いてきてもらったのに。アレクをあんな目に合わせてしまって……。
自分の計画が杜撰だったことを、私は猛烈に反省していた。




