50. 駐在大使と魔石
大使公邸は、お姉様の共和国入りと同時に設置されたものだった。急ごしらえではあったものの、この一年弱で体面を保てるだけの設備は整っている。
何よりも、強い結界のおかげで安全だ。
駐在大使となっているのは、異母姉の夫。私にとっては義兄となる。王婿とは言え、身分は伯爵。
そのせいで、こういう難しい役回りに任命されたのだろう。
ちなみに、姉は王都にとどまっているので、単身赴任。こう言ってはなんだが、あのわがまま放題の姉にはもったいないような、よくできた人だ。
昨日、この国についてから、すでに色々と便宜を図ってくれていた。
大使様はお守りだと言って、私たちにとても珍しいものを贈ってくれた。
「元首の別荘には、フローレス様だけがお住まいです。厳重な警備で、蟻の子一匹入れないとの噂。逆を言えば、逃げ出すことも難しい。これをお持ちください」
「これは……、魔石?」
「はい。魔力の補充にお使いください」
魔石は魔力を蓄えた石で、非常に貴重なものだった。多くの技術者が、その開発に長い年月を費やした国の宝。
「私まで……、もらってもいいのですか」
手渡された魔石を眺めながら、アレクがそう言った。
これは我が国の最先端技術。他国の王太子に、簡単に渡していいものではない。
「セシル様をお守りいただくのです。その対価として、これほど安いものはありません。ただ、これは個人的な贈り物として、ご自身のためにお使いいただきたく」
「ありがとう。この技術について、他言はしないと誓いましょう」
「ご配慮に感謝いたします」
アレクは魔力を使って、石の分析を始めた。
「付与した魔力が身につけたものに流れる仕組みか。素晴らしいな」
「守護魔法は、一度発動したら終わりです。この技術なら、魔力の蓄えが切れるまで、何度でも魔力の使用が可能です」
「なるほど。アクセサリーにして身につけるのがいいだろう。使えるな」
アレクは何かを考えついたらしい。アクセサリーって。まさか、あの子にあげる気なのかしら?
ないわ。それはない!ありえない!
だって、相手に自分の魔力を絶え間なく流すとか! そんな状況、普通なら男女の営みの間だけ!
それが続いてるみたいで、女性には恥ずかしいマーキング。
でも、魔力の量や質が同じだと、妊娠しやすくなるんだっけ。おばば様が、確かそう言ってた。
魔力の全くないあの子に、アレクの魔力が流れていれば、子ができやすい?
やだ、アレクってば、既成事実を狙ってるの? むっつりスケベだわ! 女の敵ね。
おばば様の言葉と同時に、私はレイのことも思い出していた。
賢者の修行は、どこまで進んだんだろうか。もう、異次元に飛べるようになった?
私の魔力に、自分の波動をなじませることは、できるようになった?
きっともうすぐだ。レイが戻ってくれば、何もかもがうまくいく。
私たちは結婚して、西の最先端の国で子供を育てるんだ。
「いつか、この石の技術を購入させてもらおう。共同研究でもいい。無限の可能性がある石だ」
「それは楽しみです。殿下が即位されたら、是非そういう方向に」
私たちは魔石から魔力が流れ出ないよう、遮断袋で包んでポケットに忍ばせた。
そして、馬車で一時間半ほどの郊外にある、元首の別荘へと出発した。
「あの子、クララだったかしら?魔力はなさそうだったけど……」
「そうだな。普通の子だよ」
「ふうん。あれから会ってるんだ」
「同じ学園の先輩と後輩だ。嫌でも顔を合わせるだろ」
「嫌って……。素直じゃないのね」
「臣下の配偶者となる娘だ。無碍にはできない」
「王太子が望めば、どうとでもできるでしょうに」
「その話はもういいだろう。君には関係ないことだ。それよりも、今日のこれからのことを話し合おう」
お姉様を見舞ったその足で、国境に向かう。逃げるが勝ち。今回は、無事を確かめるだけでいい。
交渉でお姉様の身柄を奪回できない場合、強硬手段にでることになる。それには、現状を知っておく必要がある。情報は多いほどいい。
「とにかく、側から離れないでくれ。万一のときは、転移魔法で国境まで飛ぶ」
「私は転移はできないわ。魔力が足りない……。そうか!魔石を使えば」
「なんとかいけると思う。そんなことにならないといいが」
元首の別荘は深い森の中にあった。私たちの馬車は、まるで緑の海の底へ吸い込まれていくように、どんどん森の奥へ入っていった。
日も差さないような、高い木々に囲まれた屋敷。それが、お姉様が捕らわれている場所だった。
元首の趣味なのか、本宅とおなじ蜂蜜色の天然石が柔らかい印象を与える。
けれど、高い位置にある窓ははめ殺しで、体のいい監獄のようなものだった。
「結界だ。魔法陣だな」
「血の契約?」
「おそらく」
詳しい構造は分からない。レイならば、きっとこの結界の仕組みを見破るのに。おばば様の複雑な魔法すら、レイは簡単に解いたんだもの。
「よく、お越しくださいました」
私たちを迎えた元首は、変わることのない美しい笑顔を見せる。その表情からは、何か邪悪な意図があるとは思えない。
「お招き、ありがとうございます」
正面玄関の扉をくぐるとき、結界を越した感覚があった。元首の客しか通れない仕組み。ごく普通の魔法だ。
どうして魔術師に頼まなかったのか。何か事情があるんだろうか。
「早速ですが、お姉様に会わせていただけますか。もうずっと会っていなくて」
「もちろんです。この時間はいつも、庭に面したガーデンルームで過ごしています」
ガーデンルームと言えば、全面をガラスで覆った温室のような作り。コンサバトリーと呼ぶべきなのかもしれない。
それなら、どんな気候であっても、体に障ることはない。体の弱いお姉様のことが、私はいつも心配だった。
そうして、私たちはいよいよ、お姉様のいる場所へと足を向けたのだった。




